11 再会の演出
「アル。その面様で御婦人の前に立たれることは、芳しからざるのでは?」
おだやかで低い、男の声。部屋の入口から聞こえてきた。
室内に不穏な気配が漂いはじめたところだった。
アルフレッド、ユーフラテス、ナタリー。だれもが声の主へと視線をやった。
開け放たれたままの扉の前、いかめしい大男が立ちはだかっている。
回廊からの扉向こうを起源とする光より、室内の窓からさしこむ光のほうが強く、大男の風貌は正面からくっきりと写しだされた。
陽に当たる側は明るい栗色に見えるが、影となった側は暗いブルネット。
突き出た眉骨に頬骨。眼球が奥へと引っ込んでいるために、瞳の色は判然としない。
羊肉についてきた骨ごと噛みくだいてしまいそうな、がっしりとした顎。
鈍い艶のある消し炭色の絹織物を白い立ち襟にきつく巻きつけ、巻いたその先端を重厚な毛織物のベストの内側に入れこんでいる。
生真面目な濃紺色のジャケットが大男のたくましい体躯を包むことで、ここが戦場ではなく王宮であることをどうにか示しているかのようだった。
ナタリーは奇妙な既視感をおぼえた。
どこかで会っただろうか。見覚えがある。
そうだ。ジャスパーだ。
ナタリーはおどろきに目を見ひらいた。
グレイフォードの領主ジャスパー・ジョンソン・キャンベル。彼が若者であったとき、おそらくこうであったろうというような。
いや、ジャスパーには見当たらなかった落ち着きと抜け目のなさが感じられる。
「『光の王子』は、いつなんどきもにこやかでいませんと」
武人らしい強面に浮かぶとは思われなかった、知性あるほほえみが大男の顔に浮かぶ。
「御婦人がたが残念がりますよ。とくに、あなたのその、華やかな優男ふうが好みだというかたがたが」
「それはまずいな! モテなくなってしまう!」
アルフレッドは顎から額にかけて、片手でなであげた。
実際には存在しない汗でもぬぐうかのような。あわてたそぶりが、いかにもわざとらしい。
「忠告をありがとう、バート」
まばゆいばかりの笑顔でアルフレッドが礼を言えば、「忠告ついでに申し上げますと」と、大男は続けた。
「その、発刊記念にしつらえたブーツ」
バートと呼ばれた大男がアルフレッドの足元、青染めの革ブーツをじっと見つめる。
「それはやはり、ダサいように私には見えますけどね」
青。
フランクベルト家を象徴する色。
大柄な体のはしから、あざやかな青がちらちら、のぞいて見える。
しっとりと艶のある青だ。ナタリーが身につけているのとおなじベルベットだろうか。
大男がマントを羽織っているようすはないが、しかしあるいは、前方からはそれとわかりにくいような、片翼のマントだろうか。
いや、ちがう。
大男とはべつのだれかが羽織るマント。もしくはガウンの裾だ。
大男とはべつのだれか。
彼は大男のかげに隠れている。いったいどのような人物かは不明だ。すくなくとも、大男よりは小柄であるにちがいない。
「あいかわらずバートはひどいな。僕はこの国の王太子だよ。王太子に向かってダサいとは」
アルフレッドは喜色満面で大男のもとへと歩み寄り、大男のたくましい二の腕を親しげにたたいた。
「というか、『ダサい』ってきみ、そんな言葉を知っていたんだね。驚きだよ」
「ええ。妹のネモフィラがよく、民のくだけた言葉をわめきちらし――いえ、指南してくれるものですから」
大男がため息まじりにぼやく。
ユーフラテスは眉をひそめた。
大男の嘆きに、ユーフラテスも心当たりがある。
大男。つまりはヒューバート・キャンベル。当代キャンベル辺境伯アルバートの嫡嗣。
ネモフィラとはヒューバートの妹の名であり、彼女はユーフラテスの婚約者でもある。
ユーフラテスとネモフィラ。両者がおさないころ、本人たちのあずかり知らぬところで、フランクベルト家とキャンベル家とが政略的に婚約を結んだ。
