12 理不尽な悲劇
硬直するナタリーの背をかるく数回たたくと、レオンはナタリーの手を引いて立ち上がった。
「身に余るご歓待に感謝を」
レオンは深く頭をさげたままの姿勢で、目の前に並ぶ男たちを睨めつける。
「と、ひとまずは申し上げます」
たよりなく華奢な優男であるレオンは、せいいっぱいの虚勢をはるつもりで、悠然とほほえむ男を注視した。
彼が王太子アルフレッドにちがいない。
レオンとナタリーの目の前に立ちふさがる三人の男たち。そのうち、もっともひ弱そうな体躯の優男。レオンとはべつの、もうひとりの優男。
だが、彼には底知れぬ昏さがある。
レオンがさきほどまで対峙していた第三王子エドワード。オルレアンを母に持つという、彼の異母弟であろう青年に類似する昏さだ。
加えて彼は、レオンたち家族を襲ったもうひとりの王子ユーフラテスと顔の造作が似ている。百五十年前のジークフリートを想起させる顔立ち。
なによりも、彼はにおった。
彼が意図的にまとう芳香とはちがうにおいだ。
血にまみれた獣の毛皮。それから大地が焦げていぶされた灰と煙。
『その存在』と対峙することがあれば、空気という空気すべてが、そのにおいで埋め尽くされた。
対するアルフレッドは、並び立つ恋人たちを見比べた。
腰を折り頭を低くさげたまま、挑発的なまなざしで王太子を睨めつける医者もどき。ぼんやりと恋人の横顔をながめ、夢見る乙女のようにうっすらと頬を染める魔女。
対照的なふたりだ。いまのところ、こころざしを共有してはいないらしい。
「レオンとナタリー」
アルフレッドは彼らの名を舌の上で転がすように、小声でつぶやいた。
「百五十年前に引き裂かれた悲劇の恋人たち、か」
百五十年前だろうが古代だろうが現代だろうが、理不尽な運命に引き裂かれた恋人たちは、なにも彼らだけではない。
しかし彼らはどうやら特別な理由によって、特別な恋人たちになったらしい。
さまざまな景色がアルフレッドの脳裏にせわしなく浮かんでは消えた。
歴代獅子王たちの記憶。その断片だ。
◇
手負いの男女がテーブルをはさんで立ちすくむ。
部屋の幅いっぱいにのびた長いテーブルの上には、なぎたおされた燭台、ひっくりかえされた錫の杯。
杯からこぼれたワインが床へとしたたりおち、テーブルまでもが血を流しているようだった。
男の流す青い血とはちがう、女の流す赤い血とおなじ。目にもあざやかな赤い血を。
「逃げよ!」
血まみれの真っ青な口で、男がさけんだ。
「もはやもちこたえることはかなわぬ。我を捨て、ひとり逃げよ!」
見ひらききった女の双眸にうつるは、女の夫。
夫はおのが腹からこぼれおちた臓物を左腕で抱え、右手で長剣を頭上たかだかと掲げている。
重く長い聖剣を片手で軽々と掲げる夫の瞳は狂気に濁っておらず、ひさかたぶりの理性が輝く。
ちかごろでは絶えることのなかった狂気。夫はほんのひととき、おぞましい呪いから解放されたようだった。
夫の血と脂でよごれた聖剣が、むきだしの石壁に掛けた松明の炎を浴びてあやしくうごめく。
「そなただけでも生きのびよ! そして我が子を――」
男は最後まで言い終えることなく、妻の首を斬りおとした。
妻への必死の嘆願は獣のような怒号へと変わり、夫の手にかかった妻の体は、小枝のようにあちこち折られた。
男は正気を失したまま居室を抜けると、彼が築き守ろうと努めた彼の民へと襲いかかった。
敬慕する王。
それも切り裂かれた腹からこぼれた臓物が覗くという、あきらかな致命傷を負った王の襲撃。
ひとびとは驚愕した。抵抗する者はおらず、一方的な殺戮がつづいた。
騒ぎを聞きつけた彼の息子が、狂った父王を槍の柄でなぐりつけて昏倒させた。息子の表情や動きにためらいはなかった。
多大な恐怖と衝撃、困惑を残しながらも、ひとまず乱闘騒ぎがおさまる。
王は目覚めることなくそのまま静かに息をひきとった。
息子の命に応じて、家臣たちが王の遺体を丁重に運び去った。
床にはおびただしい青い血が残り、王の遺体のゆくえを追って点々と続いた。
息子は継母の無残な遺体を沈痛なおももちで見おろした。かとおもえば、すぐさま口をひきむすび、厳然と聴衆を見渡した。
息子は継母を指さし、口を開いた。
「この女は王妃でありながら、敵に通じた大罪人である!」
息子の叫びに、聴衆がどよめく。
「我が国の秘匿をこの者の生国へと売り渡したのだ」
息子がつまびらかにしたのは、おそるべき継母の罪だった。
「我らを高める清浄なる青い血ではなく、この女を蝕む下賤なる赤い血が、悪へといざなったのであろう」
青い血にくらべて赤い血がいかに悪へのいざないに弱いか、息子は聴衆に説いた。
「清めを授からぬ赤い血は、たやすく魔を引き寄せる。魔にあらがうには、赤い血では弱すぎる。魔に打ち勝つことはかなわぬ」
息子が継母の遺体を憎々しげに見おろす。
「この女はすでに、元来の王妃ではない。魔そのものだ」
そう言い結ぶと息子は継母の遺体に近寄り、つばを吐きかけた。
複雑に折れ曲がった遺体がつくりだす、赤く大きな血溜まり。そこへ白濁したつばが落ち、ぽちゃりと飲み込まれた。
王の狂乱の理由が判明し、ひとびとはそれなりに理解を示した。
哀れな王。妻の裏切りに遭い、憤怒に狂った。
王は強く偉大であった。と同時に、王は臣民におなじく、血肉がかよい、情をもち苦悩することもある、ひとりの男だった。
ただひとりの男でもあった、偉大なる王。王は逝ってしまった。
そうであれば、もはや悲劇は起こらないだろう。ひとびとは王の死を嘆きながらも安堵した。
これを機に、ひとびとのあいだで青い血の神聖性が急速に高まった。
ひとりの男が既設である教会の重要性を声高に主張しはじめたのも、ちょうどこのころだ。機運に乗じたのだろう。
国家転覆につながる大罪を犯した王妃は、王妃の称号をはく奪され、遺体は埋葬されずに野に打ち捨てられた。
この世に産まれ落ちることのかなわなかった胎児を腹に抱えたまま腐り、その亡骸は人知れず地に還った。ひとかけの骨すら、誰に拾われることなく。
いわずもがな、冤罪だった。




