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65 愚者の狂宴(2)




 トリトンの首が飛んだ。


 もつれる足で、マリーは転がった首へと向かう。

 震える手で、愛する男の首をすくい上げた。

 額にかかる黄金の髪をかきあげると、そこにはすでに光を失った瞳があった。

 目を合わせようとしても、視線は交わらない。

 虚ろな双眸(そうぼう)は、ここではないどこかを見ていた。



「なんてことを……っ! トリトン! トリトン!」

 トリトンの首を胸にかき抱き、マリーは恋人の名を呼んだ。

「トリトン! おお、戻ってきて、お願い……っ!」



 憎き敵将の血が王妃マリーのドレスを濡らす。金の刺繍が凝らされた青いドレスは、赤く染まっていく。


 兵士らは王妃の嘆きに戸惑った。

 建国の七忠らは、冷めたようであったり、軽蔑するようであったり。あるいは同情的、無関心。それぞれの心情をあらわす視線を王妃に向けた。


 王ヨーハンは王妃マリーへ顔を向けなかった。

 代わりに、入り口付近に留まるジークフリートにレオンハルト。それからその後ろ、側妃カトリーヌとその息子たちが並ぶのを、王は一瞥した。


 同腹異腹を問わず、王の息子たちは皆揃って、王妃マリーの愁嘆ぶりに驚くそぶりを見せなかった。



「やれやれ」

 オルレアン侯爵は、ヨーハンのマントを慎重に剥がしながらぼやいた。

「次期君主を失ったエノシガイオスは、死物狂いの総攻撃を仕掛けてくるだろうなぁ」


「休戦はかないませんな」

 メロヴィング公爵が重々しくうなずく。



「これでは保釈金が望めませんから、必ず勝利して賠償金と土地を得ませんと」

 エヴルー伯爵が疲れた顔で続いた。



「勝利ねぇ」

 ヴリリエール公爵が鋭い口調で指摘する。

「せっかくのトライデント制覇でしたが、この潮流も先行き不明となったやもしれませんよ。義憤を大義名分として、列国が手のひらを返しかねない」


「蛇よ。貴公が誇る、乙女の夢占いはどうした」

 ガスコーニュ侯爵がヴリリエール公爵をからかう。

「肝心のこの場面については、夢にあらわれなかったのか?」


「建国王より賜った、我が神聖なる一族魔法を愚弄(ぐろう)する気か! 駄馬め!」

 ヴリリエール公爵がいきり立ち、ガスコーニュ侯爵につめよった。


 血だまりへと踏み入れたヴリリエール公爵の足元で、びちゃりと血がはねた。



「建国王が貴公らに夢占いの能をお与えになったのは、我が国の繁栄のためだろうが」

 ガスコーニュ侯爵はヴリリエール公爵から視線を外さず、トリトンを斬った長剣を後ろに突き出した。

 ガスコーニュ家の従士が、主人の剣を受け取る。


 ガスコーニュ侯爵は太い腕を組み、武装をしてさえ、あまりに細く頼りないヴリリエール公爵を見下ろした。

「ならば、今活かせずして、貴公の能はいつ活かすのだ」


「体を動かす以外には頭を使うことのできぬ駄馬であれば、たしかに、我が一族魔法の機微は理解できないことでしょう」

 ヴリリエール公爵は歯を(きし)ませた。


 勇ましく迫力の大男であるガスコーニュ侯爵と、白骨が武装をしたようなヴリリエール公爵。

 二人が対峙する様子はまるで、幼子が好む冒険譚でわくわくするような一場面、勇者と死霊の対決を再現するようであった。



「ええ、ええ。そうです。あなたの言う通り、我々七忠が一族魔法を賜ったのは、我が国の繁栄のためです。知恵のないガスコーニュ一族が頭を働かせる必要のないよう、建国王のご慈悲で武力を賜ったように」

 ヴリリエール公爵は、いやらしく当てこすった。

「つまり、アタシたちヴリリエール家の人間がこの能で見るすべては、時宜(じぎ)を含めて建国王のご意向そのもの」


「言い訳か。見苦しい」

 ガスコーニュ侯爵が嘲る。



「建国王がそのご意向によって見せてくださる、未だ来ぬ世界を受け取り、建国王がなにを望まれているのかを紐解き。そうして現王陛下に具申するが、我がヴリリエールの勤め」

