14 戮力協心
マルグリットは興奮冷めやらず、己の過去を振り返った。
それまでの人生で積み重ねてきた、男への恨み。
石女と罵られ、元夫から離縁されたこと。
生家に帰ったところで、子を産めぬ女には、新たな嫁ぎ先の当てもないこと。
家の繁栄に貢献できぬ穀潰しは不要と、血の繋がった実兄から切り捨てられたこと。
ようやく仕え先に恵まれたかと思えば、主の嫡子から、娼婦の真似事をするよう命じられたこと。
その上で、『ジークフリートがマルグリットを拒むのは、筋書き通りである』などと、嘲られたこと。
マルグリットは、男という男をすべて糾弾するまで、気がすまなくなった。
ついにその矛先は、ミュスカデの愛するジークフリートにまで向けられた。
「だいたい、ジークフリート殿下は、ひどいお方です!」
マルグリットは淑女らしさをかなぐり捨て、もはや完全なる前のめりで、鼻息荒く叫んだ。
「ご自身はミュスカデ様に、レオンハルト陛下の御許へ嫁ぐよう仰せになられたくせに!」
マルグリットの手綱を握りしめる手。その拳の骨が、くっきりと浮かび上がっている。
手綱に力が加われば、わずかな緊張であっても、すぐさま轡へと伝わるものだ。
騎手の不穏な気配を感じ取ったのか。
マルグリットの馬は、両耳を小刻みに回転させ始めた。頭を振って、白目まで見せている。
馬の白目なんて、めったに見ない。馬が不安がって緊張していたり、あるいは機嫌がそうとうに悪いのでなければ。
あきらかに悪い兆候だ。
ナタリーはどうにかマルグリットを落ち着かせることができないか、気をもんだ。
しかしマルグリットは、憤りをおさめることなく続けた。
「ジークフリート殿下ときたら、ミュスカデ様から私を慰みに寄越されたと勘違いするやいなや、まるで一番の被害者のようなお顔をなさるのですもの」
そこまで一気にまくしたてると、マルグリットはちらりとナタリーへ視線をやった。
ナタリーが話を聞いていると知るやいなや、正義は我にありとばかりにマルグリットは胸をそらした。
「あの方は、ご自分の言われたことが、どれほど残酷なことなのか、まったくわかっていらっしゃらないのです!」
「そのように言うものではありません」
ミュスカデは穏やかに、しかしきっぱりと否定した。
「あ……」
マルグリットは身をすくませた。
「申しわけございません」
くちびるをふるわせ、消え入りそうな声で謝罪するマルグリットを見て、ミュスカデは厳しい顔つきをやわらげた。
「あなたの苦労は聞いています」
ミュスカデは優しくマルグリットに語りかけた。
「同じ女の身ではありますが、わたくしはきっと、マルグリットの屈辱や傷ついた心を、理解できていないのでしょう」
「そのようなことは、ございません」
マルグリットは弱弱しく否定した。
当惑をにじませるマルグリットに、ミュスカデは「かばわなくていいのよ、マルグリット」とほほえんだ。
「『真実と正義を求めるメロヴィング家らしくありなさい』だなんて」
ミュスカデは眼前に広がる、馬のたてがみを見つめた。
「知ったようなことを」
長く美しい、豊かな亜麻色のたてがみの中に、濃茶の項革がもぐりこんでいる。
亜麻色も、濃茶色も。メロヴィング家らしい色だ。
象徴たる鷲の色。宗家の人間の髪色。
「けれどわたくしは、知ったようなことをまたしても」
ミュスカデは手綱を控え、馬を停止させた。
「あなた方にお伝えしたいのです」
ナタリーとマルグリットもミュスカデに続いて、手綱を控えた。
ミュスカデは馬首を返し、ナタリーとマルグリット、それぞれの目を順にのぞきこむ。
「男の方々は、国と民、そして身近な女子供の幸福と生命を守るよう任され、大変な責任を背負って、生きていらっしゃいます」
ミュスカデの口ぶりには、大貴族メロヴィング家公女としての威厳があった。
寛大な慈母でなく、裁きの目を持つ厳母。
しとやかな貴族令嬢ミュスカデが見せる、常人には馴染みのない顔つき。
「有事には決断をせまられ、己の下した決断が、国と国民、家門と領民の運命を左右する。そのような責務をまっとうするには、男の方々の強靭な精神と肉体が不可欠です。
女のわたくし達は、そのようにして男の方々のお力によって、守られ、生かされていることを、忘れてはなりません」
