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14 魂の片割れ




「そういえば」

 花瓶(かびん)のアカンサスに気をとられ、ここではないどこかへと意識を飛ばすレオンを尻目(しりめ)に、アルフレッドはふたたびナタリーへと笑顔を向けた。

「きみはレオンハルト二世の兄ジークフリートに、『殿下』の敬称をつけていたよね。彼が臣籍降下したのちにも『殿下』と呼んでいたの? 敬称をつけるのであれば、『閣下』ではないのか――ああ、それとも百五十年前では使う言葉がちがうのかな」



 アルフレッドの言葉に、ナタリーは夢見心地だった顔つきをひきしめた。

 レオンとの再会――それだけではなく、もしかすればほとんどあきらめていた、レオンハルトとの再会でさえあるのかもしれない。ナタリーが心から愛するふたりの男たち。ふたりのレオン。彼らが帰ってきた。

 そんなふうに夢心地だったところを無理やり引き戻された。くわえて、めんどうな礼儀作法。

 ナタリーはむっとした。

 この時代でも指摘されることになるとは。



「ジークフリート殿下は、王室から離脱(りだつ)したわけではなかったわ」

 ナタリーは薄布のカフスに覆われた手を腰に当て、おおぶりな耳飾りがぶらぶらと揺れるくらい勢いよく(あご)をつきあげた。

「モールパ公爵になられたあとも、身位(しんい)は王子のままよ。殿下とお声がけすることのなにがいけないの?」


「なるほど。彼は王室の一員であり続けたんだね」

 アルフレッドは挑発的な魔女に賛同しうなずいた。

「悪かった。僕の勘違いだ。てっきり彼は王室を離れたのかと考えていた。晩年の彼は弟王と反目(はんもく)していたようだし」

 ここでアルフレッドは一呼吸おいた。


 ちらり、医者もどきに目をやる。

 心ここにあらずといったレオンの様子に変化はない。

 アルフレッドは目玉をぐるりと回し、口の端を片方だけつりあげた。

 それから気を取り直すようにちいさく首を振ると、ナタリーへと視線を戻してほほえんだ。



「彼は公爵位を受け取るだけでなくモールパという新たな家を(おこ)して、王族年金支給の記録も残されていなかったんだ」

 アルフレッドは言葉を切り、首をかしげた。

「いや、これはいいわけだね。僕の勉強不足だ」


「べつにいいわよ」

 あっさりと謝罪され、ナタリーはきまりが悪くなった。


 つきつけた(ほこ)先をどこにおさめればよいのかわからず、もじもじと腰の金鎖(きんぐさり)を指でいじくる。



「レオンハルト二世の兄『ジークフリート』は、オーギュスト・メロヴィング、その息子クロヴィス・メロヴィングとともに大幅な法改正に取り組んだようです」

 しばらく(もく)していたユーフラテスが口をはさむ。

「そのときに現代につながる敬称についても、区分けを新たに制定したのかもしれません。百五十年前といまとでは、原則がちがうのでしょう」


「そうだね」

 弟の補足にアルフレッドは嬉しそうにうなずく。

「テスはよく勉強していて、たのもしいかぎりだ」



 扉付近にたたずむレオンとナタリーから離れ、アルフレッドは弟ユーフラテスのもとへ、軽やかな足取りで歩み寄る。



「ぼくには『モールパ公爵殿下ジークフリート王子』のような魔法の才はないけど」

 皮肉なのか、称号と『殿下』の敬称とファーストネームと身位をめちゃくちゃに混ぜ合わせて、レオンハルトの兄ジークフリートの名を口にするアルフレッド。

 彼はもうひとりの『ジークフリート』である弟に流し目をやった。

「目はいいんだ。そうだよね? テス」



 アルフレッドの細められた目。くちもとに浮かぶほほえみ。



「――はい」

 ユーフラテスは兄のニヤけ顔をまえに、苦虫を噛み潰したようになって、しぶしぶうなずいた。



「ふふふ。ぼくの目がよすぎるせいで、テスは愛しのネモフィラ嬢との仲を引き裂かれてしまったのだからね!」

 アルフレッドはおかしそうに声をあげて笑った。



「『モールパ公爵殿下ジークフリート王子』は結局、かわいがっていた弟王子に王位を奪われたわけだろう?」

 『ジークフリート』の名を持つ弟ユーフラテスの肩に腕を回し、アルフレッドが弟の顔をのぞき込む。

「それも愛しの婚約者殿まで、ほとんど奪われかけて」



 ユーフラテスは兄の問いかけに答えず、むっつりと不機嫌顔だ。

 アルフレッドはにっこりと笑ってから、すこしばかり弟から身を離した。



「そうだなあ」

 アルフレッドはなにかを考えこむかのように、顎をしゃくってみせる。

「僕だったら、婚約者については、その娘の家の協力を引き続き得られたのであれば、その娘との仲がどうなろうとも死の間際(まぎわ)まで心残りに思うことはないんじゃないかな。だけど――」