 ヴリリエール公爵らしい、ねっとりとこびりつくような口ぶりが、そこで止まった。

「ですが!」

 ヴリリエール公爵は声を張り上げ、王ヨーハンを見た。


 ヨーハンはぐったりとオルレアン侯爵に身を任せ、かつての友、蛇公爵の憎悪を受け止めた。



「現王陛下に阻まれては、建国王のご意向を活かすことなど、とてもできはしまい!」

 ヴリリエール公爵の糾弾に、メロヴィング公爵が思わずといった様子で口をはさんだ。

「ヴリリエール公、少々よろしいですかな」


「なにをです」

 ヴリリエール公爵は苛々と不機嫌に答えた。



「貴殿が宰相職のことを言及されているのであれば――」


「まったくの見当違いです」

 ヴリリエール公爵はメロヴィング公爵の話途中でさえぎり、ぴしゃりと言った。

「メロヴィング公には使い古しのおさがりは結構だと、先日もお伝えしました。お忘れですか? 耄碌(もうろく)したようですねぇ、ハゲワシ公」


「非常時ですからな。聞き流して差し上げよう」

 メロヴィング公爵は冷え冷えとした声色で言い捨てた。


 と、そこで、リシュリュー侯爵が両者の間に入った。

「まあ、まあ。この緊急時に内憂外患となってはいけないでしょう」



 リシュリュー侯爵シャルルは軽やかな足取りで血だまりを避け、メロヴィング公爵の前に立った。

 部屋中の視線が麗人シャルルへと集まる。

 血生臭く凄惨な現場にあって、容姿端麗なシャルルの、蝶のように優雅な仕草や声は、いっときの清涼をもたらした。



「いずれにせよ、列国には改めて交渉に出向きませんと」

 リシュリュー侯爵はメロヴィング公爵を見やった。

「次回も御息女には同行いただけるでしょうか?」


「検討する」

 メロヴィング公爵は唸った。

「この状況下で、同盟協力の確認に列国へ向かうのは、ひょっとするやもしれませんからな」


「おやおや」

 リシュリュー侯爵は道化のように、両手で己の首を絞め、白目をむき、舌を出してみせた。

「私が『ひょっとする』のは構わないと?」


「貴殿は彼奴等(きゃつら)と同族に違いあるまい」

 メロヴィング公爵は、鬱陶しそうに首を振った。

 鼻先でぶんぶんと飛び回るうるさい羽虫を振り払うようなそぶりだった。


 リシュリュー侯爵は首を傾げた。

「ううん。同族ですか」



 見目麗しい年寄りシャルルに、部屋中の衆目が集まった。


 フランクベルト王国中を探しても、これほど美しい年寄りは他にあるまい。

 だが、他国であれば存在するのかもしれない。

 今しがた斬首されたばかりのエノシガイオスの公子トリトン。その父、敵国の君主エノシガイオス公パライモン八世のように。


 フランクベルトの地にあって、リシュリュー侯爵シャルルの容姿は、エノシガイオス一族の血脈を見る者に思い起こさせた。



「私も皆様に同じ、建国の七忠であることこそ、最たる誇りなのですが」

 リシュリュー侯爵は微笑みを絶やさず、言った。

「この見た目では信頼性に欠けるのでしょうね。寂しくもありますが、受け入れます。けれど皆様の不審の象徴たるこの見た目が、列国の交渉には役立ちます。ですから、皆様もどうか、私のエノシガイオス風の見た目を受け入れてください」


「その『エノシガイオス風の見た目』で、エノシガイオスに我が国の正当性を認めさせることができるのでしたらねぇ」

 ヴリリエール公爵はため息交じりに言った。



「無理だろうな」

 ガスコーニュ侯爵はきっぱりと否定した。



「し、しかし、捕虜として丁重に扱っていたにも関わらず、トリトンは卑怯にも、陛下の寝込みを襲ったのですよ!」

 エヴルー伯爵は、僅かな希望にすがろうと言い募った。

「もしかすれば、裁判なしの斬首とて、了承させることができるのではないでしょうか。い、い、いかがでしょう、オルレアン侯?」


「どうかなぁ」

 オルレアン侯爵はおざなりに言った。


 ヨーハンの失血量とその緊急性を看取し、オルレアン侯爵は七忠間の言い争いには、心ここにあらずだった。


 上級顧問たちは、観衆の見守る惨劇の現場を臨時評議会とでも見なしたのか。放っておけば、いつまでも討論を続けそうだった。

 いや、七忠に限らない。

 誰も彼もが、王ヨーハンの容態について、楽観視しているようだった。

 国内随一の医師オルレアン侯爵セザールが王を診ていることも、理由のひとつだろう。


 だが何より、『フランクベルト王は、青い血を発現したのちには、そう容易に死ぬことはない』


 先王であるアルブレヒト親愛王が突然死した事実を知っていてさえも、ひとびとはフランクベルト王の絶対的な力を根拠なく信じていた。

 それだけでなく、現王ヨーハンの身体に流れる血がすでに赤いことを、彼らはまさに今日この日、目の当たりにしたはずであったのに。


 

「我が相手の立場であれば、『なにを妄言を抜かす』と取り合わぬ。そちらの都合のいいよう、偽りを真実と伝えてきただけであろう、と考えるな」

 ガスコーニュ侯爵は不機嫌に言った。

「第一、王の寝込みを襲われたなど、我が国の恥だ。そのようなことを公言できるか」


「エノシガイオスの説得は難しいでしょう」

 それまで黙していたアングレーム伯爵が、重い口を開いた。



「それに、死者にはまず、祈りを捧げなければ」

 アングレーム伯爵は、斬り刻まれた兵士らを見渡した。

「死者の前で、このまま続けるようであれば、それは彼らの尊い犠牲を侮辱するのと同じ」


「で、では、続きはのちほど。評議会を催しましょう?」

 エヴルー伯爵は、アングレーム伯爵の歓心を買うように言った。

「アングレーム伯爵、皆様、よろしいでしょうか?」



 アングレーム伯爵は眉をひそめ、「ええ」と答えた。



「話がまとまったようだ」

 オルレアン侯爵は常より硬い声色で、切り込んだ。


 権威ある国一番の医師、なおかつ上級顧問であるオルレアン侯爵が、衆人環視の中で王の危篤を告げてはならない。

 惨劇の場と化した王の私室には、身分の高い低いを問わず、多くのひとびとが集まっていた。

 加えて、この混乱した場では、敵の間諜が紛れている可能性も高かった。



「このあたりで、今夜の騒動の幕引きとしようか」

 オルレアン侯爵は笑顔を浮かべ、七忠の面々をぐるりと見渡した。


 王ヨーハンは苦しげに、「セザール」とオルレアン侯爵の名を呼びかけ、制止した。




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政治ばっかり……。 でもその裏で、トリトンは愛に死に、マリー、ヨーハンはとてつもない心の痛みを味わっているのに。
[良い点] > 誰も彼もが、王ヨーハンの容態について、楽観視しているようだった。 これに尽きる!! じゃなきゃ、こんなに落ち着いてるわけない!! >衆人環視の中で王の危篤を告げてはならない。 >敵…
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