58 唯一の友(2)
「エノシガイオスの傲慢には、うんざりしていましたからね」
ヴィエルジュはヨーハンに片目をつむってみせた。
「ヨーハンが親愛王とその取り巻き連中を倒さねば、この国はエノシガイオスに飲み込まれかねないところでした」
ヨーハンはヴィエルジュの言葉を耳にすると、顔をあげた。
王の表情からは、いまだ罪の意識に苛まれていることが、まざまざと見えた。
「アンリなどではなく、私を共犯者にしてくださればよかったのに」
ヴィエルジュはほほえみ、ヨーハンの手に自身の手を重ねた。
「アンリの予見から、おまえを逃してやらねばと思ったのだ」
ヨーハンはヴィエルジュの手の下で、こぶしを握った。
「おまえもアンリも、余が信を置く友であったが、おまえ達二人は、仲が悪かったからな」
「私自身は、蛇を嫌ってはおりませんでしたよ」
「そうだな」
ヨーハンは寂しそうに笑った。
「だがアンリはおまえの美しさを許せなかったのだ。醜男の嫉妬だ。おまえにはわからぬだろうが」
「ヨーハンは醜男ではないと――」
そこでヴィエルジュは口をつぐんだ。
「いえ、やはりもう少し痩せるべきですね」
「まだ言うか」
ヨーハンはぶすくれた。
「ならば今宵、食事の用意はせずともよいな。余の節制につきあってもらおう」
「節制はお一人でどうぞ」
ヴィエルジュはテーブルの上の、干しブドウをつまんだ。
「今宵は何が出されるのでしょう。鳩だと嬉しいのですが」
「そう言うと思い、鳩のパイ包みを用意させておる」
ヨーハンは額に手を当て、嘆息した。
「それはいい。楽しみに待つとしましょう」
ヴィエルジュはにやりとした。
「それまでは、干しブドウとチーズで、腹をもたせるとしますか」
つまみを盛り合わせた皿のすぐそばにある、錫のデキャンタを、ヴィエルジュは手に取った。
ヨーハンに断ることなくふたつの杯へと注ぎ、ひとつをヨーハンの前に押し出した。
二人は杯を軽く掲げて飲んだ。
「うっ。これは」
ヴィエルジュが顔をしかめる。
「ヨーハン、あなたはいつも、こんなものを飲んでいるのですか?」
「しかたあるまい」
ヨーハンは、口元をおさえるヴィエルジュに横目をやりながら、ちびちびと飲んだ。
「厳しき冬のフランクベルトだ。常春のリシュリューには、到底かなわぬ」
ヴィエルジュはすかさず、粗末なテーブルの上に瓶を置いた。懐にしのばせていたらしい。
「リシュリューからの手土産です」
ヴィエルジュはそう言うと立ち上がり、ヨーハンに背を向けた。
勝手知ったる様子で、ヴィエルジュは戸棚をごそごそやると、錫の杯をふたつ、手に戻ってきた。
ヴィエルジュが瓶を傾ける。
ひとつの杯へ、淡黄色のワインが注がれた。杯が差し出さる。ヨーハンは「ありがとう」と受け取った。
ヴィエルジュが自身の杯へと、ワインを注ぐ。
そこでヨーハンの目が留まった。
ヴィエルジュの指に嵌められた、大づくりな赤碧玉の指輪。
ヨーハンは薄く笑った。
「そのガラクタ。まだ現役なのだな」
ヨーハンはヴィエルジュの指輪に向かって、顎をしゃくった。
「我がフランクベルトの領邦、南島トゥーニスの土産品だった」
「そうです。よく覚えていますよ」
ヴィエルジュは赤碧玉をそっと指でさすった。
「ヨーハンがめずらしく駆けてくるものだから、何かと思えば」
ヴィエルジュは、くつくつと笑った。
過去を振り返る幼馴染の様子に、ヨーハンが目尻を下げる。
「あなたはずいぶん、興奮していましたね」
「まさか南島トゥーニスで、アカンサスの意匠を見つけるとは思わなかったからな」
ヨーハンがうなずく。
「アカンサスとは、リシュリューにしか生息しない植物だとばかり思っていたのだ」
「ええ、そう言っていましたね」
ヴィエルジュは懐かしそうに目を細めた。
「あのあたりから、ヨーハンの園芸熱が始まったのでしたっけ」
「そうだったな」
ヨーハンはヴィエルジュの指輪をじっと見つめた。
「気候の異なるトゥーニスでも生息するというのならば。マリーの――リシュリューに生息するアカンサスを、フランクベルトでも繁殖させることができないか。そう考えたのが、始まりだった」
ヨーハンのつぶやきに、ヴィエルジュは目を見開いた。
男二人は、しばらく、赤碧玉を囲む石座を黙って見つめた。
リシュリュー侯爵領でなじみ深い、アカンサスの葉。
子どもの選んだ土産物らしく、指輪に刻まれた彫りは浅く、粗く、稚拙だ。図案にしても、どこかで見かけたことのあるような、ありきたりな文様。
ヴィエルジュのような、心身ともに成熟した貴顕が、身に着けるような代物ではない。
しかし洒落者のヴィエルジュが、もっとも大切にする宝飾品のひとつ。それがこの、赤碧玉の指輪だった。