 アルフレッドはにこりと笑って、ヒューバートに向かって片目をつむった。

「来世こそは王位を、とは思うかな」



 主からの思わせぶりなまなざしを受け、ヒューバートは同意を示唆(しさ)するほほえみで返した。



「テスはどうだい?」

 アルフレッドがふたたび、しかめつらの弟に顔を寄せる。

「素直に言ってごらん。気に食わない答えでも、今回に限って、あらためないであげるから」



 弟の琥珀色の目をのぞきこみ、返事を催促(さいそく)するアルフレッド。

 ユーフラテスは目をつむり、長々と息を吐きだした。



「私でしたら」

 ユーフラテスは顔をあげると鋭いまなざしで兄を()めつけ、きっぱりと言った。

「二度と王族には生まれたくない、と」


「うん、そうだよね」

 アルフレッドは満足そうにうなずくと、弟の肩に腕を回したままのかっこうで、扉近くに並び立つレオンとナタリーへと向き直った。

「きみの言う通り、テスと僕とが『モールパ公爵ジークフリート殿下』の魂を共有するとして、この相反する気持ちが、テスと僕とを分けたのではないかな? 王族に生まれたくなかったテスが、なぜまた王族に生まれてきたのか。それは僕にはわからないけどね」



 アルフレッドが弟を一瞥(いちべつ)するも、弟は不機嫌な表情すら見せずにいっさいの関心を示さず、視線をさまよわせている。

 弟の視線は掃き出し窓のあたりで止まり、よくよく視線の先を追ってみれば窓ではなく酒瓶(さかびん)やらグラス等をおさめたキャビネットを眺めているらしい。

 窓から差し込む光がガラスを(へだ)てて揺らめく虹色を描き出し、キャビネットの(つや)のある赤みがかった木肌のうえでおどっている。今日はずいぶんと長いあいだ、雲に邪魔されることなく晴天が続いているようだ。


 はてさて弟はこの状況から逃げ出し酒に救いを求めんとするのかと同情を寄せかけたところで、アルフレッドははたと気がついた。そういえば鉄製の氷桶(こおりおけ)にレモンシャーベットを入れておいたままだ。客人にふるまおうと用意させたまま、すっかり忘れていた。

 保冷用のたくさんの氷とグラスに綺麗に盛られたシャーベットとが入った氷桶は、キャビネットまえのサイドテーブルに放置されて汗をかいている。中身のシャーベットは溶けかけているだろう。

 だいたい今の状況で、はたして彼らがシャーベットを喜ぶだろうか。



 ――シャーベットをふるまうのはまたの機会にしよう。



 アルフレッドは弟から目を離し、悲劇に酔う以外の思考にはいまだたどりつけそうにない視野狭窄(しやきょうさく)な恋人たちへと語りかける。

「つまり僕は、『モールパ公爵ジークフリート殿下』が捨てたくてたまらなかった気質を受け継いだ。そしてテスは、『彼』が『彼』らしくあるために保持したかった気質を受け継いだ。ということなんじゃないかな」



 レオンハルト二世の兄ジークフリートの魂が、いかにして分かれたか。

 甘ったるいほどに感傷的な理由でもそれらしくとってつけてやれば、陶酔境(とうすいきょう)に浸りきった恋人たちは納得するだろう。



「それだから、僕にとってテスが特別な存在であるように感じるのかもしれないね。魂の片割れというやつだ。いにしえの哲学者が、そんなことを言っていたよね。きみも聞いたことがあるかな? 愛とはつまり、魂の片割れを探す旅だとかなんとか。その説は眉唾(まゆつば)ものだとばかり思っていたけど、意外にも的を射ていたのかもしれないな」

 よどみなくべらべらとしゃべりたてるとアルフレッドは一息つき、にっこりと笑った。



「なぜテスを特別に感じるのか、自分でも不思議に思っていたんだ」

 めいっぱいの愛情を込めた手つきでアルフレッドが弟の肩をたたく。

「ようやく理由がわかったよ。ありがとう、きみのおかげだ」



 無関心無表情をつらぬかんとしていたユーフラテス。その眉間にしわが寄った。




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― 新着の感想 ―
>この時代でも指摘されることになるとは。 ナタリー。お疲れ様~笑。 >晩年の彼は弟王と反目していたようだし ここ、見逃せない情報です! レオンハルトとジーク様に一体何が?! いや、なんとなくナタ…
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