12 ナタリーとレオンハルト(1)
ナタリーは約百五十年前、辺境伯を務めるキャンベル家に生まれた。
ナタリーに兄弟姉妹はなく、当時の辺境伯唯一の嫡出子であった。
フランクベルト王国は女系男子に継承権を認めるものの、女子には継承権を認めない。そのため、いずれ婿をとる必要があった。
キャンベル辺境伯は隣国との境に広大な領地を有し、王家に忠実なフランクベルト王国の盾でもあり、矛でもある。
隣国と接する森林。貿易船が行き交うには手狭な入り江。単純な陸続きというわけではなく、国家の防壁として多少有利な地形を持つ。
国家最大戦力となる辺境伯騎士団を抱え、騎士達は日々鍛錬に明け暮れている。
国王の配下にある騎士団は、さほど戦力を有していない。
魔法騎士団と魔術師団の戦力は計り知れないものがあるが、この二つの組織は国家所有の組織だ。国王所有組織ではない。
平時にこの二つの組織を動かすためには、最終的に国王の許可が必要となる。だが、それに先立って、議会での可決が必要不可欠。
国王、貴族院、教会からも独立した存在でもある。
有事において、議会の可決や国王の認可を待つ時間的余裕がないと、魔法騎士団・魔術師団のそれぞれ組織の長たる者が判じた場合。特例として組織単独で動くことが認められている。
後にその判断に対し、議会、また国王によって正否を問われ、当該団長の進退が断じられることにはなる。
しかし火急の判断は、全幅の信頼のもとに於かれていた。
フランクベルト王家の騎士団は、大まかに、七つの騎士団から成り立つ。
王族警護を担う近衛騎士団。
王城警備の第一騎士団。
神殿警備の第二騎士団。
外征を担う第三騎士団。
王都を巡回する第四騎士団。
王家所領を任される第五騎士団。
以上に当てはまらない任務を担う第六騎士団。
これらが国王配下の騎士団であるが、これらを総じても、キャンベル辺境伯騎士団に叶うことはない。
◇
「殿下にお教えすることは、もはやございません」
近衛騎士団長に剣術・体術の指南を乞うていた第五王子レオンハルトは、その日、騎士団長から指南役の退任を告げられた。
「それは困ります」
レオンハルトは流れ落ちる汗を手の甲で拭い、剣先のつぶれた模造刀をおろした。
「僕はもっと強くなる必要があるのです」
レオンハルトの肩が上下し、はっはっと犬のように短い呼気が繰り返される。
彼は言葉が途切れないよう、ツバを飲み込んでから訴えた。
彼の碧い瞳は真摯に、そして切実な色を滲ませて、騎士団長を見つめている。
「殿下の鍛錬のお相手としてお呼びいただければ、いつでも参じます」
実直な近衛騎士団長は、王子レオンハルトへと礼をし、応えた。
「しかしながら、殿下が更なる熟練熟達を目指されるのであれば、私では殿下のお力になることは叶わないでしょう」
「それでは僕はどうしたらよいのでしょうか」
レオンハルトは困ったように、眉尻を下げた。
「はっ。畏れながら申し上げます」
かしこまったまま、近衛騎士団長がたずねる。
「殿下はキャンベル辺境伯家をご存じでしょうか」
「我が国の北西にある、隣国への防壁を担っている家ですね」
レオンハルトはうなずいた。
「この度の戦では外征のため、多くの兵をかの家にも求めたと聞きます」
「左様にございます。キャンベル辺境伯家は代々、忠誠心の篤い家でもあります」
「そのように聞いています」
レオンハルトはフランクベルト王国の地図と歴史を脳裏に浮かべ、近衛騎士団長に同意する。
「はい。そしてそのキャンベル辺境伯家こそ、我が国最大の戦力を有する家でもあります」
「……王家の騎士団ではなく、ですか?」
レオンハルトはいぶかしげに確認する。
近衛騎士団長は無言をつらぬいた。
肯定すれば不敬に相当する可能性があり、否定すれば虚偽申告となる。
レオンハルトは眉をひそめた。
隣国と接する領土をおさめるキャンベル家が、国王配下の騎士団より力を持つという。
それでは反逆を企まれたときどうするのだ。
辺境伯が独立を企んだら。隣国に寝返ったら。
この国はどうなるのだ。
王位簒奪の後の新王朝設立か? 隣国に隷属するのか? 滅亡するのか?
不穏な想像に、レオンハルトの胸中は穏やかでない。
「キャンベル辺境伯家の王家への忠誠心に疑いの余地はありません」
煩悶するレオンハルトを前に、近衛騎士団長が首を振る。
「殿下ご自身の御目でお確かめになられるとよいかと」
「つまりキャンベル辺境伯領こそ、僕の学ぶべき場である、と?」
レオンハルトが問いかけると、近衛騎士団長はうなずいた。
「そのように愚考しております」
「わかりました。陛下にお伺いを立てます」
レオンハルトが左下に視線をやり、顎に触れる。
しばし考え込んだあと、レオンハルトはすっと顔を上げた。
近衛騎士団長の目をまっすぐに見つめる。
「近衛騎士団長、僕と共にきてくれますか? 口添えを願います」
「はっ。御意に」
レオンハルトは近衛騎士団長にうなずき返すと、後方に控えていた扈従に、国王への謁見申し出をするよう指示した。
その申し出は、当日のうちに許可された。
こうしてレオンハルトは、キャンベル辺境伯騎士団への遊学を、国王から正式に認められたのである。




