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27 王太后マリーの出立(2)




 王太后マリーの国外追放。

 追放先は敵国エノシガイオス。さらにくわしく言及すれば、フランクベルトが一度は制覇(せいは)掌握(しょうあく)した、半島トライデントである。

 新王レオンハルト二世による、この冷酷ともいえる生母(せいぼ)への仕打ちは、国民のあいだで王の名声と人気をより高めることに成功した。


 新王の母マリーの悪名(あくみょう)

 それは宮殿にとどまらず、王都中に流布(るふ)していた。

 宮殿に仕える下級官吏や下働きの使用人、出入りする商人から、王都に暮らすさまざまなひとびとへと。


 新王レオンハルト二世の戴冠式において、建国王の名が同名のレオンハルトであったと広く明かされたこともあり、レオンハルトの即位は国民から熱狂的に受け入れられた。

 それでなくとも、トライデントの戦における功労者だ。若き英雄としても、レオンハルトの名は民衆から非常に人気がある。

 見目(みめ)も極めて美しい。

 それにくらべて、地味で見栄えのしないばかりか、トゥーニス劫掠(ごうりゃく)へと至る禍根(かこん)までもを次世代に残した先王ヨーハン。

 愚かな父王のしりぬぐいは、息子である新王レオンハルトが即位早々にかたをつけた。


 先王ヨーハン統治下における、フランクベルト暗黒時代は終わった。

 華やかな新王レオンハルトによる、フランクベルト黄金時代が幕をあける。


 新王唯一の汚点となりうるのは、新王の母が姦婦(かんぷ)であったということだ。

 色欲に溺れただけであれば、まだよかった。

 しかしそうではなかった。

 新王の母マリーは、夫を奸計(かんけい)にはめ、邪神や悪魔に通じた、呪わしい悪女。悪しき魔女であった。


 だがしかし。

 その悪しき魔女マリーとて、今日この日、フランクベルトから出国する。

 実質、国外追放のようなものだ!


 民衆は歓喜に沸き立った。

 それだけではない。慶事(けいじ)はまだまだ続き、まったく事欠くということがなかった。


 長年の婚約関係にあった、摂政王太子ジークフリートとメロヴィング公女ミュスカデとの婚姻も正式に決まったのだという。

 摂政王太子が以前、突然の王位辞退という声明を出したときには、それはそれは、国中に動揺が走ったものだった。

 しかしこうして、すべてがおさまるところにおさまったではないか。

 ジークフリートとミュスカデ。

 心身ともに健全で聡明な、理想の王子様と理想のお姫様。その結婚。

 今度こそ、しあわせな恋人はしあわせな夫婦となるのである!


