25 使用人たちのから騒ぎ
森の奥で、夜行性の鳥が羽音を立て、飛び去った。
騎馬が荒々しく森へと踏み入ってきたことに恐れてだろう。
濃紺色の夜空に浮かぶ橙色の丸い月は、南から西へと傾いていた。
「ナタリー様がどちらにおられるか、わかるか?」
帰館そうそう、オウエンが深刻そうな顔つきで、まだ起きている使用人たちをたずねてまわった。
「ナタリー様ですか?」
酒やナッツの散らばる乱雑なテーブルを囲い、使用人仲間とカードゲームに興じていたロジャーが、とまどい顔をあげる。
「テレーズ様のお部屋か、もしくはその隣室でおやすみかと思いますが」
「どちらの部屋にもおられなかった」
オウエンは低くおさえた声で言った。
「さきほどケイトに確認に行かせたのだが」
ケイトというのはオウエンの娘だ。年は十六になったばかり。
ふだんは母サラとともに市街地で仕立て屋を切り盛りし、父オウエンとは離れて暮らしている。
これまでジョンソンの館において、洗濯女を除けば、女使用人が皆無だった。
名家モールパのお嬢様テレーズを迎えるのに、これではいけない。若い娘をせめて一人でも。
そう思い、ジャスパーとテレーズの見合いが実現する前に、オウエンは長女ケイトを呼び寄せた。
「ナタリー様がいらっしゃらないのですか」
ロジャーはテーブルにカードを置き、立ち上がった。
「ケイトが確認を? もしかすると暗闇に怯えて、室内がよく見えなかったのかもしれません」
そわそわと落ち着きなく、ロジャーは言った。
「何が言いたい」
オウエンがロジャーを睨めつける。
「なんたって、ケイトはまだ十六の乙女ですからね。誰もが寝静まった広い館なんて、怖いに決まっています」
いかにも正義感ぶった演説をするロジャーだが、にやけ顔が隠しきれていない。
「そうですとも。責任感の強いしっかり者のケイトだって、頼れる男の一人でもついていなくちゃ、見落とすことだってあります」
「ならばどうする」
オウエンは問いかけながらも、答えは明らかだと感じた。
しかしロジャーの口から言わせぬことには、否定する口実がない。
理由もなしに一方的に叱責するのでは、ジョンソンの館を預かり使用人たちを統括する家令として、あるべき姿ではない。
「私がケイトと共に、もう一度確認しに参りましょう」
ロジャーは卓上のオイルランタンをつかむと、きょろきょろと浮かれた様子であたりを見渡した。
「ケイトは今、どこに?」
「その役は父親である私が担う」
オウエンは冷たく言い放った。
「ロジャー。おまえはケイトではなく、旦那様をお呼びしろ。緊急だとな」
ロジャーの仕事ぶりはそれなりに認めている。
そろそろ執事を名乗らせ酒蔵を管理させてやるよう、ジャスパーに具申する頃合いだ。
だがケイトの恋人役とは認められない。認めたくない。
家令としてそれほど頻繁には館を離れられないオウエンと、市街地で仕立て屋を営むサラ。
互いの仕事のために別居せざるをえないが、夫婦関係は良好で、ケイトは二人の大切な一人娘だ。
「旦那様を?」
ロジャーは目を丸くした。
「もうご就寝されていますよ」
「緊急の案件だと言っているだろう」
ロジャー以外の使用人たちの手からも、オウエンによってカードが取り上げられる。
「他の者は馬頭を叩き起こして、馬の数を数えてこい」
オウエンが鋭い口ぶりで指示を出す。
「それから食糧庫の管理担当の者と料理人も起こせ。食糧庫と厨房を調べさせろ」
肩を怒らせ立ち去るオウエンの背に、カードゲームの勝者によるぼやき声と、敗者による安堵の声があがった。
「ちくしょう、あと一枚揃えばあがりだったのによ」
「へへ、これで負け越さずにすんだぜ」
オウエンのせいで。オウエンのおかげで。
めいめいが好き勝手しゃべるのをオウエンは振り返り、「おまえたち。今晩は賭けの勝ち負けどころでは済まねえぞ」と忠告した。
「へえ!」
使用人のひとりが目を丸くする。
「誰より賭けごとが好きなあんたが言うこった。そうとうの事態だな」
「おうよ」
オウエンは渋い顔でうなずいた。
「そのとおりよ。『そうとう』だ」
オウエンの肯定を受け、「こうしちゃいられねえ」と使用人たちが慌てふためき、散り散りに飛び出していった。
ロジャーはぶつぶつと文句を言いながらも、ジャスパーの寝室へと向かう。
オウエンは彼らの背中を見守ると、自室に向かった。ケイトを迎えに行くためだ。
ケイトをジョンソンの館に迎え入れるのに、しばらくの仮住まいとして、オウエンの私室にケイトを住まわせていた。
