22 居酒屋と刀鍛冶
湖遊びに磁器窯、木工や革細工などの工房見学。
街道を行き交うさまざまなひとびと――グレイフォードの住民もいれば、ときおりは異なる土地からはるばるやってきた隊商もいた――と挨拶を交わし、さまざまなひとびとでにぎわう居酒屋へ。
肉と油の匂いに満たされた店に入れば、ジャスパーの顔を見るなり、店の主人は大喜びした。
肉汁やら野菜の汁やらソースやら。そのほかよくわからないなにかで色とりどりに染まったエプロン着のまま、料理人の主人が奥の厨房から表に出てくる。
「領主様、馬車でおいでなすったのかね。めずらしいこともあるもんだ」
主人は目を丸くしたかと思えば、意気込んで言った。
「美しい女性までお連れになられて。こりゃあ、よりいっそう腕をふるわにゃ」
「そうなんだ。そこで悪いが、馬車の番に誰かよこしてくれねえか」
ジャスパーはすこしばかり申し訳なさそうに顎をしゃくって、店の外を示した。
「今日はロジャーが馭者をしているんだが、ロジャーにもおまえさんの料理を食わせてやりたくてな」
「もちろんですとも」
主人は胸をどんと叩いた。
「うちの小僧に番をさせるから、ロジャーもたくさん食べとくれ」
それから華奢なテレーズを見てほほえみ、片目をつむってみせる。
「そちらの美しいお嬢さんも。うちの料理は領主様のお屋敷にも引けをとりませんよ」
「ああ、そのとおりだ」
ジャスパーがうなずく。
「ぜひとも、うちの料理人になってもらいてえところだが――」
「お言葉はありがたいですがね」
主人がジャスパーの言葉を引き継ぎ、両手を広げた。
「うちはグレイフォードみんなの腹を満たすのが使命ですからね」
「一人占めはよくねえよな。おまえさんの料理でグレイフォードのみんなを幸せにしてもらわにゃ」
ジャスパーが主人の背をたたく。
「というわけで、今日は俺たちをおまえさんの料理で幸せにしてくれよ」
常は小食なテレーズ。
居酒屋で提供される素朴な品々は、初めて見るものばかりだった。
いったいどのような味だろうかと興味が惹かれ、ひとくち、こちらもひとくち。あちらもまたひとくち、と食べているうち、気がつけば相当な量を食べていた。
それはテレーズに限らず、ジャスパーにナタリー、ロジャーも同じだった。
「みなさん、腹ごなしに散歩でもしていらっしゃい」
テーブルの上の、すっかり空になった皿を見て、主人は満足気に言った。
「馬車はうちで見ているから、ゆっくりなさるといい」
居酒屋の主人にジャスパーが礼を言い、一行はのんびりと歩き始める。
たわわに穂を実らせる黄金色の穀物畑を横目に、刀鍛冶がナタリーの目に入った。
店先に整然と並ぶ、陽光を浴びて黒光りする鉄器。
ナタリーにとってはほとんど未知の銃剣だけではない。
かつてはよく見かけ、しかしモールパやグレイフォードでは、すこしも目にすることのなかった、重厚なつくりの剣や槍、鎧に戦斧までもがある。
「あちらへ寄ってもいいかしら」
ナタリーは返事を待たずに、鍛冶屋へ入った。
ジャスパーとテレーズは顔を見合わせ、ナタリーのあとについていく。
ジャスパーにテレーズ、そのうしろをロジャー。
三人がナタリーに遅れて鍛冶屋へ入れば、懐にしのばせるのにちょうどいいダガーがないか、とナタリーがたずねているところだった。
親方が無言でナタリーの手をひっぱる。
剣ダコのない、やわらかで滑らかなてのひらをしみじみと眺め、ひっくりかえしてもう一度。
じっくり観察すると、親方は興味を失ったようにナタリーの手を放った。
そして無言のまま背を向け、装飾の美しいダガーを一振りよこした。
華奢な貴婦人が己の矜持を保つために。
あるいはそういった矜持を保つぞ、と示唆するような茶番劇で、相手を脅し言いなりにさせるような。
そういったさまざまな類の、『貴婦人のいざというとき』にしか役に立ちそうにないダガーだ。
「これじゃだめよ」
ナタリーは失望を隠さず、ダガーを突き返した。
「成人した男をひとり、ちゃんと殺せるようなダガーでないと」
ナタリーと親方のやり取りを黙って眺めていたジャスパーへと、ナタリーが振り返る。
ジャスパーはナタリーの意図に気がつき、苦笑いした。
「たとえば、そうね」
ナタリーは入口付近に立つジャスパーへとまっすぐ腕をのばし、ゆびさした。
「『領主様』の心臓にまっすぐ突き立てることができるようなダガーがほしいわ」
「そんなもの、あんたの手に余る」
親方がぼそりと言う。
「ろくに剣を握ったことのない人間に持たせれば、あんたが怪我をするだけだ」
「ろくに剣を握ったことのない人間なら、でしょ」
ナタリーはそう言うやいなや、工房の壁に掛けられた長剣を奪った。
「以前はもっと、すばやく動けたのだけれど。でも、これでじゅうぶんじゃない?」
鞘から抜かれた白刃の、その切っ先が、親方のつぶれたように丸い鼻へ突きつけられる。
「手の皮だって、これでも以前はちゃんと、ごわごわして、かたくて厚かったのよ」
男が両手で振り下ろすような、じゅうぶんな重さのある剣。
長剣を軽々と操ってみせるナタリーに、ジャスパーが口笛を吹く。
剣先をつきつけられた刀鍛冶の親方は、しかめつらのまま、ナタリーの言い分を黙って聞いた。
「でもそのあたりの事情は、あたしにもよくわからないんだから、かんべんしてくれないかしら」
長剣をおろし、ナタリーは肩をすくめた。
「あんたの言うことはよくわからねえが」
親方が、長剣とナタリーとを見比べる。
「言うことを聞かにゃ、そいつを返してくれねえんだろうが」
「ええ、そうね」
ナタリーはにっこりと笑った。
「ダガーがないなら、こちらをいただくことにするわ」
ナタリーが振り返れば、テレーズとロジャーはあっけに取られたようで、ナタリーを凝視している。
テレーズとロジャーのふたりから、ジャスパーへと視線を移す。
ナタリーと目が合ったジャスパーは、テレーズの髪に口づけをして、名残惜しそうにテレーズの肩から手を離した。
「こいつは返すぜ」
前に進み出たジャスパーが、ナタリーの手から長剣を奪い、親方に返す。
「その代わり、俺をしっかり殺せるようなダガーを頼むぜ」




