8 ジョンソン氏
「あんた、ちゃんと食ってんのか?」
テレーズをひと目みたジョンソン氏は、出し抜けに素っ頓狂な声をあげた。
「ウジェーヌ殿の手紙にもあったが、こりゃえらくか細いな! よくまあ、グレイフォードの風に吹っ飛ばされなかったもんだ」
ジョンソン氏の大きな体躯から繰り出される声は、その体同様に大きかった。
まるで回廊中が共鳴し合っているかと思われるほどで、深窓の令嬢であるテレーズは目を丸くした。
モールパでは出会うことのなかった類の男だ。
「旦那様!」
ジョンソン氏の家令が、鋭い声で主をたしなめる。
家令の年恰好は、ジョンソン氏と同じくらい。
大男のジョンソン氏にくらべて背丈は低いが、主従の二人とも
よく日に焼け、がっしりとたくましい体つきをしている。
肌が白く線の細いモールパ家とは、まったく似通うところがない。
「あっ。しまった」
家令から叱責され、ジョンソン氏は気まずそうに頭をかいた。
「テレーズ嬢に、古キャンベル語は通じねえよな」
ジョンソン氏は彼の家令へと振り返り、「なっ?」と同意を求めた。
「どうだ、オウエン。よく気がついただろ、俺のわりにはよ」
大きな体躯の中年の貴顕が、無邪気に顔を輝かせ、自身の家令へと浮かれた様子でたずねかけた。
いかにも褒めてほしそうである。
「旦那様のご懸念――言葉の問題につきましては、たしかにおっしゃる通りでございましょうが」
オウエンと呼ばれた家令は、客前でも遠慮することなく、彼の主を叱り飛ばした。
「そもそも私の申し上げたいことは、そのようなことではございません!」
のけぞるジョンソン氏へと、オウエンがさらに詰め寄る。
「どうしてそう、旦那様はいつもいつも――」
「あーっ! ほれ、お嬢さん方がびっくりしてるぞ!」
ジョンソン氏はあわてた様子で、家令オウエンの説教をさえぎる。
「枯れ枝みてえにか細――じゃなかった」
オウエンにじろりと睨めつけられ、ジョンソン氏が言い直す。
「可憐なお嬢さん方を立ったまんまにさせちゃあいけねえ。さささ、こちらへ、こちらへ」
ジョンソン氏は家令の前に立ちふさがるようにして、テレーズとナタリーを応接間へと促した。
応接間に足を踏み入れて、ナタリーは思わず声をあげそうになった。
豪勢でもなく優美でもなく、かといって素朴すぎるとか、無機質というのとも違う。
芸術としての見どころはないが、調和がとれていて、穏やか。
多すぎるのでもなく少なすぎるのでもなく、ちょうどいい空間を残して置かれた調達品は、きっと質もよいのだろう。だが、そういった気取ったところを感じさせなかった。
グレイフォードの木材を用い、余すところなく、ていねいに職人が作りあげたような、そういった温もりがあった。
窓から入り込む清々しい森林の風がゆらすのは、かぐわしく可憐な花びらではなく、緑の葉。
居心地のいい部屋だった。
キャンベルの屋敷とは香りが違うのに、とても懐かしい。親族の屋敷をたずねたときのような。
生家とはちがう。だけれどここには確実に、ナタリーの知るキャンベルらしさがあった。
先導するジョンソン氏がテレーズの椅子をひき、家令のオウエンがナタリーの椅子をひく。
「結構よ」
ぴしゃりと断るナタリーに、オウエンが片方の眉をあげた。
しまった。
使用人らしからぬ口ぶりだった。
それにくわえて、ナタリーの話す言葉は、彼ら曰く『古キャンベル語』だ。
モールパ公爵邸の扈従がなぜ古キャンベル語を話すのか、疑問に思われたかもしれない。いや、通訳とでも誤解されただろうか。
どきまぎしながらも内心の動揺を見せぬよう、にっこりと笑ってみせる。
オウエンはおもしろそうに口の端をゆがめたが、それだけで、ほかに何を言うこともなく、使用人たちへと指示を飛ばし始めた。
見合いの席に並ぶのは当人である二人と、その使用人。
テーブルをはさんで、ジョンソン氏とテレーズが対面している。
ジョンソン氏のうしろにはジョンソン氏の家令オウエン。テレーズのうしろにはテレーズの扈従ナタリー。それぞれの主のうしろに立って控える。
そのほかの使用人たちは全員下がった。
「ええと。改めて、ようこそグレイフォードへ」
ジョンソン氏はすこしばかりたどたどしい共通語であいさつをすると、がばりと勢いよく頭をさげた。
「俺の名はジャスパー・ジョンソン・キャンベルだ」
「私はテレーズ・モールパと申します」
「おう、知ってるぞ!」
ジョンソン氏の威勢のいい――よすぎるともいえる――返事に、テレーズはまたもや目を丸くした。
家令のオウエンが主ジョンソン氏を睨めつけるが、ジョンソン氏は気づくことなく、カップの中身を飲み干した。
