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67 愚者の狂宴(4)




「ひぃっ!」

 フィーリプは後じさって、そのまま尻餅をついた。


 カトリーヌにルードルフ、ハンス、そしてフィーリプの母子。そのうちフィーリプだけが、すんでのところで王ヨーハンの振るう凶器から逃れた。

 王の余力では、転げるフィーリプまで、鞘から抜いた王笏(おうしゃく)の穂先が届かなかった。



「母上!」

 ハンスは苦しげに手を伸ばし、母カトリーヌの肩をゆすった。

「兄上……!」

 それから兄ルードルフの頭を抱え、その黒髪に鼻先をつっこんだ。


 カトリーヌとルードルフは貫かれたまま、ぴくりとも動かない。

 ハンスはうめき、腹から背へと突き抜ける王笏を掴んだ。

 ヨーハンの手から離れた王笏は、ハンスが身じろぎするたびに、その先端の装飾を揺らした。黄金の獅子はダイヤの瞳をきらめかせ、咆哮するかのようだった。



「おのれ……!」

 絶望と憤怒に満ちた声で、ハンスが父王ヨーハンを呪った。



「へ、陛下!」

 エヴルー伯爵が耳ざわりな金切り声で叫んだ。

「ご乱心なされましたか!」



 王を非難するエヴルー伯爵には、アングレーム伯爵から軽蔑しきった氷のまなざしを向けられた。

 エヴルー伯爵を除く上級顧問、建国の七忠に大きな動揺は見られない。

 だが下位の廷臣に兵士らはもちろん、王太子ジークフリートやその同腹の弟レオンハルト、正妃マリーまでもが、王ヨーハンの蛮行に息を呑んだ。



「馬よ」

 王ヨーハンは大きく息を吐き出すと、のろのろと顎を動かして息子ハンスを示した

「アレを楽にしてやれ」



「処刑人となった覚えはないのう」

 ガスコーニュ侯爵は腕を組んだまま、むすっと反論した。

「だがこのままでは、確かに苦しかろう」



 不服そうに嘆息し、ガスコーニュ侯爵は組んだ腕をほどいた。振り返ることなく片手を伸ばす。

 主の長剣を預かっていた従士が、主へと長剣を差し出した。

 剣を受け取り、ガスコーニュ侯爵は鞘を抜いた。



「許せ」

 言うが早いか、ガスコーニュ侯爵はハンスの急所を突いた。


 ハンスの指先から力が抜け、母カトリーヌと兄ルードルフ同様に、だらりと垂れ下がった。



「あちらは斬らぬぞ」

 ガスコーニュ侯爵が一瞥する先には、腰を抜かして血だまりに尻を浸けるフィーリプ。


 従士に長剣を預け、ガスコーニュ侯爵アルヌールは王ヨーハンを睨めつけた。

「ゆえもなく人を斬るほど、このアルヌール、落ちぶれてはおらぬわ」



 王と七忠のやり取りを黙して聞いていたジークフリートだったが、彼は足を踏み出した。

 ガチャガチャと金属のぶつかり合う音が室内に響き、衆目がジークフリートへと集う。


 ジークフリートが立ち止まれば、そこは異母弟フィーリプをかばうかのように、王と七忠からその視線を遮る位置だった。

 ジークフリートの動きを受け、近衛騎士団副団長が、ジークフリートとフィーリプの間に入った。


 近衛騎士団副団長と、そのすこし先、異腹の兄ジークフリートの背をフィーリプは見上げた。