 憎まれ役である王太后マリーの出立は、予想されたような罵声(ばせい)ではなく、熱狂的な歓喜でもって見送られた。

 沿道は花籠(はなかご)を抱えた民衆に埋め尽くされた。

 馬車の去ったあとには、大量のバラの花弁が落ちていた。


 悪しき魔女がフランクベルトに戻ることは、二度とない。そうにちがいない。

 誰しもが幸福に満たされていた。


 トライデントへと出立するひとびとを乗せた馬車の一行が去り、王宮にはしだいに静けさが戻る。

 新王レオンハルトと摂政王太子ジークフリート。それから彼らの祖父リシュリュー侯爵シャルルと、その息子ヴィエルジュは肩をならべ、宮殿へと歩を進めた。

 妹マリーとの別れを惜しんでか、彼女の兄ヴィエルジュもめずらしく王都まで顔を出した。


 中央を歩くのが、先日即位したばかりのフランクベルト王レオンハルト二世。

 新王は黒貂(くろてん)の毛皮がぬいつけられた黄金のマントを羽織っている。

 血に(まみ)れた先王ヨーハンの品をそのまま受け()いだのではなく、まだ少年であるレオンハルトの体躯に合わせて仕立てられた真新しいマントだ。


 威厳あるマントに見合わず、おさない顔つきの少年王を支える兄ジークフリートが、弟王の右隣に。

 兄は青のチュニック姿。肩にはケープを羽織っている。

 チュニックとケープの双方ともに、あざやかな青だ。刺繍の意匠は、フランクベルト家を示す獅子。

 腰には太い硬革ベルトが巻きつき、のどのすぐ下あたりには獅子の横顔をかたどる留め金。立ち襟にかみつくようなかっこうで、獅子の飾りが留まっている。


 新王の左側には、王の祖父かつ王の上級顧問であるリシュリュー侯爵シャルル。

 そのななめうしろをシャルルの息子ヴィエルジュ。


 ヴィエルジュは父シャルル同様、淡紫の朱子織(しゅすお)りシルクの上衣を身に着けている。

 彼ら父子の後ろ姿はよく似ていた。

 細長い手足、華奢ながらまっすぐにのび、軸のしっかりした背筋。巻き毛の巻き具合にいたるまで。

 父シャルルの髪色が退色し、息子の手元を飾る指輪が安物であることを除けば、生き写しのようだった。


 ふと回廊途中で、リシュリュー侯爵シャルルが立ち止まった。



「まことに残念ながら、私はこのあたりで」

 うやうやしくこうべをさげるシャルル。

「七忠の面々へ、あらためて挨拶にうかがわねばなりませんので」



 裾の長い上衣がひるがえり、遠のいていく。ついには淡い紫色の光が曲がり角に消えた。


 レオンハルトは、兄ジークフリートと伯父ヴィエルジュへと視線を走らせた。

 年長者ふたりは、幼い王のとまどうようなまなざしを寛容にうけとめた。発言をうながすように、それぞれが王へとうなずいてみせる。

 少年王はおそるおそるといった具合に、口を開いた。



「母は去りぎわに、エノシガイオス公母夫人になると息巻いていました。しかし」

 レオンハルトはいぶかしげに眉をひそめ、ささやいた。

「エノシガイオス公の妃は亡くなったものの、故トリトンの妃は健在でしょう。そううまくいくかどうか」


「あれほど薄情な母親もいないでしょうに、陛下はご心配を?」

 ヴィエルジュが甥レオンハルトをからかう。


 伯父の口ぶりでは、甥がいまだ母を慕ってはすがる、幼い少年であるかのように聞こえた。



「伯父上の質問の意図がわかりません」

 レオンハルトはむっとして伯父ヴィエルジュを()めつける。

「心配はしています。ですが、それはこの国の王としてです!」


「ご心配は無用です、陛下」

 ジークフリートは伯父ヴィエルジュの軽口を聞き流し、語気を強めた弟王レオンハルトを力づけてやる。



「兄上」

 レオンハルトが兄ジークフリートへと向き直る。

「この場にいるのは、僕と兄上。それから伯父上だけです。どうぞ不勉強な弟に兄上の教えをさずけてください」


「おおせのままに」

 うやうやしい口ぶりでそう言ってから、ジークフリートは弟王にほほえみかけた。

「レオン。おまえも公子妃ディオネの人物像を聞いたことはあるだろう」



 摂政王太子としてではなく兄として、ジークフリートは弟と向き合った。

 しかしレオンハルトは兄から目をそらした。

 弟は無知を恥じたのだ。



「いえ、その」

 レオンハルトはうつむき、マントの下で身じろぎした。


 ディオネのことなど、まるで知らなかった。

 彼女がいずれの国からエノシガイオスへと嫁いできたのか。その程度であれば知っていたけれど。


 ヴィエルジュは気まずげにもじもじする王に横目をやり、それからもうひとりの甥へと目をやった。兄のほうはすこしばかり、あきれ顔をしていた。

 ヴィエルジュは小さく肩をすくめ、哀れな王の代わりに話を継ぐことにした。



「トリトンの正妻ディオネはテイア帝国の出自で」

 そこまで言うと、ヴィエルジュは言葉をとぎれさせ、なにかを探るように視線をさまよわせた。