褐色の液体。
ナタリーがモールパで、初めて飲んだものと同じだろう。最初は出されたままに飲んでいたナタリーだったが、しばらくしてカップの半分くらい、ミルクを注いで飲むようになった。
ジョンソン氏も飲む直前、大量のミルクをカップに注いだ。
テレーズはベリーのジャムをたっぷりと入れ、ゆっくりかき混ぜながら飲むのが好きなのだが、これにはナタリーは賛同できなかった。
テレーズではなくジョンソン氏と飲み方が同じであるということが、なんとなく気にくわない。ナタリーはテレーズの背後で、ジョンソン氏を睨めつけた。
「ウジェーヌ殿から、あんたのことはちょっと聞いてるぜ」
にかっと無邪気に笑いかけるジョンソン氏に、テレーズもつられて笑い返す。
「そうですか。ウジェーヌお兄様が」
「おうよ。なんでも体が弱いんだってな」
そこでジョンソン氏は顔をしかめた。
「ろくな縁談話がなかったんだってな。ウジェーヌ殿は俺にあんたを救ってやってくれって言ってたぜ。だけどいいのか? 俺はあんたよりだいぶ年上だ」
「それだけではございませんよ」
オウエンがすかさず口をはさむ。
「これほど美しく、楚々として教養がおありになり、名家のお若いご令嬢のお相手が、旦那様のような、猿。いえ猪。ううん熊でしょうか。ともかく獣じみた野蛮な中年男とは」
「ひでえいいようだな」
ジョンソン氏はむっとしてみせたが、しかしすぐさま同意した。
「だがオウエンの言うとおりだ。俺は風流な男じゃねえ。あんたの家族――モールパ公やウジェーヌ殿とはまるきり違うだろう」
「そのようなことは――」
テレーズがあわてて否定するも、ジョンソン氏は「いや。気を回してくれるな」とさえぎった。
「まず俺だったらだな。ウジェーヌ殿の手紙みてえに長ったらし――」
「旦那様」
オウエンの冷たく鋭い声で呼び止められ、ジョンソン氏は言い直した。
「じゃなくて、優雅な文章は書けねえ」
「さようにございます」
オウエンが追従する。
ジョンソン氏は胸をなでおろし「そんでもってウジェーヌ殿の手紙ときちゃ」と続けた。
「俺を持ち上げるのに、やたらおおげさ――」
すかさずオウエンがごほん、と咳払いする。
「じゃなくって!」
あわててジョンソン氏が言いつくろう。
「心尽くしで褒めてくれてだな」
ジョンソン氏はそこで言葉を止め、テレーズをじっと見た。
テレーズがにこりとほほえむ。
ジョンソン氏もへらっと笑い返したが、「すまん」と一言謝り、頭をかきむしった。
「気取った言い回しを続けんのは、もう無理」
ジョンソン氏はうんざりとした様子を隠さずに言った。
「めんどくせえ」
「旦那様! めんどくさいとはなんですか!」
すさまじい形相でオウエンが叫ぶ。
「だいいち、これまでのどこが気取ってらしたんですか」
気取った言い回しなど、ひとつとしてなかった気がしたけれど。
テレーズはオウエンの言葉に内心うなずいた。
「だってよ。そもそも共通語は苦手なんだよ。ややこしくってよ」
ジョンソン氏は開き直り、とりつくろうのをやめた。
「それなのに、そのうえ苦手な世辞まで言わなきゃなんねえとか」
オウエンはすっかり両手で顔を覆い、「ジャスパー様のこの醜態。なんたること」と嘆いている。
「アルバート様に申し開きができません」
どうやらアルバートというのが現キャンベル辺境伯の名であり、ジョンソン氏の兄であるらしい。
「なあに、かまわねえよ」
ジョンソン氏はオウエンの肩をたたき、豪快に笑った。
「兄貴だって俺と似たようなもんさ。気にするわけがねえ。風流だのなんだの、そんなもんに通じる男が、キャンベルにいるかよ」
「これだからキャンベルの方々は」
オウエンは疲れた様子で、主を見上げた。
「フランクベルト屈指の大家だというのに、危なっかしくて見ていられません」
「そのために、おまえがいるんだろうが」
ジョンソン氏は悪びれなく言い切った。
「危なっかしい俺を補佐するのがオウエン、おまえの役目だ」
たしかにジョンソン氏はいやらしい宮廷人とは違うようだ。ナタリーは冷めたまなざしで、目の前の大男をながめた。
かといって、これこそがキャンベル家らしい在りようだ、と胸をはられるのでは、まったくもって心外だった。
ナタリーの父ロドリックは、勇ましくも堂々たる威厳に満ち、そしてすくなくとも、これほどにまで阿呆ではなかった。
戦士の誰もが憧れ、目指すべき英雄だった。自慢の父だった。
こんながさつなだけの男とは違う。
だがテレーズは、図体ばかり大きい猿のようなこの男を気に入ったようだった。




