23 里帰り(2)
「ちょっと、ニール! いきなりなにをしてんのさ。事情も聞かずに」
ルークに鍬を振り下ろした少年のうしろから少年をおしのけるようにして、女が出てくる。
「ごめんよ。弟が乱暴をして。おどろいたろうね。許しておくれよ」
少年より年上らしい女は、申し訳なさそうに眉を寄せて、ルークに手を差し伸べた。
突き出た頬骨。女だてらに、がっしりとした顎。日に焼けて乾燥した赤銅色の肌。
気の強そうな顔つきながら、ルークに注がれるまなざしは優しい。こんな女が母親だったのなら、ルークは悪魔として捨てられずに済んだのだろうか。
「だから、その事情ってやつを聞き出そうとしてんだろ」
ニールと呼ばれた少年はいらいらした様子で、鍬を荒々しく地面から引き抜き肩にかついだ。
「リナとジャックのこと。もしかしたらこいつのせいかもしれねえんだぞ」
「あっ、きみ、ジャックとリナを知っているんだ。もしかして友達?」
ルークは姉の手を取って立ち上がり、声を弾ませた。
「ちょうどよかった」
どうやら目の前の姉弟――すくなくとも弟のほうは、ジャックとリナを疎んではいないらしい。
そのうえ彼は、ルークを警戒しているだけだ。憎悪に軽蔑、嘲りといった類ではない。姉に至ってはルークに同情的だ。
ルークは手を離すと、口もとをゆるませた。これなら話は早い。
だが、ルークの甘い見込みは、そうそうに裏切られる。
「ほらよ、姉さん。見てみろ」
ニールは風をきるようにすばやく鍬をふるった。
「こいつ。リナとジャックのことを知っているみたいだぜ。余所者のくせに。あやしいだろ」
村で見慣れぬ怪しい男の鼻先へ、鈍色の刃先をつきつける。
朝の白い陽光が平刃の片端に一点集中して、ぎらりと光った。
まばゆい光の玉からぱらぱらとこぼれ落ちては、ちらちらきらきらと輝く光のくず。いや、光のくずではない。地面を掘ったときにすくいあげた砂だ。砂が鍬から離れて落ちる、その様が光芒――『精霊の舞』のように見えるだけだ。
幻想的ではある。
だがルークは見とれるよりも先に、あとじさりした。鼻をそぎ落とされてはかなわない。
剣呑な様子を見せるのは、弟だけではなかった。弟の言を受け、女の顔色が変わった。
さきほどまでの親切そうな様子が消え、眉をひそめてルークにたずねる。
「あんた、あの子たちを知っているのかい?」
地の底からわきあがるような声。まるで尋問だ。
ルークは天をあおぎ、腰に手を当ててうなった。
「知ってはいる……のかなあ。直接会ったこともしゃべったこともないんだけど」
ふと視線を姉弟に向けてみれば、ますます不審がられているようだ。
「ええと、あの、俺、ちなみに余所者じゃないよ。ちゃんとゴールデングレインで産まれた。途中で王都に連れていかれたりもしたけど、育ったのはこのあたり」
「はあ? 嘘つくんじゃねえよ。おまえのことなんか知らね――」
ルークに向けてつきつけた鍬を、ニールがさらに前に押し出したところで、姉が弟をさえぎった。
「ニール。この人は余所者じゃない」
ルークを敵視する鋭さに代わって、歯切れの悪い、気まずそうないたわりが姉の表情に見え隠れし始める。
「あんたには心当たりがあるみたいだね」
ルークはにやりと口の端をゆがめた。
「俺は『悪魔』だ。ここの村人に追い出されたジャックやリナと、ある意味ではそう変わらないかもね。ゴールデングレインの異分子」
「悪魔?」
弟は、ルークにつきつけた鍬をすこしばかり下げて、怪訝そうに姉とルークの顔を見比べた。
「悪魔ってなんだよ」
「ふうん。『医者先生』がこの村から悪魔を出さないように尽力していたってのは本当なんだ」
ルークは思わせぶりなにやにや笑いで、ニールを見た。
「となり村からは、まだ普通に『悪魔』が孤児院に送られてくるんだけどね」
「なんだそれ」
ニールの目が吊りあがる。
「どういうことだよ」
姉はうつむいた。口を閉ざしたまま、弟の問いに答えない。
悪魔の哀れな境遇へ憤るような、少年らしい正義感を持ち合わせる弟。
弟はなにも知らないようだ。だが姉は、ゴールデングレイン一帯の事情を把握しているに違いない。
――こんな女が母親だったのなら、ルークは悪魔として捨てられずに済んだのだろうか。
