17 ジャスパーとテレーズ
「いやいや、テレーズ嬢を疑ってたとか、そういう話じゃねえんだ!」
ジャスパーは懸命に弁明した。
「華やかな名家モールパのお嬢さんが、わざわざグレイフォードみてえな野暮なところに来るってことはさ。事情がなかったら、ありえねえだろうがよ」
ジャスパーの形相ときたら、あまりに必死なので、ナタリーは哀れみを感じた。
しかしテレーズは意気消沈したまま、戻らない。
「ウジェーヌ殿のおおげさな手紙を見りゃあ、わかるさ。あんなに俺にゃ似合わねえ言葉で褒めちぎられたのは、生まれて初めてだったぜ」
ジャスパーはうつむくテレーズの顔をのぞきこみ、言いつのる。
「誰のこと言ってんだってさ。家中の人間が、こりゃあウジェーヌ殿、宛て先を間違えたんじゃねえかって首をかしげたもんだ」
「それではジャスパー様は」
テレーズはぽつりと言った。
「訳あり娘にひとときの隠れ家を提供するおつもりで、私を受け入れてくださったのですか。お見合いの相手としてではなく」
たしかにウジェーヌはそのつもりで、テレーズとナタリーをジャスパーの治めるグレイフォードに送り込んだ。
ジャスパーとテレーズの見合いを名目にして。
もしテレーズが本気でジャスパーを気に入るのなら、そのまま嫁げばいい。
そんな軽口をたたき、兄ウジェーヌはテレーズを送り出した。
テレーズだって、兄ウジェーヌの言い分を聞いた。
当初はテレーズだって、そうだった。
見合いが楽しみだったのも、うそではない。楽しみにしてはいた。
けれど、第一の目的は違う。
モールパ公爵邸開かずの間にて、父公爵ユーグがかくまっていたナタリーを、『悪魔、あるいは悪しき魔女』などという、根拠のない、ひどい告発から守るため。
娘のテレーズが父ユーグの役目を引き継ぎ、悪意うずまくモールパの地からグレイフォードへと連れ出した。
キャンベル宗家の人間で、その宗家との問題を抱えているらしいナタリー。
そんなナタリーを助け、守ること。
それが、生の対価となりうるように思えたのだ。
モールパ家の一員として、公女としての、テレーズの使命であると。
テレーズだって、そう思っていた。
ジャスパーと日々を過ごすまでは。
「おうよ。嫁さんにならねえなら帰れなんて言わねえよ」
ジャスパーは力強くうなずいた。
「好きなだけいりゃあいい」
「そうですか」
テレーズは顔をあげない。
ジャスパーはキャンベルの人間だ。
それだけじゃない。現キャンベル当主アルバートの弟だ。
だからテレーズは、ジャスパーに打ち明けなかった。
ナタリーがキャンベル宗家出自らしいこと。キャンベル宗家とのこみいった事情があるらしいこと。モールパでかくまっていたこと。『悪魔、あるいは悪しき魔女』という、おそろしい告発がなされたこと。
そのすべてを。
ナタリーが古キャンベル語だけしかしゃべれなくても、ジャスパーはなにもたずねてこなかったから。だから。
「ええと、そうだな。ほれ、テレーズ嬢。あんたまだ、俺に気遣ってるだろう。モールパで生まれ育ったあんたが、モールパのお嬢さんとしての矜持を捨ててまでグレイフォードに迎合する必要は、これっぽっちもねえんだ。あんたはあんたのままでいい」
ジャスパーは必死になって頭をめぐらせる。
「兄貴の嫁さんはロデの姫さんだったんだが、キャンベルの屋敷でずいぶん好き勝手、ロデ風に変えてるぜ」
テレーズの真意をつかみそこねていることに気づくことなく、ジャスパーは続けた。
「だからってもんでもねえが、あんたも好きにやればいい。だめなことはだめだと、俺も言わせてもらう」
「お気遣いに感謝いたします」
テレーズはようやく顔をあげ、どうにかほほえんだ。
ジャスパーにナタリーの秘密を打ち明けなかったのはテレーズだ。
