26 似たもの兄弟
暗闇に包まれた応接間。その奥からのびる回廊を、橙色の明かりがゆらゆらと左右に振れながらやってくる。
ロジャーのかかげるオイルランタンだ。
光が近づくにつれて、ロジャーのうしろを歩くジャスパーの、熊のように大きな体が浮かび上がった。
ロジャーに起こされ、目覚めたばかりなのだろう。寝間着の上に、重そうな毛織物のガウンをひっかけただけの姿だ。
「旦那様」
オウエンは応接間の入り口に立ち、ジャスパーを待っていた。
「おやすみのところ、申し訳ございません」
「いや、無事に戻ってよかったぜ。おかえり」
豪快な大あくびのあと、ジャスパーがのんびりと手をあげる。
「それにしても早かったな。ヒューバートに会いに、わざわざ王都まで足を伸ばしたんだろ? 当分は戻ってこねえんじゃねえかって、テレーズ嬢と話していたところだったんだ」
オウエンはグレイフォードを出てすぐ、キャンベル辺境伯領にあるキャンベル宗家屋敷へと向かった。
キャンベル一族の当主であるキャンベル辺境伯アルバートへ、グレイフォードにおける懸念事項を相談するためだ。
ジャスパーははじめのうち、「よせ」とオウエンを制していた。
なんらかの事情でグレイフォードへと身を寄せたのであろうテレーズとナタリーについて、余計な詮索をするな。騒ぎを大きくするな、と。
だがオウエンはついに、キャンベル一族当主アルバートへと訴える権利を、主ジャスパーから得ることができた。
ナタリーとテレーズ、どちらが厄介ごとの持ち主か。というジャスパーとの賭けにおいて、オウエンが勝ったからだ。
「ええ」
目の前で立ち止まったジャスパーを見上げ、オウエンはうなずいた。
「馬に休憩させるほかは、可能な限り走り続けましたから」
「そりゃあ、ずいぶんと無理をしたもんだ」
ジャスパーはオウエンの肩に腕を回した。
「ご苦労さん。疲れたろう。詳細についての報告は、ゆっくり休んでからでいいぞ。まずは寝ろ」
「そうはまいりません」
オウエンがジャスパーの寝ぼけまなこを睨めつける。
「ヒューバート様から、緊急の確認を頼まれました」
◇
キャンベルの屋敷にたどりつくと、オウエンはアルバートへ訴えかけた。
オウエンのようやくの嘆願を、アルバートはちゃんと聞いた。質問をはさまず、ひととおりオウエンの話すに任せた。オウエンの目をまっすぐに見つめ、ときおりは「うんうん」とうなずき、真摯に聞いた。
オウエンがすっかり話し終えると、アルバートは太い腕を組み、天井を睨めつけ、しばらくうなった。
そうしてからアルバートは、オウエンに「すまん」と謝った。
「俺では力になれん」
ジャスパーをいっそう厳めしくしたような凶悪な顔つきのアルバートが、情けなさそうに体を縮こまらせる。
「頭を使うような込み入った問題は、息子のヒューバートに任せておってな」
「さようでしたか」
オウエンは驚くこともなくうなずいた。
「ではヒューバート様の元へ、私がうかがってもよろしいでしょうか」
オウエンはもちろん、アルバートの人柄を知っている。
もとはといえば、キャンベル宗家で扈従をしていたのだ。
ジャスパーがキャンベルの屋敷を出てグレイフォードを治めることになり、ジャスパーの供についてきた。
「うむ。そうしてくれ」
アルバートはごつごつと岩のようにつき出た額をなでた。
「ヒューバートは王都に滞在中だ。おまえにはさらに遠くまで出向かせることになる。悪いな」
「いいえ」
オウエンはソファから腰を浮かせた。
ロデ風に、ソファへと張られた深紅のビロード。天井からさんさんと注がれるシャンデリアの、きらめく光で艶めいている。
ソファもシャンデリアも、そのほかすべて。オウエンがこの屋敷で扈従をしていたときとは、すっかり様変わりした。
「王都へ向かえば、ひさしぶりにイリス奥様とお会いできるでしょうから」
オウエンはそう言って、にやりと笑った。
「アルバート様の代わりに、お美しいイリス奥様と愛らしいネモフィラお嬢様。うるわしき貴婦人方との楽しい時間を過ごすことにいたします」
アルバートとジャスパーの兄弟は、よく似ていた。
大柄であるとか、いかにも武人然として威風堂々としているとか。そういった見る者に血脈を思い起こさせる風貌だけにとどまらない。
些事にこだわらず、ほがらかで人情に厚いといった気性も、同様によく似ていた。
オウエンがジャスパーの門出に付き添ったのは、アルバートを厭うていたからではない。