姉を一目見たときには、ずいぶん甘ったれたことを妄想してしまった。やはり誰がルークの母親であったとしても、結局は悪魔として捨てられたのだろう。
奇天烈お嬢様ネモフィラに拾われ、ふりまわされ続けた結果、お嬢様の非常識さやら甘さやらにずいぶん影響を受けてしまったらしい。
これではいけない。
ルークがキャンベルで生き残るために媚びを売るべきなのは、ネモフィラではない。ネモフィラの兄弟だ。
兄ヒューバートに弟ハロルド。
彼らから見限られてしまえば、悪魔のルークなど、いつ用無しと放り出されるか知れない。
「まあ、そんなことしてちゃ、そりゃ『医者先生』一家をおもしろく思わないやつも出てくるだろうよ」
やれやれと芝居がかったしぐさで、ルークは首を振った。
「自業自得か」
姉弟へ、ルークが「あんた達もそう思わない?」と水を向けてみれば、弟の方――ニールが真っ赤な顔を憎悪にゆがめ、ルークに向かって鍬を振り回し始める。
「ふざけんな!」
ニールはツバを撒き散らして声を張りあげる。
「レオン先生は――」
「うるせえな。朝っぱらからなんの騒ぎだ」
だがニールの少年らしい未熟な恫喝は、さらなる恫喝によってさえぎられた。
背の低い、老年に差しかかった男。
野良仕事に従事する男らしく、よく日に焼け――頭頂部まで禿げあがった額までもが赤銅色に照っている――がっちりとした身体つき。
厳しい顔つきの男は、仲裁を買って出るように、ルークと姉弟のあいだに割り入った。
「あん?」
男はルークをじろじろ眺めてから、何かに気がついたようで口の端をゆがめた。
「よお、ひさしぶりじゃねえか」
「自警団の……」
ルークの目が見開かれ、棒切れのようにか細い身体が震え始める。
男はルークの顔に見覚えがあるようだった。ルークも男の顔に見覚えがある。
ルークが初めて村へ里帰りした八年ほど前。
あのときルークを取り囲んでは、哀れな悪魔へと思い思いの暴行に及んだ自警団の男衆。そのうちのひとりだ。
「小耳にはさんだことには、物好きな金持ちに拾われたって話だったがな」
男がルークを見て嘲笑する。
「うすぎたねえままなのはなぜだ。捨てられたか、悪魔」
震えるばかりで足が地から離れないルークへと、一歩、また一歩と近づく。手にはタオル。
ここは村の共同井戸だ。時間は朝。顔でも洗いにきたのだろう。
男のブーツが小石を踏むことで、じゃり、と音がする。
男が首をのばすと、ルークの顔に影がかかった。
「悪魔がいい目に合うはずはねえんだからな。神様はちゃあんと見ていらっしゃる。真面目な者だけが救われるんだ」
男の吐いたツバが、ルークの頬に当たる。
「悪魔なんざ地獄に落ちるだけだ」
石像のように固まったルークを残し、男は去った。
男の吐き捨てた『悪魔』と『地獄に落ちる』という言葉ばかりが頭に残り、そのほかはほとんど覚えていない。
ようやく眼球と首が動かせるようになり、あたりを見渡してみれば、いつの間にか息切れに苦しむ村の長の姿が小径の向こうから見えた。
諍いの仲裁に駆り出されたのだろう。
姉弟の姉のほうが、杖をつきつき足を引きずる長を支えている。
弟は身体が触れ合いそうなほど近くにいたようで、ルークはその近さにぎょっとした。
弟はルークの前に立ち、共同井戸から続く小径の先を睨んでいる。こちらへやってくる長とは逆方向だ。自警団の男の後ろ姿は、すでに見えない。
ぐっしょりと汗に濡れたチュニックが、胸や背中に張りつく。すっかり忘れていた虫刺されのちくちくとしたかゆみがぶり返す。
ルークは浅い呼吸を徐々にゆっくり深く整えながら、長の到着を待った。足を怪我した山羊よりも歩みが遅い。
自警団による私刑を止めるでもなく、ただ沈痛な面持ちで見守っていたのが、この長だ。八年前から代替わりはしていない。
八年前。
村唯一の『医者先生』。その彼が大事に守らんとする子どもたち――生まれたばかりのリナや幼いジャックへ、ルークは嫉妬と憎悪のまなざしを向けた。『医者先生』の視線を感じると、とたんに慌ててその場から逃げ去った。
村の長は村人たちから不審者の報告を受けた。自警団の男衆がルークを取り囲んだ。
乱暴が止むと、あざだらけになったルークを見下ろしながら、長はルークに問い正した。
『おまえは、本当に悪魔なのか』
長はルークの顔を覚えているだろうか。