13 ミュスカデとマルグリット
「しようがないのです。男の方々というのは」
ミュスカデはナタリーのななめ前の位置を保ち、ゆっくりと馬を前に進めた。
「頑固で融通がきかず。ときにおバカさんになってしまうのです」
ミュスカデの馬はなんの目印もない芝生を、定められているかのように、規則的な足取りで進んだ。
ゆるめることなくピンと張った手綱。つまんだ親指と人差し指に、力を加えたり減らしたり。変動をつけることで、馬を完全に制御する。
もちろん、鞭打つこともない。
一方で、横乗り訓練途中のナタリー。乗るのは、貴婦人向けに大人しい気性の、横乗り用に訓練されているはずの馬。
こちらの組み合わせでは、相性があまりよくない。
ナタリーの馬ときたら、興奮気味に鼻を鳴らしては、あちこちに冒険へと出たがるのだ。
そのたびに、ミュスカデの扈従であるメロヴィング家のマルグリットという女が、ナタリーの乗る馬にぴったりと、自身の馬を寄せる。
そうしてナタリーの馬は、先導するミュスカデのもとへと進路が正された。
「もし腹立たしいことがございましたら、まずは一呼吸して。胸の中でお相手を、うんと下に追いやってみることです。そうして見下ろして、『おバカさんだからしかたがないのね』と許してあげるのです」
前を向いていたミュスカデは、ナタリーへと振り返った。
「きっと、すっきりしますよ」
慈母のようなほほえみを浮かべるミュスカデの、あまりに高慢な口ぶり。
ナタリーは唖然とした。
「ミュスカデ様って、思っていたより、ずいぶん悪女だわ」
「まあ!」
ナタリーの言い分にマルグリットが憤慨する。
「ミュスカデ様が悪女ですって!」
ミュスカデだけでなく扈従のマルグリットもまた、キャンベルの言葉をよく理解できるようだった。
ミュスカデの言い分によると、メロヴィング家などの七忠が用いる言語とキャンベルの言語には、類似性があるのだそうだ。
メロヴィング家の人間にとって、フランクベルトの言語よりキャンベルの言語の方が、学ぶのに楽なのだとか。
そうはいっても、メロヴィング家のミュスカデもマルグリットも、良家の子女だ。
教養として、フランクベルトの言語を習得している。辺境の野蛮な野猿令嬢ナタリーとは違う。
「いいのよ、マルグリット。ナタリー様のおっしゃるとおりですもの」
ミュスカデは含むところなく、声をはずませて笑った。
「そうです、わたくしはずいぶんと悪女です」
笑いをおさめると、ミュスカデは前を向いた。
爽やかな風が芝の上を通り抜け、馬上の三人娘、その色とりどりの髪をさらっていく。
ミュスカデのまろやかな頬に、彼女の亜麻色の髪がひと房落ちた。
「強くなければ、生き抜いていけませんもの」
そう言うと、ミュスカデはナタリーに横目をくれた。
「ね」
強くなければ、生き抜いていけない。
ミュスカデの言葉は、ナタリーの心にすっとなじんだ。
強者が生き残り、弱者は倒される。
キャンベルでも戦場でも、ナタリーの生きてきた世界は、そういった理屈で動いていた。
ミュスカデの持つ強さと、ナタリーの持つ強さは、種類が違う。
ほかの誰もが、年若い娘ふたりを見て、似ているとは言わないだろう。
だが、強くあろう。強くあらねば、とする心は同じだ。
「そのとおりだわ」
ナタリーは横乗り鞍の上、ぐらぐらと不安定な体勢ながらも、力強くミュスカデにうなずき返した。
ミュスカデは目を細めた。
淡い灰青色の瞳の奥で、知性の代わりにいたずらな光がきらめく。
「内緒話を聴いてくださいますか」
ミュスカデは馬を寄せた。
「こんなことがございましたのよ」
それからナタリーの返事を待たずに、声を落として話を続けた。
ミュスカデがナタリーに打ち明けたこと。
