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54 現実になった悪夢




「いかん!」

 ジークフリートは寝台から飛び起きた。


 枕元のベルを激しく振り鳴らし、扈従(こじゅう)を呼ぶ。

 ジークフリートは慌ただしく寝間着を脱ぎ捨てた。

 その足で衣装戸棚を開け、ひったくるようにしてキルトのダブレットを取り出す。



「お呼びでしょうか」

 扈従が控えめに扉をノックした。



「王陛下の寝室に敵襲だ!」

 ジークフリートはダブレットの前ボタンを、もたもたと不器用な手つきで留めた。

「兵を向かわせろ! 七忠を叩き起こせ! 急げ!」



 キルトのダブレットは、首下から裾までボタンがずらりと並び、しっかりと縫いつけられている。

 容易に外れぬようにか、ボタンを引っ掛ける組紐がきつい。

 キルトという中綿入りの生地もまた、厚みがあってやりにくい。

 ジークフリートには、ボタンが無限に続くかのように思えてならなかった。


 見かねた扈従は、ジークフリートの身支度を手伝おうと近寄った。

 しかし、主の怒声の意味がわかると、ぎょっとした顔つきで立ち止まった。



「敵襲ですか?」

 扈従が復唱する。



「そうだ!」

 ジークフリートは苛立ち、怒鳴った。

「敵が何者かわからぬ。視界が阻まれている。結界が破壊され、おそらく聖剣が奪われた!」


「聖剣が……!」

 扈従の驚愕の表情が、戦慄(せんりつ)へと深まる。



「これ以上の情報は持ち合わせておらぬ」

 ジークフリートは扈従に背を向け、衣装戸棚を乱暴に閉めた。

「さあ、行け! 城中が目を覚まさなくてはならぬ! 回廊の衛兵も、ひとりを残して全員、陛下の御許へ! 女子は皆、王妃陛下の――いや」

 ジークフリートは扈従へと振り返り、叫んだ。

「女官長のもとへ向かわせ、彼女の指示をあおげ!」



 扉の向こうで、ばたばたと乱れた足音が遠のいていく。

 指示や報告、怒号が交錯(こうさく)している。



「王陛下のご寝室に襲撃あり!」


「ただちに向かえ!」


「起きろ!」


「王太子殿下のご命令である!」


「衛兵数名が、すでに倒されている!」



 混沌とした様子が、扉越しに伝わってくる。

 ジークフリートは慣れない鎧一式を、ひとりで身に着けようと奮闘していた。


 剣も槍も弓も、一通り稽古をつけられた。その経験はある。

 人間の致命傷がどこであるかはわかる。

 脳や内臓へ、深く傷が達すれば。血を大量に失えば。肺に穴があけば。呼吸が停止すれば。傷口に毒を注ぎこんでやれば。


 さて、剣はどのように振るうのだったか。

 そもそも、鎧をまとう必要は、あるのか。



「ジークフリート殿下! 失礼いたします!」

 ノックと同時に近衛(このえ)騎士団副団長が飛び込んできた。

「大変遅くなり、申し訳ございません! 御身の護衛にまいりました!」



 ジークフリートはほっと息を吐き出した。

 副団長がジークフリートの手からチェインメイルを受け取る。



「上から失礼いたします」

 副団長はチェインメイルをジークフリートの頭上からかぶせた。



「レオンハルトは、どうしている」

 ジークフリートは腕を動かし、チェインメイルの着心地を調整した。

「まさか直接、陛下の御前へ向かってはいないだろうな」


「レオンハルト殿下の御許には、ギュンターが向かいました」

 副団長は、長持から板金鎧や長剣を取り出した。


 武具がつぎつぎに、身に着けるべき順で長椅子の上に並べられていく。



「ギュンターか」

 ジークフリートはうなずいた。

「ならば、心配はいらぬな」



 ギュンターとは、レオンハルトの最も信の置く彼の扈従だ。

 剣に乗馬に狩りに、退屈な座学から抜け出すのにも。

 レオンハルトは、どこへ行くにもギュンターをともに連れた。