「あの方はむかしから無邪気で純真な――真に善性の、光り輝く方です。陛下のご心配にはおよびません」







 噂には聞いていた。

 だがこれほどまでとは。

 マリーはトリトンの正妻ディオネを前に、衝撃を隠せなかった。


 対面するマリーとディオネのあいだを、潮風が通りぬけていく。

 白い列柱越しに見えるのは、池を中央に()えた庭園。マリーの瞳の色と同じ、(あお)水面(みなも)が、海から吹きつける風にさざめき波打つ。


 中庭に面した回廊には、モザイクタイルが敷かれ、庭まで続く。

 庭中央にある長方形の池。その両側を、大理石の神像が並び立つ。

 池を取り囲むように置かれた赤褐色の粘土鉢。緑の葉と紫の花の、目にもあざやかな色彩。

 粘土鉢に同じく、赤褐色の粘土煉瓦(れんが)が池のふちどりをしていて、海へとつながる一辺だけ、煉瓦がない。

 煉瓦囲いの途絶えた場所からは、池の水が白い水しぶきをあげながら、海へと流れ落ちていく。


 亡きトリトンの居館であり、今は彼の正妻ディオネが暫定的(ざんていてき)(あるじ)として住まう館だ。

 トリトンは生前から、ディオネを正式な妻として周囲に徹底して認めさせていたのだろう。

 だからこそ夫トリトン亡き今も、ディオネはトライデントにて行き場を失うことなく、テイア帝国に送り返されることなく。

 仮とはいえ、トライデント騎士団長館の主としてマリーの前に立っている。


 かつてマリーは恋人トリトンに求めた。

 政治的野心のためがだけに、彼の正妻ディオネを抱くように、と。


 高潔であることを厳しくおのれに課していたトリトンに、いったいどれほどの苦悩を与えたことだろう。

 無垢(むく)なる少女のようなディオネは、トリトンが与えたいっときの温もりの意味を、理解できたのだろうか。


 マリーはおのれの罪深さを改めて自覚した。

 トリトンとマリーが、その幼く傲慢な恋を押し通すことで、どれだけのひとびとをどれほど苦しめたのだろうか。


 マリーはあざやかなモザイク床へと視線を落とした。

 涙を流さぬように耐えることでせいいっぱいだった。



「マリー様はお友達になってくださるわね?」

 ディオネは無邪気に笑いかけた。

「これまでとってもさみしかったのよ。だってずっと、ひとりぼっちだったのですもの」


「ええ。もちろんです、ディオネ様」

 マリーは顔を上げ、どうにかほほえんだ。

「これからはマリーがおそばにおります。ディオネ様をひとりぼっちになどさせません」



 ほっそりとしたマリーの手が、ふっくらとしたディオネの手をすくいあげた。

 黒い絹で覆われたマリーの手と、むき出しで陽に焼けたように浅黒い肌のディオネの手。


 ディオネは「きゃあ」と叫んだ。

 彼女のまるい肩を覆う、クリーム色のなめらかな朱子織りシルクが、たっぷりのドレープを描きながらとびはねる。

 豊かな黒髪を海と見立て、寄せる波のように重なり連なる真珠の髪飾りが、しゃらりと音を立てる。


 ディオネの黒髪と浅黒い肌、クリーム色のドレス。マリーの金髪と白い肌、黒いドレス。

 白くまばゆい陽光が、並び立つ白い柱の合間をぬってディオネとマリーの女ふたりのもとへ降り注ぐ。そして女たちを照らした光は、そのままの強さで照り返される。



「これからはずっと、お友達ね。約束よ」

 ディオネはマリーの首すじに頬をすりよせ、抱きついた。


 ゼラニウムの香りが、マリーの鼻先にぷんと香った。

 みずみずしい緑と咲き誇る花々を思いおこさせる香り。さわやかで、ほんのりと甘い。

 ディオネの黒髪に塗りこめられた精油の香りなのだろう。



「ええ、お約束します」

 マリーはディオネの背に、そっと腕をまわした。


 肉づきが豊かで、幼子のように体温の高いディオネ。

 しっとりとやわらかく、マリーの手になじんだ。


 館の上空で、つがいの海鳥が鳴いた。






(第5章 了)

 ヨーハンを主人公とした派生作品「王子さまとキャラバン(https://ncode.syosetu.com/n0732jv/)」がございます。

 あわせてご覧いただけますと、とても嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
感想遅くなってしまいましたが、第五章完結おめでとうございます! 最初のほうのマリーの描写があまりにも壮絶なので、「マリー完全に狂女?」と慄きました。でも息子のことを出されたとたんに正気に戻る……。やっ…
遅ればせながら、第5章の完結お疲れさまです。 王太后マリーが丁寧に描かれて、彼女の胸の内にある夫ヨーハンやトリトンの姿が浮き彫りになって、読み応えのある章でした。 ヨーハンを激しく憎んでいたことも、振…
第5章 了!! お疲れ様でした!(^O^)/
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