そこでミュスカデは言葉を切った。
晴れ渡っていたはずの空に、いつのまにか雲がかかっている。
陰鬱なフランクベルトらしい、厚くて灰色の、どんよりとした雲。
それまで若い娘たちを照らしていた明るい陽光は、すっかり姿を消した。
「ですが」
雲に隠れた陽光の代わりに、ミュスカデは厳格さを引っ込め、彼女らしい優美なほほえみを表に出した。
「男の方々にもときには、女のわたくし達と同じように、外界からの重圧から、あるいは内から出ずる猜疑心や自己否定などによって、もろくなってしまうことがあります」
ミュスカデの言葉に、ナタリーはレオンハルトのことを思い出した。
戦場での、心ここにあらずといった、ふわふわとした戦いぶり。
トライデントを制した夜に聞き出した、戦で敵兵を殺すことへの疑問。
それから、王都へと帰還する凱旋途中の、その宿営地での諍い。
それまでナタリーは、ミュスカデの言うことを、ミュスカデとマルグリット、主従二人の事情であると判じ、他人事として聞いていた。
ナタリーの顔つきが変わる。
「もしかすれば、女のわたくし達よりずっと、弱くなられることもあるでしょう」
ミュスカデはナタリーに目配せした。
「そのようなとき、女のわたくし達にできること。それは、愛する男性の支えとなることです」
厚い雲が風に流され、切れ間が生じる。
そして突然、まばゆい白い光が筋となって地上に降り注ぐ。きらきらとした光の粒が、天から放射状に伸びる光の脚につきまとい、旋回している。
キャンベルの地では、こういった現象を『精霊の舞』と呼んでいた。
「優しく寛大で、誠実で強靭な精神力の男の方々。その唯一の弱点となりうるのは、たいてい、愛する者の存在でしょう。ジークフリート様の弱点は、わたくしです」
ミュスカデはきっぱりと言いきった。
頬に白い光を浴びながらも、そのまぶしさに目を細めることもしない。
ナタリーの目に、ミュスカデが気高くうつるのは、雲間から降り注ぐ神秘的な陽光のためだろうか。
それともフランクベルト宮廷に漂う、陰鬱で濃い魔力のなす業だろうか。
「ですから、ジークフリート様がわたくしをあきらめても、わたくしは絶対にジークフリート様をあきらめません」
ミュスカデのこれまでの人生は、ジークフリートを支えるために。
そのためにあったのだし、これからもそうだ。
「そうでなければ、ジークフリート様のこの先の人生すべて、誰も愛せないことになります。それでは、あまりにお気の毒でしょう」
ミュスカデはナタリーをひたと見据えた。
「ナタリー様もどうぞ、お覚悟を」
「ええ」
気圧されるように、ナタリーはうなずいた。
「わかっているわ」
レオンハルトから、フランクベルト宮廷に身を置くよう請われてから。
本当は、ナタリーだってわかっているのだ。
うんざりするような宮廷のしきたりに、慣れなければならないことも。
宮廷人に反発してばかりではなく、ナタリーを宮廷に迎え入れ、教育をほどこそうとしてくれるひとびとへと、ナタリーから歩み寄らなければならないことも。
レオンハルトとナタリーが法的に結ばれることは、決してないだろうことも。
「ジークフリート様がお望みであれば、わたくしはレオンハルト陛下の妃として、その責務をまっとういたします。ですが」
それからミュスカデは、ジークフリートへの一途な愛を、ナタリーとマルグリットに語って聞かせた。
「わたくしがわたくしのすべてをかけて真実お支えするのは、ジークフリート様おひとりです。それだけでわたくしには精一杯です。
ですからナタリー様。レオンハルト陛下のお心をお支えするのは、ナタリー様をおいてほかにはおられないのです。
レオンハルト陛下唯一にして最愛の寵姫でいらっしゃるナタリー様が、あのお方を支えてくださいませ。
必要とあらば、わたくしが王妃としての政務を担いましょう。
この国のため、レオンハルト陛下のご治世のお役に立てるよう、怠慢することなく、たゆむことなく、一心に働きます。お約束いたします。
ですが一方で、レオンハルト陛下のお心を支える妻としての役は担いかねます」
最後にミュスカデは、つぎのように締めくくった。
「レオンハルト陛下からも、その役はわたくしに望まれておられないでしょうし、わたくしにとってももちろん、荷が重すぎるのです」