完全なる政略的婚約ではあったが、ユーフラテスとしては婚約者との交流を深めんと長年努めてきた。
婚約者の口にする言葉には真摯に耳を傾け、奇想天外な行動にも理解を示そうとした。ユーフラテスなりに心をくだいてきた。
それでも婚約者の言動はたまに――いや、頻繁に理解不能だった。
しかしながらその理解不能な言動も、最近では聞く機会をもうけられずにいる。
兄アルフレッドとその側近であるヒューバートというやっかいな双璧が、ユーフラテスを阻むからだ。
とはいえ、そういったすべてが、ナタリーには関係のないことだ。
彼らの内輪話になど、興味はひかれなかった。それどころではない。
ヒューバートが前に進み出たことで、その大きな体躯の担っていた間仕切りとしての役割が消失した。と同時に、青いガウンをひっかけただけの華奢な体が見えた。
レオンだ。
「レオン!」
言うがはやいか、ナタリーは駆け出した。
ゆたかな黒髪がふわりと浮かび上がり、疾風とともに後方へたなびく。
頭と腰にまきつけた金鎖がぐるりと一周して、黒曜石と真珠とで飾られた先端が、きらきらと輝きながら、波打つ黒髪とおなじリズムで揺れる。
猛進してくるナタリーを目のはしでとらえたヒューバートは、床と並行に左腕を挙上した。主であるアルフレッドをナタリーからかばうためだ。
アルフレッドが一歩さがれば、ヒューバートもまたさがり、男たちはその場をゆずった。
悲劇の恋人たちが、こころおきなく感動の再会を果たすことができるように。
男たちは片眉をあげ、思惑ありげに目を見合わせた。
男たちの目前をよぎる黒いベルベットリボン。川波にさからって泳ぐカワカマスのように、くねりながら通り過ぎていく。ナタリーのカフスに巻きつけたリボンだ。
床をすべる漆黒のベルベットドレスにはこまやかな光がきらめき、星屑がまたたくようだった。
石つくりの床を覆って敷き詰められた、ふかふかとした絨毯を、ナタリーは力強く蹴った。
前へ。すこしでもはやく前へ。飛びあがる。
「無事だったのね!」
ナタリーは青いガウンの主――レオンへとおもいきり抱きついた。
「ナタリー! あなたも無事で――」
華奢なレオンは、飛び込んできたナタリーを受け止めきれずによろめく。
「うわっ」
打撲によるめまいも重なり、レオンは体勢をくずして尻もちをついた。
ナタリーはかまわずレオンに覆いかぶさる。それから、その頼りない背中に腕をまきつけた。
ロープでしめあげるかのように、ぎゅうぎゅうと抱きしめる。しっとりとなめらかな青いベルベットガウンには、涙と鼻水でぐちゃぐちゃな頬と鼻先をなすりつけた。
「レオン! よかった!」
ひと目も気にせず、ナタリーは鼻声で再会の喜びを訴えた。
「目が覚めたのね」
ナタリーは顔をあげ、レオンの頬を両手でつつみこんだ。
こっくりと深い濃茶色の瞳。数多の生命をはぐくむ大地のように優しくてあたたか。
ごわごわの栗毛。畑の土をやわらかくし、馬や牛といった家畜を育て、屋根や寝床、土壁の粘土にと一家の生活に必須だった藁のよう。
愛おしいレオンの瞳、髪。ふるえる手でなぞっていく。
頭に巻かれた生成り色の平織り綿布が、やけに痛々しい。
「ええ。目が覚めました」
レオンははにかみ、とまどいがちにつけ加えた。
「深い眠りからも、おそらく」
ナタリーは息をのんだ。
動きをとめたナタリーの指先。レオンはその手をとり、ためらうようにナタリーの瞳をのぞきこんだ。
ナタリーの頬に白い涙の筋は残っていたが、もはや涙はとまっていた。ナタリーはぽかんと口をあけ、レオンを凝視している。
レオンは困っているようなほほえんでいるような、不可思議な顔つきになった。そうかと思えばとつぜん、ぎゅっと目をつむる。
そしてナタリーの指先をおそるおそる持ちあげ、ぎこちなく接吻を落とした。




