44 兄弟の密談(6)
「まあ、それはいい。話を戻すぞ」
ジークフリートはコツコツとテーブルをたたき、弟に席に戻るよう促した。
「問題というのは、父王陛下の思想だ」
「思想ですか?」
父ヨーハンに思想などあったのか。
レオンハルトはいぶかしんだ。
だらしのない肥満体。
幼馴染である七忠と、くだらないおしゃべりをするだけで、君主たる威厳もなく。
国のために王のために、兵士は戦場へと向かうのにも関わらず、王自身はひたすらに戦を嫌悪し、兵士に声をかけ鼓舞することもない。
さらには国の長たる王が、国教に敬虔な信徒であろうとすら、しない。
だいたい、現在の王室が不信心である諸悪の根源は、父王がまったく神を敬わないからだ。
父王は、王宮にあった祈祷室のすべてに手を入れ、用向きを変えさせた。
祈祷台と燭台しかない部屋。
窓から月明りが差し込めば、壁も床も、ほのかに青く光った。
今では、不要になったガラクタが詰め込まれている。
それだけじゃない。
各々が自室で祈祷することすら、父王はいやがる。
そうであるからこそ、レオンハルトが王子の身でありながら、これほどまで不信心でも許されるのだ。
「建国王の理念への解釈が、先王と現王で異なり、それによって親子間の亀裂が生じたと言ったろう」
ジークフリートはさきほど彼が言ったばかりの言葉を繰り返した。
父王へ不信感を抱く弟が、その偏見によって真新しい記憶を塗り替えていないか。
兄のもたらした新しい情報をまだ覚えているか、確認するために。
「はい。ただ、伯父ヴィエルジュの言い分では、父王陛下には王としての正当性がないと」
レオンハルトは戸惑いながら、伯父に言われたことを兄に伝えた。
「というのも、政治理念を持たず、私欲のためだけに父殺しまで犯した大罪人であるからということでしたが」
「父王陛下の掲げた思想が、リシュリューを含む七忠にとって、都合が悪かっただけだ」
ジークフリートは苛立たし気に手を振った。
「建国王の理念が大陸の平和的融合なのだとして、その根拠を神に求めるか。それとも王と民との共存社会、その社会契約に求めるか。それが先王と現王の違いだ」
「共存社会の社会契約とはなんです?」
レオンハルトには兄の言うことが、さっぱりわからなかった。
政治や社会理論のたぐいは、苦手中の苦手だ。
学んだことのない魔術について、直感を頼りにスペルや陣を導き出せ、唱えてみろ、と言われるほうが、ずっとマシなくらいだ。
「端的に言えば、互いの権利を尊重し合うことによって、同社会でひとびとが共存できるという、民主体の国家を目指す話なのだが」
ジークフリートはそこでひとたび、言葉を区切った。
レオンハルトは硬直していた。
ジークフリートはふき出した。
兄の細い金の髪が揺れるたび、きらきらと光る。
弟の巻き毛は濃い金色で、精緻をこらした密度の高い金細工のように艶やかで、華々しい美しさがあった。
一方、兄のまっすぐな淡い金の髪は、まるで晴れた日の海に、その水面を光が走るような、そういった美しさがあった。
それだからジークフリートが笑う姿は、レオンハルトに、初夏のリシュリュー港を思い起こさせる。
紫と白、濃い緑のアカンサス。銀色のオリーブ。たわわに実るオレンジ。つるを這わせるぶどう。石灰クリームの塗りたくられた白壁。
白い砂浜に、澄みきった碧い海。雲と空も、海に同じく、あざやかに冴えわたる白と青。
リシュリュー侯爵領は、美しい土地だった。
「おまえは本当に、政治が苦手なのだな」
ジークフリートはからかうようではなく、笑いをふくんだあたたかな声で言った。
「申し訳ございません」
レオンハルトの首から頭まで、急激に血流が集まる。
「いや。おまえの苦手なことをわかっていたのに、説明を省いた私が悪い」
ジークフリートは腕を組み、「そうだな」としばらく考え込んだ。
それから彼は、獅子の駒を宝箱の上にのせた。
「この国の従来の政治は、神意に基づく政治――神に選ばれし君主が、神意によってひとびとを導き統治するというものだ」
七つの駒が、宝箱をとりかこみ、獅子の駒を見上げるかっこうで並べられる。
「親愛王は、神意により大陸の平和的融合を求め、神意により、大陸の統治者たらんとした。そのため大陸に生きる民は皆、親愛王の民であり、たとえ親愛王の求めに応じない民であってさえも、彼の慈愛は注がれる」
ジークフリートは、弟がついてこられているかどうか、ちらりと確認した。
「息子が反抗するからといって、寛容な父が息子を勘当するわけがあるまい?」
「なるほど」
レオンハルトがうなずく。
「そういった理屈で、『父に反抗的であった息子』を許し受け入れ――つまりその息子というのは、エノシガイオス公国なのだが」
ジークフリートは蝶の駒を指で弾いた。
「先王は、エノシガイオス公国と二重結婚をなすことで、あわよくばエノシガイオス公国を手中にしようとしたのだ。結婚する当事者の片方が嫡男を遺さずに逝去した場合、相手側が各家の継承ができるよう、条項が取り決められるはずだった」
「それはずいぶんな博打では?」
レオンハルトはおそるおそる、たずねた。
兄の説明を正確に理解できている自信はなかった。
だが、フランクベルト家ばかりが有利になるような、そんなにうまい話があるだろうか?
「そうだな」
ジークフリートはうなずいた。
「ヨーハン王陛下がエノシガイオス公女を遺して逝去すれば、我が国の継承権がエノシガイオス家に移る可能性は、わずかながら、あった。父王陛下には、他家に嫁いだ姉妹しか、他にきょうだいがいなかったからな」
やはり、フランクベルト家ばかりが有利となるわけではなかった。
では、エノシガイオス家に運が味方するとなれば、どうなる?
「そのうえ、トリトン公子の妻となった母マリーが、かつてエノシガイオスから分かれたリシュリューの出自とあっては……」
レオンハルトは重ねて、兄へとたずねる。
「ああ。エノシガイオスは、過去にリシュリューをフランクベルトに奪われたと恨んでいた」
ジークフリートは弾むような声で、弟の質問に答えた。
「その執念が、エノシガイオスに二重結婚を承諾させる鍵だった」
兄は弟との会話を楽しんでいた。そしてそれは弟も同様に。
フランクベルト家の兄弟としてする、他愛のない悪ふざけだけでなく。フランクベルト家の王子としてする、政治にまつわる会話。
ジークフリートとレオンハルトは仲の良い兄弟だったが、深く政治を語り合ったことは、これまでにない。
「では、ヨーハン王陛下亡き後、エノシガイオスの血を引く次代が我が国の正当なる継承者となり。加えて、リシュリューの娘である母マリーが、エノシガイオスの次期君主トリトン公子の妃であるとすると……?」
「帰属意識の高いエノシガイオス家が列国を飲み込み、この大陸を掌握するのは、あっという間だろう」
異なる道を進んだ仮定の未来について、兄弟は同じイメージを共有した。
 