「ケイト!」
オウエンはドアノッカーをたたくことなく、扉をあけた。
「きゃあっ!」
ケイトは飛び上がった。
「なんだ、父さんか」
かと思えば、廊下に立つ父オウエンの渋面を見つけ、胸をなでおろす。
「ノックぐらいしてよ。びっくりしたじゃないの」
オウエンの視線が、ケイトの右手にそそがれる。
ケイトはあわててガラスの杯をテーブルに置き、ついでに半開きのキャビネットの扉を乱暴にしめた。
オウエンは片眉をあげたがそれきりで、娘の飲酒に言及しなかった。
「ここは俺の部屋だ。ノックの必要がどこにある」
オウエンがずかずかと部屋に入りこむ。
「こい。もう一度テレーズ様とナタリー様のお部屋へうかがうぞ」
そう言ってオウエンは、娘の手首をつかみ、強い力で引っぱった。
「いたい!」
ケイトは父オウエンの手をふりはらった。
「子供じゃないんだから、手を引かれなくったって歩けるわよ。もうすっかりレディよ。ロジャーだってあたしの魅力に、すっかりまいっちゃっているんだから」
「なにがレディだ。ケツの青い子供だろうがよ」
オウエンはランタンを掲げ、足早に廊下を進む。
「そのくせ、いっちょうまえに色気づきやがって。おまえはなんのためにこの館に来たんだ。頭に花咲かせるためじゃねえだろうが。俺のいねえ間に、バカなことをしちゃいねえだろうな。サラを泣かせるなよ。母さんは大事だろ」
「ふん」
ケイトは手首をさすりながら、父の後をついていく。
「テレーズ様とあたし。それほど年は変わらないんじゃないの? それなら、あたしだって恋のひとつやふたつ」
「名家のお嬢様とおまえが同じ舞台に立てるなんぞ、うぬぼれるな」
振り返ることもせず、とりつくしまのない父オウエンに、ケイトは癇癪で身もだえした。
「ああ! 腹立つ!」
「はん」
オウエンは振り返り、鼻で笑った。
「地団太を踏む子供そのものじゃねえか」
「くそ親父」
ケイトは父オウエンを睨めつけた。
「まずは風呂でも入ったらどうなの? 臭うよ。靴に泥だってはねてる。そのかっこうでテレーズ様とナタリー様のお部屋にお邪魔する気?」
「緊急事態だ」
オウエンはすこしばかりきまりの悪い心地で反論した。
「臭いや汚れは、我慢していただく」
キャンベル当主アルバートの嫡男ヒューバートの命で、オウエンは王都から馬を飛ばしてきたのだ。グレイフォードにほど近いキャンベルではない。
夜は野宿し、日が昇れば一刻も早くグレイフォードにたどり着けるよう、ひたすらに駆けた。
風呂に入ることなど、ちらとも思い浮かばなかった。
「あーあ、おかわいそう。テレーズ様もナタリー様も」
父の調子が弱まったことにつけこみ、ケイトはあてこすった。
「こんな臭くてむさ苦しい男が、深夜、突然部屋に入ってくるなんてさ。怖いだろうな」
オウエンは答えない。
それまで立ち止まっていたのを、父子の口論はもう終わりだとばかりに、オウエンがケイトに背を向ける。
「どうせ深夜の館探検するんだったら、ロジャーと一緒に行きたかったのにさ」
相手をしてくれなくなった父がおもしろくなく、ケイトは愚痴を続けた。
「そうだったならどんなにかロマンティックだったろう! ロジャーったら、きっとあたしの肩を抱いてくれるのよ。それで、もしかしたら。もしかしたらよ。接吻だって――」
「うるせえ」
オウエンは振り返り、ケイトの言葉をさえぎった。
「いつまで酔っぱらってんだ。ナタリー様が行方不明になられたかもしれねえんだぞ!」
オウエンの叱責に、ケイトははっと居ずまいをあらためた。
「そうだった」
ケイトは神妙に、へその前でぎゅっと両こぶしを握った。
「一大事だったね、父さん」
そうだ。一大事だ。
娘の顔つきが変わったのを見て取ると、オウエンは前を向いてランタンを突き出し、ふたたび歩き始めた。
ランタンから漏れる橙色の光が、行く手の数歩先や壁、オウエンの体を照らす。ケイトは黙って父に従った。
――ケイトの想像する一大事とは、まったく違う事態だろうがな。
オウエンは悔やんだ。
主であるジャスパーに「よせ」と制されたからといって、お人好しなジャスパーの寛容に対し、しつこく諫言し続けなければならなかったのかもしれない。
主の命に愚直に従ったことは、間違いだったのかもしれない。
いや。そうではなく、オウエンの注意が足りなかったのか。
確実に言えることは、初動が遅すぎたということだ。




