23 浮かび上がる獅子
メロヴィング公爵邸より帰宮するや否や、ジークフリートは侍従らを追い払った。
「宴で疲れているだろうミュスカデに、これ以上の負担を強いたくはない。聞き分けろ。どこに隠れたとして、私にはわかるのだ。おまえ達も知っているだろう」
ジークフリートは一人をじっと睨みつけてから、次の者の目を同様に覗き込んだ。ひとりひとりの目を射抜くように、ゆっくりと。
詳細は明かされていない、ジークフリートの力。
だがジークフリートに偽りを通すことが難しいことは、侍従達もよく知っていた。それ以前に、彼等はジークフリートの命に背くつもりはない。
ジークフリートが側を許す侍従達は皆、ジークフリートに心からの忠誠を捧げている者だけ。
だがそれを知っていてさえ、ジークフリートは念を押した。
侍従達が聞き分けよく下がった後、ジークフリートはマントの懐に手を入れた。マントの内側から、青白い光がボウっと浮かび上がる。
ジークフリートがマントから手を出し、杯を掲げるときのようにゆっくりと手を挙上させた。
青白い光は回廊に配された、壁掛けの燭台へと飛んでいく。
光と交じり合う燭台の炎。
大きく立ち上ったかと思うと、空中で大きな円を描き、眩いばかりの光を発散させた。そして消える。
その様をつまらなそうに眺めると、ジークフリートは踵を返した。足早に自室へと向かうジークフリート。
レオンハルトもまた無言で、ジークフリートに付き従う。
ぴりぴりと緊迫した兄の気配。
ジークフリートもレオンハルトも、足音は立てていない。
だが、歩く度に擦れる太もも、その衣擦れのささやかな音すら、レオンハルトの耳は過敏に拾い上げた。
ジークフリートが扉の前で立ち止まり、鋭くレオンハルトへと振り返る。
ジークフリートの凍えるような青い目。レオンハルトの青い瞳を捉えると、ジークフリートは前に向き直り、静かに扉を開けた。
◇
「これを見よ」
レオンハルトの眼前には、王家の旗。
メロヴィング公爵邸大広間に掲げられていたのと同じ図案の旗。
赤と青の二色の血。建国の忠臣を示す、七本の斜線。
それがローテーブルの上、広げられている。斜線はジークフリートからレオンハルトへと放射状に広がっていた。
「王家の旗に、何か」
レオンハルトの問いに、ジークフリートは答えず、手袋を抜き取る。
白い絹の手袋を胴衣の内ポケットに入れると同時に、ダガーを取り出すジークフリート。
ことりと鞘が落ち、ジークフリートの細い指先を刃が掠める。
ジークフリートの白い指先に浮かび上がる、紫紺色の血の玉。
血の滲む指を、ジークフリートは親指でぐっと絞り出す。
ぽたり、と紫紺色の血が、王家の旗の上に滴り落ちた。
「おまえの目に映るもの。それが公爵の抱く懸念だ」
赤地に七本の青い斜線。王家の旗。
その上には、咆哮する獅子が浮かび上がっていた。
燃え盛る太陽のような、黄金の鬣。黒く濡れた鼻。威嚇するように大きく開いた口。薄桃色の舌。鋭い牙。
レオンハルトの鼓膜は揺れていない。
だが低い唸り声は、レオンハルトの脳に直接響く。
腹の底に響くような。そして最後にはゴロゴロと短く喉を鳴らし、その獅子は消えた。
呆然とするレオンハルトに、ジークフリートは問いかける。
その声は穏やかで、凪いだ初夏の海をレオンハルトに思い起させた。
今よりずっと幼き頃、ジークフリートとともに水遊びした、懐かしい海。白い砂浜。静かに打ち寄せる波。潮の香り。
「建国王の名を、なぜ誰も知らぬのか。レオン。おまえは疑問に感じたことはないか」
この国が崇める神の名を、誰も知らないように。この国の初代王の名もまた、誰も知らなかった。
知らないことに、なっていた。