それは、ミュスカデの兄クロヴィス公子が扈従マルグリットを用いて、ミュスカデの愛するジークフリートに誘惑を仕掛けたこと。
罠に陥ることのなかったジークフリートではあったが、兄クロヴィスは妹ミュスカデに偽りを伝えたこと。
その偽りとは、ジークフリートがマルグリットと一晩を過ごしたのち、ミュスカデの扈従マルグリットを愛人として所望していると。
「わたくし、お兄様のお言葉はちっとも信じませんでしたわ」
ミュスカデはいかにも楽しそうに言った。
「だってわたくしの愛するジークフリート様が、わたくし以外の女性を愛するなんて。そのようなことができるはずはありませんもの」
ジークフリートは母王太后マリーの不貞を目の当たりにし、そういった事柄については、潔癖にすぎるほど潔癖な男だった。
婚姻を約束している仲であってさえも、未婚の男女が容易に事に及ぶことを、うとましく汚らわしく考えているだろう。
ジークフリートが男女仲について、私的な持論をぶったことは一度もない。
しかし、ミュスカデにはわかった。
生まれたときからの婚約者が考えることだ。わからないはずがない。
「美しい碧空ですこと」
ミュスカデは空を見上げ、目を細めた。
「ジークフリート様の瞳のよう」
誰に聞かせるというのではなく、ミュスカデは独り言ちた。
ナタリーもミュスカデにつられて空を仰いだ。
曇天の多いフランクベルト王都にしてはめずらしく、雲ひとつない。空はまるで、レオンハルトの瞳のように碧い。
レオンハルトとナタリー。誰の邪魔も入らず、二人きりで過ごしたのは、いったいいつが最後だろう。
そんな時間は久しく持てないでいる。すれちがい、あいさつを交わし、互いの無事を認めるのがせいぜい。
ナタリーが王都入りしてからというもの、宮廷に慣れるよう、さまざまな宮廷人と会い、さまざまなしきたりを教え込まれてばかりだ。
会いたい、と思った。
ナタリーだけが知っている、温かで情熱的な碧い双眸に見つめられて、ぐずぐずに甘やかされたい。甘やかしてあげたい。
「マルグリットがわたくしの側仕えを辞退したと、お兄様からそのようにうかがって」
ミュスカデは、黙りこくるナタリーからマルグリットへと視線を移した。
「わたくしから逃げるマルグリットをつかまえて、真実だけを口にするよう、尋問いたしました」
「『メロヴィング家の人間としての自覚があるのなら、真実と正義を求めるメロヴィング家らしくありなさい』と、命ぜられてしまっては」
マルグリットとミュスカデは、秘密を共有する若い娘らしいくすくす笑いつきで、互いの目を合わせた。
「ほかになす術もございません。クロヴィス様への忠誠心より、メロヴィング家への忠誠心が勝ってしまったのです」
「あら」
ミュスカデはからかいを多分に含んだ声で言った。
「マルグリットが真実を打ち明けてくれたのは、わたくしへの忠誠心ではなく、メロヴィング家への忠誠心からだったのね」
「もちろん、ミュスカデ様への忠誠心ではございませんとも」
マルグリットがきっぱりと断言すれば、ミュスカデは目をまたたかせた。
ナタリーもまた、いぶかしげにマルグリットを見た。
この女扈従は、いったい何を言い出す気なのか。これまで、すっかりミュスカデに心酔しているようなそぶりを見せていたくせに。
「ミュスカデ様に仕えることこそ、私の生の対価です」
マルグリットは胸をはり、誇らしげに言った。
「忠誠心を捧げているのではございません」
それから生意気なふうに鼻を鳴らした。
「忠誠心などという、男の方々が自身の頭でよくよく考えることもなく、嬉々としてありがたがるような。そのような形骸化した過去の遺物などに、留まりはしません」