信用していなかったのか、と問われれば。信用したいと思っていた。
テレーズの心はとっくに、ジャスパーに惹かれていた。
それでも、テレーズからジャスパーに働きかけなかったのは事実だ。
ジャスパーがテレーズを正当な見合い相手として見なさなかったことを、責める権利は、テレーズにはない。
「とまあ、ここまで予防線をはったうえでだな」
ジャスパーが片方の眉をあげる。
「予防線」
テレーズは目を瞬かせた。
「それなりに年もくってるし、人より図体もデケエんだが、俺はけっこうな臆病者なんだ」
ジャスパーはにやりと笑う。
「体の大きい小心者ですからね、旦那様は」
すかさずオウエンが口を出す。
「うるせえ」
ジャスパーはオウエンを睨めつけてから、今度はテレーズへと甘やかなまなざしを注いだ。
「テレーズ嬢。俺はあんたが気に入った」
「家同士がどうのこうのってな野暮な話もまあ、あるにはある。が、それよりもだ。俺があんたを気に入った」
すこしばかり照れた様子で、ジャスパーは言った。
「あんた、本当に可愛いんだもんな」
テレーズはびっくりしたように固まって、ひたすらまばたきを繰り返した。
「あんた、体が弱いって言ってたな。そんなら子どもはいらねえ」
ジャスパーはテレーズを労わるように、ためらいがちに言った。
「せっかく嫁さんになってくれた女とは、ジジババになるまで仲良く暮らしてえじゃねえか」
「嫁さん」
テレーズはどうにか言葉を絞り出すことができた。
「そうだ。あんたが嫁さんになってくれたら嬉しい」
ジャスパーはおそるおそる、テレーズの手をとった。
「テレーズ嬢が俺でいいなら、このままモールパ公にまで、話を進めたい」
「でも、あの」
テレーズは展開をのみ込めず、当惑して言った。
「私、子どもを産めないかもしれないのですよ。そうしましたら、お家が絶えてしまいます」
「跡継ぎが欲しいから嫁さんが欲しいなんて、考えたこともねえしな」
ジャスパーはあっさり否定した。
「そもそもキャンベルのやつらもグレイフォードのやつらも、俺は一生独身だと思ってただろうよ」
「そのようなお言葉をいただけるなんて」
テレーズは両手でほてった頬を包み込むようにして言った。
「夢みたい。なんて幸せなの。ありがとうございます」
「私もなの。ジャスパー様。ジャスパー様のこと、なんて素敵な方なのかしらって」
テレーズは、すっかり打ち解けたようになって、ジャスパーに笑いかけた。
「ああ。本当に、夢みたい!」
「素敵って」
ジャスパーは目を見開いた。
「まさか俺のことかよ」
それきりしばらく絶句していたかと思えば、ジャスパーはデレデレとやにさがった。
キャンベルの男がみっともない。
ナタリーは己の子孫だろうジャスパーの、だらしのないニヤケ顔を蹴り飛ばしたくなった。
そのあと、「でも、やっぱり、本当にいいのかしら」とテレーズがくよくよし始めれば、ジャスパーは「大丈夫に決まってら!」と豪快に笑った。
「キャンベル家は恋愛結婚がほとんどだ」
ジャスパーはにやりとした。
「なかにはとんでもねえ相手とくっつくことだってある」
「とんでもない相手?」
テレーズは不安そうにたずねた。
「兄貴なんざ、一目惚れしたなんてぬかして、ロデの姫さんかっさらってきやがった」
ジャスパーはここぞとばかりに、テレーズの肩を抱いた。
「オウエンがまっさきに兄貴をぶん殴ったよな。『アルバート様は戦争でもなさるおつもりですか』っつってな」
「それは」
オウエンは言葉をつまらせ、目を逸らした。
「恐れ多くも、病床の大旦那様の代わりを務めねば、と」
それまでにない小声で、オウエンはごにょごにょと弁明した。
結局、最後まで、謎の突風について、誰もナタリーに問いたださなかった。




