45 兄弟の密談(7)
「とはいっても」
仮定の未来図を実現可能な脅威として語ったジークフリートだが、その調子をゆるめた。
「勢いのもと、仮にエノシガイオスの大陸統治が為ったとして、長く続くはずはない」
「なぜですか?」
レオンハルトはどこか、拍子抜けしたような心地になった。
「大陸には多民族多文化が存在するからだ」
ジークフリートは地図上の、フランクベルト王国が統治する東西南北をぐるりと指で囲った。
「エノシガイオスは帰属意識が高い。エノシガイオスが多様な在り方を認めることはないだろう。
言語も信仰も、生活様式さえも、統一しようとするはずだ」
「なるほど。そうなれば反発が起きますね」
兄の言葉を聞き、レオンハルトにも思い当たる節があった。
フランクベルト王国の東。
王都からも七忠の領土からも遠く、母語の成り立ちも異なり、遊牧民との交流が密な民。
彼らの起源は、西寄りのフランクベルト家、七忠とは、まったく異なる。
それということは、もちろん、エノシガイオスとも異なる民族だ。
現在のフランクベルト王国では、母語も文化も慣習も、ある程度自律した法でさえも、各領邦に任せている。
それらにかかる特別税が、国庫をうるおす。
「そうだ。それに」
ジークフリートは、左手の切り傷を見た。
「建国王の子孫であるフランクベルト家の当主は、青い血を発現したのちには、そう容易に死ぬことはない。勝敗の見えた博打は、博打になりえない」
「容易に死ぬことはない? ではなぜ、親愛王は父王陛下に……」
レオンハルトは、その先の言葉を濁した。
「親愛王と、彼のそばにいた七忠の死因が、粟粒熱だったからだ。あの病は原因不明なうえに、急速に進行し、一気に重篤化する。手の施しようがない。そのためだ」
口をはさむ隙も見せず、ジークフリートはまくし立てた。
「王は国の護り人であり、七忠は王の護り人でもある」
死因は粟粒熱?
父王が親愛王を倒した、とジークフリートはたしかに言った。
それなのに、死因が粟粒熱?
それに、七忠が王の護り人として在ったのならば、防ぐ手立てはなかったのか。
レオンハルトは兄にたずねるのをためらった。
遠慮なく質問しろ、とは言われた。
だが今のジークフリートに、問いかけていいのだろうか。
「つぎに、父王陛下の目指したのは、民個人の自由意志と権利を尊重することだ」
レオンハルトがくよくよと思い悩んでいる隙に、ジークフリートはさっさと話題を変えた。
「民意を尊重するというのは、神意などというあやしげな根拠より、すばらしいように聞こえますが」
レオンハルトは首をかしげた。
あの父が、そんな高尚な思想を?
「民意によって君主が選ばれ、君主は自身を選んだ民にのみ責任を負い、自身を君主と認める民だけの集団を国とし、互いの権利を守る社会秩序を築くという国家だ」
ジークフリートは獅子を宝箱の上からおろし、他の駒と同じ高さに置いた。
「それはつまり、国王は国民にのみ責任を負い、国民の権利だけを求めるものだ。そうであれば、民意による大陸の融合を目指すとして、国民以外の不利益を生じてもよいことになり、我が国以外の領有を侵略することに、なんの咎もなくなる」
「さて、レオン」
ジークフリートは姿勢を改めた。
軽く組んだ手。
あたたかくて、きらきらとした瞳。
レオンハルトを覗き込み、期待し、また受け入れるような兄の様子。
「我が国が抱える、多種多様な民族と文化。数多の領邦と自治都市を、王が統治することのできる、その根拠はなんだと思う?」
「国教、ですか」
レオンハルトはしぶしぶ答えた。
宗教は好きじゃない。
戦場に出てから、よりいっそう、神意に疑問を抱くようになった。
「正解」
ジークフリートは、立ち並ぶ駒をすべて手で払った。
「王権が神意によらぬのであれば、領邦はフランクベルト王国に従う必要はない」
地図の上で、八つの駒が散り散りに飛んだ。
「そうなれば、いずれ必ず、各領邦は独立を目指し、この国は崩壊する」
ジークフリートは横倒しの獅子の駒を拾い上げた。
「父王陛下は、この国の穏やかな解体が、民それぞれの自由意志を尊重し自立を促すことであるとした」
「国の解体が?」
レオンハルトは仰天した。
「そうだ」
ジークフリートは弟の驚愕を予期していたのか、動じずにこたえた。
「そして解体によってもたらされた、民個人の自由意志と権利が尊重される状態こそが、建国王の政治理念。つまり大陸の平和的融合なのだと、父王陛下は見なした」
「しかし、そうなっては大国が消え、小国が分立することになってしまう……」
レオンハルトは混乱する頭の中を整理し、どうにか口を開いた。
「平和なのか? 動乱の世となるのでは?」
己自身と会話するようなレオンハルトの独り言に、ジークフリートは答えなかった。
口の中はからからに乾いていた。
のどが渇いたという、兄のぼやきがよくわかるような気がした。
ひとくちでいいから、ワインでのどをうるおしたい。
「そうか」
レオンハルトは顔をあげた。
兄は弟を待っていた。
「建国の七忠の持つ、この国における――いえ、大陸に及ぼすほどの強権が」
かすれ声をなおすために、レオンハルトはつばを飲み込んだ。
「失われてしまうのですね」
「その通りだ」
ジークフリートは力強くうなずいた。
レオンハルトの脳内は、これまでないくらいの速度で回転していた。
それにもかかわらず、彼に与えられた情報は、彼の処理能力を大幅に超えていた。
結局のところ兄が何を言いたいのか。
そもそも何がきっかけでこういった話になったのかすら、よくわからなくなった。
「つまり七忠にとって、父王陛下がその思想のままで政権を握られては困るわけだ」
ジークフリートは、泣き出しそうなくらいに困り果てた弟の顔を見て、いったん話を切り上げにかかった。
「かといって親愛王のなすががままに任せれば、リシュリューとエノシガイオスに覇権を奪われかねない」
そうか。そういうことか。
レオンハルトの顔に、うっすらと笑顔が浮かんだ。
兄が会話の流れを導いてくれたので、彼は安心して答えを返すことができると思った。
「リシュリュー以外の七忠は、先王と現王と、どちらの肩も持つわけにはいかなかったのですね」
レオンハルトはほがらかな声で、歌うように言った。
ジークフリートはうなずき、「そういった膠着状態にあったということだけ、理解しておけばよい」と請け合った。




