13 記憶
後世、本来の名を失い、フランクベルト稀代の魔女と呼ばれ、忌むべき対象となった女。
フランクベルト初代王妃として名を遺すはずであった女の真相とはすなわち、建国王とその息子が重ねた、数多ある罪。そのうちのひとつだった。
悲劇性を競うならば、彼らもまたレオンハルト二世に引けを取らない。
アルフレッドはまばたきを繰り返した。
幻を視界から追い払うためだ。
初めて見る幻だった。
だがこれまで見てきた幻同様に、理不尽で救いがない。いつもどおりだ。
建国王の犯した罪だろうがその息子の犯した罪だろうが、原罪が産み落とした罪であることに変わりはない。
罪が罪を生み、新しい罪が新しい犠牲を生む。延々と続いていく。
罪のうち、どれかひとつだけが重要であるわけでもなく、どれかひとつだけが瑣末であるわけでもない。
アルフレッドの脳に蓄積する記憶の断片。これでまたひとつ増えてしまった。
やるせなさと焦燥が押し寄せつつあるのを感じる。慎重にゆっくりと細い息を吐きだす。
感情の波うちをたいらにしようと、アルフレッドは扉付近にある花台へと目をやった。
らせん状の一本脚が支える木製の花台には、透明のガラス瓶があり、そこには紫の萼と白の花びらが密集したアカンサス。大きな葉にはさまれた花が幾本も、もっさりと生えている。
今朝、アルフレッドが庭を散歩したおりに、気まぐれに温室まで足を運び、摘んできた。
不要な葉を落とすこともなく、水揚げもしておらず、ひどく不格好だ。
のこぎり状にぎざぎざとした濃い緑色の葉がガラス瓶に無理やりおしこまれて、窮屈そうに見える。
葉を減らすか、そもそも花の本数自体を減らすか。
あとでなにかしら手をいれさせようと心に留め、アルフレッドは『百五十年前に引き裂かれた悲劇の恋人たち』へと視線を戻した。
アルフレッドから視線を離さず、敵対の意思をみせる医者もどき。
目覚めたばかりの彼が把握している事情とは、どのていどだろうか。
たいしたことはあるまい。
歴代獅子王という膨大な記憶の連なりはもちろん、レオンハルト二世ただひとりの記憶に限ったとしてもだ。
おのれ自身とは異なる他人の人生そのものをすべて受け入れる器など、人間には持ちえない。
人智を超えた強大な力。すなわち獅子王という祝福。転じて、終生逃れることのかなわぬ呪い。
そのような力を身に宿した獅子王であってさえも、他人の記憶という膨大な異物を飲みこみ引き継ぐことは、人間の能力限度を超える。
それがために、レオンハルト二世にいたるまで、獅子王の皆が狂った。
ひとり分の記憶すべて、あるいは記憶の断片とはいえ複数人分の混沌を別の人間へほどこさんと試せば、フランクベルト家暗黒時代に逆戻りだ。
フランクベルト家当主。つまりフランクベルト王国の君主が、ひとり残らず狂人であった時代。
つかのまとはいえ、フランクベルト家を呪いから切り離したのは、レオンハルト二世だ。
それまでのいかなる獅子王も、原罪から続く呪いを前にひたすら無力だった。
そのような観点に立ってみれば、レオンハルト二世はフランクベルト家に貢献したともいえる。
「当初の予定では、きみたちが育てていたこどもたちも招き、『歓待』するつもりでいたんだけどね」
皮肉には皮肉で応じようと、アルフレッドはレオンの言葉を借りた。
その言葉途中で弟ユーフラテスへと横目をやる。
「こどもたち――ジャックとリナだったな」
ユーフラテスは兄アルフレッドの促すような視線を受け、あとを継いだ。
「彼らのことは、心配せずともよい」
ナタリーはおどろいた。
傲慢そのものといった男が、まさかジャックとリナ、ふたりの名を把握しているとは。想像も期待もしていなかった。
ユーフラテスはナタリーには一瞥もくれず、レオンから目をそらさずにいた。
レオンはユーフラテスへといぶかしげなまなざしを向け、ユーフラテスはレオンへといたわるようなまなざしを返した。
「キャンベル家の令嬢が、彼らの現在と未来の安全を保証している」
のどの奥からしぼりだしたような低いかすれ声で、ユーフラテスは言った。
つけ加えた言葉が、はたしてレオンのなぐさめになるのかどうか。口にしたユーフラテス自身も、こころもとないようだった。
不遜に組んでいた腕はほどかれ、固くこぶしを握りしめたかっこうでわきにぴたりと沿わせている。
アルフレッドは弟ユーフラテスをながめ、ひきむすんだ口の端を片方だけつりあげた。
弟はあまりにわかりやすい。良心が痛むのだろう。罪と恥の意識がにじみ出ている。
「今はなきヴリリエールの力が、現代によみがえったんだよ」
皮肉げな笑みから一転、アルフレッドは両手をひろげてレオンに笑いかける。
「かつてのきみがすっかり還したつもりでいた、あの未来視だ」
レオンの注意が、やや離れたところに立つ弟王子ユーフラテスから、すぐ目の前に立つ兄王子アルフレッドへと移る。
アルフレッドはレオンの肩に手を置いた。なめらかな青いガウンの下で、レオンの体がこわばる。
「きみは神を信じる?」
探るようにレオンの茶色い瞳をのぞきこむアルフレッド。
まるで宗教家のような切りだしだ。
「信じるか否かはともかく」
レオンはしぶしぶこたえた。
「神と呼ばれる存在は認めます」
「奇遇だね。僕もだよ」
芝居がかった大げさなよろこびかたで、アルフレッドはレオンを抱擁した。
「僕たち、案外気が合うのかもしれないね」
アルフレッドが実際にそう考えていないことは、あきらかだ。
すくなくともレオンにとっては、王太子と気が合うようには思えなかった。
レオン自身は、いまだ神を信じたかった。
悪魔の在りようは信じずとも。
アルフレッドがレオンから身を離す。
青く若い香草に柑橘類の混じった爽やかな香りがただよった。ひそかな血のにおいもまじっていた。隠しきれていない、獣臭と煙のにおいも。
アルフレッドが扉付近へと横目をやり、レオンはつられてその視線の先を追った。
飾りだてすぎることのない、すっきりとした花台の上に、高級そうなどっしりとしたガラス花瓶があった。
花台と花瓶といった趣味の良い調度品とは対照的に、生けられた花からは芸術性が感じられない。
しかしながら、つやつやとした深緑色の葉が窓からさしこむ白い陽光をはじくと、レオンはなぜだか懐かしいような心地にさせられた。
アカンサスはレオンにリシュリューを思い起こさせた。一度もおとずれたことのないはずの、海岸沿いにある温暖な地。
続いてレオンの脳裏に浮かび上がったのが、荒廃したトゥーニスにぽつりぽつりと咲くアカンサス。
天へとまっすぐのびた茎。鈴なりに咲く、紫と白の花。生命力あふれる力強い葉。暗闇を照らすあかるい希望。
あれはまさしく、そういった光景だった。