 鎧に身を包む二人の男が、か弱き乙女を護る騎士のごとく、フィーリプの前に立ちはだかっていた。



「兄上」

 レオンハルトは呆然としたまま、ジークフリートとフィーリプを交互に、二人の兄へと視線をやった。


 狼狽するエヴルー伯爵を尻目に、他の七忠顧問らは重なる三つの遺体を、無感情に観察した。



「しかし突然の沙汰であったが、オルレアン侯は陛下に応じておったのう」

 ガスコーニュ侯爵はいぶかしげにたずねた。

「博識の梟の異名がごとく、万物に通ずると? さて貴公は既知であったのか?」


「いや」

 オルレアン侯爵は即座に否定した。

「陛下が王笏を所望されたので、『そういうこと』かと。微細は知らぬが加勢したまでだ」

 肩をすくめて弁明すると、オルレアン侯爵は王ヨーハンに助けを求めた。

「どうか陛下御自ら、ご説明いただきたい」



 ヨーハンはうなずき、三つの遺体を見下ろした。

「この者どもが賊の内通者だ」


「この下賤の者たちが……?」

 エヴルー伯爵ロベールの顔が引きつった。


 ロベールは常からカトリーヌ母子を蔑んでいた。

 王が彼らを見逃せば、次の狙いは己だったかもしれぬ。ロベールは震えた。



「捕虜トリトンの王宮内部への手引き。重ねて王位簒奪(さんだつ)の謀反」

 ヨーハンは続けた。

「この者どもの犯した罪に、王として。夫として父として責任を取るべく、余がこの手で罰をくだしてやったのだ」



 エヴルー伯爵ロベールの恐怖は、王ヨーハンが言葉を重ねるごとに薄らいでいった。

 カトリーヌ母子からの復讐がおとずれることは、もはやないのだ。彼らは死んだ。王がその手で裁いてくれた。


 そこでロベールははたと気がついた。だがフィーリプは? ひとり残った王子の始末は?

 視線をやれば、謀反人フィーリプは次代の王ジークフリートの背にかばわれている。ロベールの不安はふたたび頭をもたげ始めた。



「カトリーヌが余に贈ったガラス製のダガー。あれを調べてみろ」

 ヨーハンは苦しげに息をつき、おぼつかない手つきで枕を指さした。

「余の枕元にダガーが差し込まれているはずだ。トリトンが得意げに余に示してみせたのだ。カトリーヌらによって隠された、暗殺者のダガーがそこにあるとな」

 不自然に多い口数で、ヨーハンは弁明した。

「やつはそれで余を一瞬のうちに殺すより、聖剣を用いて余をいたぶることを選んだようだったが」


「なんと!」

 室内がざわめく。



「これか」

 ガスコーニュ侯爵は足早に寝台へ向かい、枕下に差し込まれたダガーをつまみ上げた。

「中央になにやら怪しげな液体が通っているようだが……毒薬か? 暗殺者のダガーがもてはやされるなんぞ、芸術とは理解不能だわい」



 目をすがめてダガーを見分すると、ガスコーニュ侯爵は呆れた様子で首を振った。それから彼は、リシュリュー侯爵へと水を向けた。



「昨今流行っている品らしいな。リシュリュー侯よ」


「ええ」

 リシュリュー侯爵はうなずいた。

「その輝きを見るに、おそらくミルフィオリ産のガラスでしょう。希少性のある品ですから、出どころは限られます。カトリーヌ妃以外で、こちらに持ち込めた者がいないか、すぐに調べがつきますよ」