アルバートの住まうキャンベル宗家屋敷では、オウエンの父が、今もなお現役で家令をつとめている。
それにアルバートは、もとはロデ王族であったイリス――アルバートとの婚姻を機に、ロデ王族としての称号すべてを剥奪され、相続財産や王族年金といったすべての財産をロデに返還放棄している――を妻に娶った。
そのうえヒューバートという頭のきれる嫡男までもうけたのだ。
ならばオウエンが支えるべきは、独り身のお人好しジャスパーだろう。
「オウエン。おまえというやつは」
いかにも鬼将軍といった風貌のアルバートは、見捨てられたこどものような顔でオウエンを見た。
それからアルバートはがっくりと肩を落とし、「イリスに、俺がさみしがっていると伝えてくれ」と言った。
「もちろん、ヒューバートにネモフィラ、ハロルド。こどもたち全員にもだ」
アルバートの口ぶりには、どこか水気を含んだような、哀切を感じさせる響きがあった。
「家族に会いたいものだ」
こうしてオウエンは、キャンベルの本屋敷からヒューバートの住まうキャンベル王都屋敷へと、馬を走らせたのである。
◇
「ヒューバートから、緊急の確認だと?」
ジャスパーは眉をひそめる。
「そりゃなんだ」
「まずはお部屋の中へ」
オウエンは応接間へとジャスパーをうながす。
「テレーズ様もお待ちです」
「テレーズ嬢まで起こしたのか」
ジャスパーの声が低く、険を帯びるようになる。
「彼女は今日いちにち遊覧して回り、疲れているんだぜ。熱だって出した」
ジャスパーとオウエンの間にはさまれたロジャーは、居心地が悪かったのか、そそくさと応接間の中へ逃げた。
「テレーズ様が熱を」
オウエンが息をのむ。
「申し訳ございません」
かと思えば、オウエンは謝罪した。
「テレーズ様のお体を考慮せずに、そのような行程を組んだ私の不手際です」
「いや、それは気にするな」
ジャスパーはきっぱりと否定した。
「ナタリーからも『なんでもかんでも制限して楽しみを取り上げるのはやめろ』と叱られたばかりだしな」
昼間のやりとりを思い出したのか、ジャスパーが苦笑いする。
だが、すぐさま険しい顔つきになった。
「とはいえ、だ。テレーズ嬢が熱を出したと、おまえは知るよしもなかったろうが。そうはいっても、時間を考えろ。深夜だぞ」
ジャスパーの気迫にはすごみがあり、応接間へと逃げたはずのロジャーを震え上がらせた。
「テレーズ嬢まで起こしたのには、相応の理由があるんだろうな」
「ええ」
オウエンは答えながらも、せわしなく視線をあちこちにやり、落ち着かない。
「どうした?」
ジャスパーは当惑して眉間のしわをゆるめ、オウエンの顔を覗き込んだ。
「おまえらしくもねえ」
「旦那様」
オウエンがこわごわとたずねる。
「ナタリー様が今どちらにおられるか、ご存じですか」
「そりゃ部屋で寝ているんじゃねえのか」
ジャスパーは首をかしげた。
「いいえ。まずケイトに見に行かせたときには、ナタリー様のお部屋にもテレーズ様のお部屋にも、どちらにもおられませんでした」
そこでジャスパーが口を開きそうになったのだが、オウエンはジャスパーに隙を与えずに続けた。
「旦那様のお部屋以外すべての部屋を、使用人一同、手分けして探しております。また、見落としがあってはいけないので、ナタリー様とテレーズ様のお部屋をもう一度、ケイトと共に私自身も確認してまいりました。テレーズ様にもご協力いただきました」
「おう」
ジャスパーは事態をのみこもうと顎鬚をひっぱり、オウエンの話に耳を傾けている。
「それで、どうだった」
「ナタリー様のお姿は、見つかっておりません」
オウエンは応接間の中へと視線を投げた。
厚手のガウンに身を包んだテレーズが、胸の前で両手を組み、こきざみに体を震わせている。
ケイトはテレーズのすぐうしろに立って寄り添うものの、テレーズへと気遣わしげなまなざしを注ぐことしかできなかった。
身分の異なるお嬢様テレーズに声をかけていいものなのか。触れていいものなのか。
そうであればどうやって、なにをして落ち着かせるべきなのか。
モールパ家のお嬢様テレーズがグレイフォードで過ごしやすいように。
ケイトがこの館へと父オウエンによって呼び出されたのは、テレーズの身の回りの世話をする女使用人が必要だったからだ。
だが、テレーズの肩をさすり励ます、親しい扈従の役割はもちろんのこと。挨拶を交わす以外の直接的な関わりを、これまでにケイトは持ったことがなかった。
それはナタリーの役割だったからだ。




