5 強奪者のホットチョコレート(3)
「エドワード殿下。失礼いたします」
使用人ふうの男が扉を開ける。
彼は入室の許可を待たなかった。
レオンはおどろき、使用人ふうの男とエドワードとのあいだで、視線を行き来させた。
使用人が部屋の主の返事を待たずして入室する。
今の時代、こういったことは慣例なのだろうか。
「そっか。もう時間だね」
エドワードはぶしつけな乱入者を咎めることなく、うなずく。
それからレオンへと視線を戻し、エドワードは立ち上がった。
「ボクの持ち時間はここまでのようだ。君、彼と一緒に行くといいよ」
エドワードが寝台から離れたので、レオンも立ち上がろうと羽毛布団を端によけた。
下半身を覆っていた羽毛布団がなくなれば、当然のことながら温もりが逃げていく。レオンはぶるりと体を震わせた。
寒さの厳しい冬でもないのに。レオンは己のひ弱さに舌打ちしたい心地で、いやらしいほどにやわらかくなめらかな寝台に手をついた。
むき出しの足をおろせば、寝台の下に靴が二足分、きちんとそろえて置いてある。
レオンが村で履いていた使い古しの革ブーツではなく、農作業用に履く木靴でもない。なめらかでつややかな絹織物で仕立てられている。
あきれ返るくらいに上等な品だ。
襲撃を受け、捕らえられ。そうしてここに連れてこられた。
レオンは咎人として拘留されているはずだろう。
それにも関わらず、目が覚めてすぐに会話をした相手といえばエドワード。この国の王子だ。
頭に包帯を巻くといった、ていねいな手当てをほどこされた状態で、レオンは豪華な天蓋つきの寝台に寝かされていた。そのうえ、この靴。
あらためておのれの格好を見返してみれば、とんでもなくやわらかな寝間着を身に着けている。
これではまるで客人あつかいだ。
用意された身分不相応な靴に、レオンはおそるおそるつまさきを通した。立ち上がろうと、寝台についた手に力をこめる。
とたん、強く打った後頭部が揺れた。めまいがレオンを襲う。
「おっと」
レオン同様に華奢なエドワードの手が、よろめくレオンへと差し出される。
「大変な失礼を――」
あわてて身を離そうとするレオンの耳元に、すかさずエドワードがささやきかける。
「ねえ。最後にボクから君に助言があるんだ」
レオンははっとして顔をあげた。
エドワードは片目をつむってみせた。それから肘にかけていたガウンを、レオンの肩にかけた。
寝間着の薄い生地から透けて見えていた、レオンの貧弱な肉づきが隠される。見た目にも体感的にも寒々しかったのが軽減する。
ガウンは暖かかった。
目にも鮮やかな青色の、手ざわりのよい肉厚のビロード生地。こまやかな金糸の刺繍。
――フランクベルト家の証。
レオンは身をこわばらせた。
「どうやら君は、『信憑性のないあやしげな前世とやら』を受け入れてはいないようだけど。君のその、不遜な態度こそが、レオンハルト二世の生まれ変わりである証ではないかい? もし君が本当に、ただの平民だというのなら、そうだなあ」
エドワードは考え込むようなそぶりで、赤いくちびるを指先でつまむ。
くちびるを指でいじくるのは、彼の癖なのかもしれない。
言葉の続きを待つレオンへと、エドワードの視線が戻ってくる。
もともと軽薄そうな口ぶりに、よりいっそうからかうような調子を込めて、エドワードは続けた。
「この国の王族として、『ボクたち』は君の不敬を許さなくてもいいよね」
レオンは目をまたたかせた。
エドワードは『ボクたち』という言葉を強調した。
「じゅうぶんに気をつけたほうがいい」
窓からさしこむ、まばゆいばかりの光に照らされた、エドワードの黒々としたまつげ。白くなめらかな頬。赤く薄いくちびる。
「王太子――アルフレッド兄上は手ごわいよ。彼は慈悲深いユーフラテス兄上とはちがう」
エドワードはにっこりと笑って、レオンから離れた。レオンは何も答えず、ただ頭を下げた。
思わせぶりなほほえみを浮かべるエドワード。
レオンは彼に背を向けた。
どこに連れていかれるのかはわからない。レオンはおのれを導く男の背を追い、回廊へと足を踏み出した。
レオンたち家族を強襲したのは、エドワードの言うところ『慈悲深いユーフラテス兄上』だ。
そうであれば、彼より慈悲心をもたないという王太子アルフレッドとは、いったいどのような人物だというのだ。
しょせん、王族はみな強奪者だ。
親愛王アルブレヒトは南島トゥーニスを侵略した。