 そこまで言うと、リシュリュー侯爵シャルルは肩をすくめた。

「私を容疑者として含めなければ、の話ですが」


「シャルルが余を殺すはずはあるまい」

 ヨーハンは肩で息をしながら、きっぱりと言いきった。

「おまえの娘、マリーは余に恨みを持っているだろうが」


「おっしゃるとおりで」

 シャルルが頭を下げる。



「恨む……?」

 トリトンの首を抱き、マリーがつぶやいた。

「私が、誰を、恨むの……? なぜ?」



 マリーは一点を見つめ、不穏な様子で独り言ち始めた。

 正気を失ったような妻の横顔が、ヨーハンの目にうつった。



「トリトンはここにいるわ」

 マリーはトリトンの首を抱く腕に力を込めた。

「ようやく会えたの。もう二度と離れないわ……」



 気のふれた狂女は艶やかに美しく、夫ヨーハンに微笑みかけた。


 ヨーハンはぶるりと大きく身を震わせた。

 物言わぬ遺体同様に、ヨーハンもまた、必要な分の血をだいぶ失っていた。

 赤、青、紫紺の混じる血だまり。

 ヨーハンが身じろぎすれば、ちゃぷり、と不吉な水音を立てた。



「ふ、ふは……」

 ヨーハンが小刻みに身体を揺らし始めた。

「は、はははははははははは! なんと愚かしく、なんと醜いことよ!」



 ヨーハンの狂気に満ちた笑い声が響く。

 だらしのない肥満体からは、ほとんど血が失われている。瀕死の王のどこに高笑いする力が残っているのか。



「我欲のままに愛した女を奪い、復讐のために恋敵の国へ戦争を仕掛け」

 王ヨーハンは、三つの遺体をつらぬく王笏に手をかけた。

「それでも満たされず、別に女を囲っては裏切られた。まさしく暗愚王の名にふさわしい愚行よ」



 ヨーハンは血を垂らした口をゆがめ、ギラギラとした目つきであたりの人間を睨めつけた。

 王の視線が、ジークフリートとレオンハルト二人の王子に至って、とまる。



「王権とは神のごとく。かような背理も道理と許される」

 黄金を溶かし込んだような金茶の瞳がうつすのは、二人の息子たちの碧い瞳。


 レオンハルトは父王ヨーハンの奇行に不安を覚えた。だが父王から奇妙な威圧を感じ、足がすくんだ。

 すがるように兄ジークフリートを見やれば、兄は唇を引き結び、父王ヨーハンと対峙している。


 父王ヨーハンが、ふと口元をほころばせた。まるでほほえんだかのように見えた。

 かと思えば、確信する間もなく、父王の注意は息子たちから離れた。


 王は建国の七忠の面々を見据えた。



「滅びよ、フランクベルトよ! 無に帰せ、エノシガイオスよ!」

 ヨーハンは絶叫した。

「絶えるがよい、支配者気取りの、愚かな搾取者どもよ!」

 叫び声と同時に、ヨーハンの巨体がハンスの亡骸へと覆い被さった。


 カトリーヌ、ルードルフ、ハンスの三人の生命を奪った王笏の穂先が、王ヨーハンの胸を貫いた。



「陛下!」

 あちこちから悲鳴があがる。


 それまで時間が止まったかのように固まって動かずにいたひとびとが、いっせいに王へと駆け寄った。


 レオンハルトは動かなかった。

 現実感の喪失に取り残され、舞台劇を鑑賞しているような心地だった。

 物事は突如早く、だが奇妙に遅く進んだ。時間は不思議なやり方で行ったり来たりした。

 父王を彩る色は、月光と炎と影によって強調され、強い濃淡で描かれた。一方で父王を取り囲もうとするひとびとは一様に灰色がかっていて、輪郭もぼやけていた。


 ぼんやりと兄ジークフリートを見れば、兄もまた動かず、死にゆく父王と、慌てふためくひとびとを眺めていた。

 異母兄フィーリプも腰を抜かしたままだった。



「シャルル、マリーを、たのむ」

 ヨーハンは妻マリーの父、リシュリュー侯爵シャルルへと手を伸ばした。


 リシュリュー侯爵は義理の息子ヨーハンの手を取り、「必ず」と答えた。ヨーハンの口の端がぴくりと動き、それからゆっくりと目を閉じた。


 困惑する多くの臣下に囲まれ、第十代フランクベルト王ヨーハンは、息絶えた。


 赤、青、紫紺色。

 色とりどりの血だまりに浸るのは、王ヨーハン、側妃カトリーヌ、王子ルードルフに王子ハンス。王笏に串刺しとなった親子。


 そこから少し離れたところに、赤だけの血だまり。

 トリトン公子の首から下の身体があった。

 切り離された彼の首は、王ヨーハンの正妃マリーの胸に抱かれていた。


 リシュリュー侯爵シャルルの羽織る薄紫のビロードが、ちらりと光った。

 ビロードの艶と、縫いつけられた宝石と、それからもうひとつ。


 彼がかがむと、そのふところから、細い八角柱の、透明なガラスが覗いた。

 ガラス棒の周りは、繊細に凝った金細工で、咲き誇る数多の花々が散らされている。

 そこから続く先端が何物であるのかは、はた目にはわからなかった。


 レオンハルトは絨毯に転がる聖剣と冠を持ち上げた。

 特に意味はなかった。

 混乱した室内で、来歴ある聖宝が所在なさげに放置されている。その様が、聖宝を崇めるべき王家の一員として、気にかかっただけだった。


 だが、レオンハルトが聖剣と冠を手にした途端、彼の全身は青く光った。

 部屋中がまばゆいばかりの青白い強烈な光に包まれた。


 まるでそれは発現の儀で、父王ヨーハンから青い血を受け継いだときの兄ジークフリートのように。いや。

 それ以上に、力強い光で。






(第3章 了)

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― 新着の感想 ―
途中まで拝見して、あのきゃわわな王子様が王様になって、めっちゃディスられてるー!?となったり、あれ?これジークフリートが普通に王位につきそうなのに、なんでレオンハルトが王になったんだろ??と思ってたら…
[良い点]  すごい! すごすぎる物語ですね。3章の続きを、あとチョット……と考えていたら、夢中になって、この回まで拝読してしまいました。  とにかくヨーハンの存在、生きざまが圧倒的で……もう、めち…
[良い点] 本当に第三章はすごいですよね~。 これほどの作品、本当になかなかないんですよ! ああ、一布様と語りたい。(こっそりお気に入り登録させていただいたので、ジリジリと作品を読んだりしてお近づき…
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