 キャンベル辺境伯領遊学でも、ギュンターはもちろんレオンハルトに同行した。


 ギュンターというフランクベルト風の名が示唆する通り、彼はフランクベルト家庶流の出自だ。

 さらに言えば、彼の祖父は親愛王。

 つまり親愛王の庶子が彼の父親であり、ジークフリートとレオンハルト兄弟とは、従兄弟の関係にある。



「カトリーヌ妃にルードルフらの動向は、わかるか」

 ジークフリートは両腕をのばし、副団長が板金鎧を着つけ終えるのを待った。



「部下が駆けつけた頃、カトリーヌ様、ルードルフ殿下、ハンス殿下、フィーリプ殿下の全員がご就寝中でした」

 副団長は、板金鎧をつなぐための革のベルトを締めつけた。

「現在、カトリーヌ様のお部屋にお揃いです」



 鎧が整い、副団長は下がった。

 膝をつき、ジークフリートの指示を待つ。



「そうか」

 ジークフリートは肘を屈伸させ、動きを確認した。

「まずは、レオンハルトの元へゆくぞ」


「はっ!」

 副団長は立ち上がった。


 先頭に副団長が立ち、続いてジークフリートが扉の外へ、足を踏み出した。

 扉外で待機していた衛兵が、ジークフリートの後塵を拝した。







 扉の向こう側で、怒声があがった。

 かと思えば、なにかが激しくぶつかり合う音がする。


 重い金属が床に叩きつけられたのか。

 振動が分厚い絨毯越しにも伝わってくる。

 そして断末魔の叫び。

 ふたたび始まる争いの合図。


 隠し通路を抜ける気は起きなかった。

 そもそもが、こうなることを恐れつつも、一方で望んでいた。



「マリー。おお、愛するマリーよ。余の命もこれまで」

 ヨーハンは寝台に寝そべったまま、つぶやいた。


 室内には、ヨーハンひとり。

 ヨーハンの私室には、フランクベルト王国唯一にして、厳重なる結界が施されていた。

 それはもちろん、単純なスペルのことを示すのではない。


 王がその身体に流す、建国王の青い血と、建国王の冠と、それから建国王の聖剣。

 三つが揃うことで、結界は確実に作動する。

 だが現王ヨーハンの身体に流れる血は、すでに赤い。


 目をつむれば、かつて彼の妻マリーと交わした会話が思い出された。

 マリーは幼い頃から、とくべつに美しい女児だった。

 その輝かしい美しさは、まるで神の御子のようであった。


 ヨーハンがまだ王太子であった頃。

 今のレオンハルトと同じくらいの年で、臆病者のいくじなしだった頃。


 フランクベルトにおける神の御子は、実際はヨーハンだった。マリーではない。

 だが彼は、どうにもぱっとしない容貌だった。

 フランクベルトをおとずれる各国の使節が、彼をどのように形容し、国元に報告しているかなど、ひどいものだ。



『ヘラヘラと、しかし臆病な笑みは、鈍重な牛を思わせる』



 ベンテシキュメだったか。あるいはロデだったか。

 いずれかの国の使節が、大国フランクベルトの王太子ヨーハンについて評した言葉だ。


 ベンテシキュメやロデといった小国は、リシュリューと縁があり、リシュリューの嫡男ヴィエルジュがこっそりとヨーハンに教えてくれた。

 ヴィエルジュもまた、美しい男児だった。




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― 新着の感想 ―
敵襲!?(◎o◎) そしてはじまるヨーハンの回想。 これまであまりヨーハン側の話は出てきませんでしたものね。 ここで明らかになるのか……?
[良い点] いつも冷静沈着なジーク様が焦ってる!! それだけでもものすごい緊迫感あり!! 副団長とギュンター、いかにも頼りになりそうで良かった!! 父ヨーハンへの深い情愛を見せたことなかったけど、王…
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