それまでトゥーニス人たちが築いていた都市国家を、完全に破壊し尽くした。
元来のトゥーニス島では、複数の部族が力の均衡を保ち牽制し合うことで、島を支配していた。
親愛王が介入する以前から、部族同士のいさかいは常にあった。そこを衝いた。
もともとくすぶっていた各部族の反目をあおり、一部族へ肩入れしては、内乱を画策した。
親愛王の援助した部族がトゥーニス島唯一の支配者として勝ち残れば、彼らから権威をとりあげた。
平和なトゥーニス島に無益な戦乱をもたらした罪人として裁いた。
トゥーニスという異なる法、文化に信仰を持つ土地へ、フランクベルト王国法を持ち込んだ。フランクベルトの国教を布教した。
信仰の自由を高らかに宣言しながら、島従来の神を崇める者たちには、改宗を求める代わりに、高額な納税を強制した。
そうして得たのが、チョコレートだ。
トゥーニス島においてチョコレートは、彼らの崇める神がトゥーニス人にさずける霊薬とされていた。
トゥーニス掌握を命じる親愛王に代わって、実際にトゥーニス島に降り立ち、戦略を練り、あざやかな戦術で快挙を挙げた男。現地民から金銀財宝に名誉を奪いつくし、惨殺した男。
その男がトゥーニス征服の証のひとつとして、親愛王アルブレヒトにチョコレートを献上した。
親愛王はたいそう喜び、男をトゥーニス総督として任命した。
その男とは。
エノシガイオス公パライモン九世――即位前の当時は公子メリケルテスを名乗った――に斬殺された、トゥーニス総督ボードゥアン。その父。
父ボードゥアンに同じく、トゥーニス総督官邸前の広場にて、その首を槍に突き刺され晒されたバティスト。その祖父。
そして、パライモン九世やエノシガイオス兵らに凌辱され、最期には父ボードゥアンと同じく、パライモン九世の手によって胸を貫かれたデルフィーヌ。その祖父。
ロッシュ家のヴァンサン。
南島トゥーニスの征服者。
ヴァンサンはチーチーという、ひとまわり近く離れた、年若く麗しい娘を娶った。
トゥーニス部族同士の内乱にて既に戦死していた大部族長。その娘がチーチーだ。
チーチーは婚姻の翌年、夫ヴァンサンとのあいだに息子をもうけた。
ヴァンサンは島民に主張した。
ロッシュ家のトゥーニス支配は正当であり、今後トゥーニスがフランクベルト王国の属領となることを。
なぜなら、大族長の娘チーチーの血筋を継ぐ息子ボードゥアンが、ロッシュ家に誕生したからだ。
島民はヴァンサンの主張を受け入れた。
トゥーニス島の植民地化は急速に進められており、島の住人の大半はフランクベルト王国から移住した者たちが占めていた。
こうして南島トゥーニスはフランクベルト王国の属島となり、ヴァンサンがトゥーニス総督となり、その息子ボードゥアンが後を継ぎ。
強奪者ヴァンサンの息子ボードゥアンは、同じく強奪者エノシガイオス公パライモン九世によって殺された。
南島トゥーニスの植民は、親愛王アルブレヒトによる征服戦争の一環だった。
エノシガイオスかぶれの親愛王が、エノシガイオスによる大陸制覇の野望を真似たのだ。
エノシガイオスとともに足並みをそろえ。
あるいは、フランクベルト王国とエノシガイオス公国という、対立する二大国として。
親愛王アルブレヒトは、世界征服を目論んだ。
そんな父アルブレヒトを、その息子ヨーハンが父の野望ごと斃した。
野心に蝕まれる父を斃したのちに、悪夢に蝕まれるようになったヨーハン。
そんな父ヨーハンの最期を目の当たりにした息子レオンハルトが、先祖から脈々と受け継がれる獅子王の呪いを引き継いだ。
レオンハルトは軍を率いる際、兵士らに手ずからホットチョコレートをふるまった。
補給部隊が到着するまでのあいだ、兵士らの体を動かし続けることができるように。じゅうぶんに戦えるように。
トゥーニスからフランクベルトへともたらされたホットチョコレート。
もとはトゥーニス人の神がトゥーニス人に与えた霊薬だった。
それがレオンハルトの指揮官時代になると、トゥーニスを蹂躙したフランクベルト兵士へと力を分け与えることになった。
そしていまや、トゥーニスを植民地とするフランクベルト王国。その王子エドワードの嗜好品だ。
エドワードは理解しているのだろうか。
彼の好むホットチョコレートが、そのような歴史をたどったことを。
残忍な強奪者たちがフランクベルト宮廷にもたらした、おぞましい勝利の祝杯であることを。




