9 相違する二人
レオンは気まずくなって俯いた。
何やらナタリーが浮かれているように見える。
とりあえず自分がしたらしい失言は脇に置いておこう。と、レオンは話をそらした。
「……それで、やっぱり別れたんですか?」
「いいえ?」
「えっ。くっついたんですか」
キョトン、と目を丸くする女――もういいや、ナタリーで。
そのナタリー相手に「こちらこそ目を丸くして驚いているんだぞ」と知らしめたくてたまらなくなった。
ナタリーは「お前は何を言っているんだ? 当然だろう?」みたいな顔をしている。
だが、永遠の別れのような雰囲気を醸し出していたのはナタリーだ。夢の中の。
あれだけ恥ずかしい愁嘆場を演じておいて、結局くっついたのか。
「イヤイヤ別れない! でも仕方ないの運命には逆らえないわ(涙)さようなら(無理やり笑顔)」みたいなやり取りはなんだったのか。
お約束みたいなものだったんだろうか。
国王が?
そんなバカな。いやバカっぽかった。
あれがレオンの前世だと思うと、非常に気が滅入る。
地の底に沈み込みそうだ。いっそ潜りたい。
「最初に断っておきますが」
レオンは額に手を当てて、ため息をついた。
「何かしら」
ナタリーが小首を傾げる。
ナタリーは浮かれているように見えた。
ウキウキしている。ぽわんぽわんと花が漂っているようだ。
黒曜石のようにキラキラと輝く瞳で見つめられたレオンは目をそらす。
何か期待をされているとレオンは思った。
しかしこれからレオンが口にしようとしているのは拒絶の言葉だ。
ぐっと息を飲み込んでからレオンは重い口を開く。
「僕の前世が誰であろうと、あなたのいう『レオンハルト元国王陛下』は僕ではありません」
ナタリーが瞠目して息をのむ。
ああやはり傷つけてしまっただろうか、とレオンの胸が痛んだ。
でもレオンは生まれてからずっと平民で、王様だったことなどない。
レオンハルト元国王陛下だという少年の、金髪碧眼に対して、レオンは栗毛で濃茶の瞳。
髪の色も目の色も違っている。
顔つきだって全然違う。
男らしくキリリと眉目秀麗なレオンハルトに比べてレオンは女顔だ。
十四、五歳のまだ少年の域を出ないレオンハルトの方が、ヒョロヒョロとしたレオンより体格がいいように思う。
考えれば考えるほど、レオンはムカムカしてきた。
「彼の記憶は先ほど少し覗いてしまいましたが、あれは僕じゃない」
故意に人を傷つける言葉を放ったことがほとんどないレオンは、眉間に皺を寄せてなんとか言葉を絞り出した。
ナタリーの顔を正面から見ることができない。
「そうでしょうね」
「え。」
あっけらかんと明るい声が頭上から降ってきて、レオンはぽかんと口を開けた。
見上げるとその表情に影の一つも浮かんでいないナタリーと目が合う。
ナタリーは特になにも思うところがないようで、頬に手を当て「それで?」と促してくる。
「それで……え、いや。ですから」
しどろもどろになってレオンは頭の中を整理しようと努めた。
それで、なんだろう。
前世だとかいう男と今の自分は違う人間だと伝えたかった。すんなり了承された。
肩透かしを食らった気分だ。
そもそもレオンは、なにを伝えたかったのか。
困惑しつつも考えをまとめるべく頭をめぐらす。
「僕は彼ではないのですから……。いえその前に、あなたは僕に何を望んでいるんですか?」
前世だとかいうものを見せられてこれがお前だと突き付られ。
その男の恋人は自分だと主張され。
てっきりナタリーは、恋人らぶらぶワンモアアゲインを望んでいるのかとレオンは考えた。
しかしもしかしたら、ナタリーの狙いは他にあるのかもしれない。
確認もせず自意識過剰にナタリーを突き放した自分が恥ずかしい。
前世への反発心と嫌悪感を回れ右させ、レオンは我に返った。
ナタリーがレオンに好意を持っている前提で話を進めていた。なんという勘違い。
レオンは掌を顔の前で合わせて、重なり合う親指に額をのせた。
一方ナタリーは、刺々しく噛みついていたレオンが、突然勢いを失って萎れてしまったのを見て、尻尾をだらんと下げた猫みたいだと思った。
「相変わらず猫なのね、レオン」
ふふふ、と口元を抑えて愉しげに笑うナタリー。
「はい?」
レオンは眉を顰めて怪訝そうに見やった。
やっぱりレオンハルト陛下と同一視されているような気がする。
レオンは思う。
猫ってなんだ。獅子だっただろ。獅子にしたってレオンハルトであってレオンではないが。
こほん、とわざとらしい咳をして仕切りなおすナタリーは、レオンの胡乱な視線から目をそらす。
「あなた医者の真似事をしているのでしょ?」
「まあそうですね」
正式な認可を得ていないので真似事といえばそれまでだ。
「そんなあなた様にお願いがあって参りました」
「急に口調が丁寧になりましたね」
嫌な予感がするとレオンは思う。
見せられた前世の中でも、ナタリーが口調を改めたのは、なにかを誤魔化そうとしたときだった。
「あたしをここに住まわせてくださるわね?」
「はい?」
レオンの意思を汲んで許可を取ろうというのではなく、なぜか決定事項として告げられている。
「だってお腹に赤ちゃんがいるのよ」
ナタリーはお腹をなで、くちびるをとがらせた。
「はあっ?」
裏返ったレオンの声がリビングで間抜けに響いた。
「お腹に赤ん坊を抱えた哀れな身寄りのない薄幸の美女を、まさか寒空の下、放り出すなんてことはしないわよね?」
ナタリーは怒ったように目を吊り上げ、手を腰にあてて仁王立ちする。
「薄幸の美女って誰ですか」
思わずレオンは真顔に戻った。
当然の権利のように主張するナタリーは厚かましく、傲慢な様子がまるで女帝のようである。
薄幸のなんちゃらの繊細さは全く見受けられない。
レオンの見てきた女達の中で誰より威風堂々としていて貫禄がある。
確かに美女ではある。
だがナタリーの美しさは、妖艶で毒々しい。希代の悪女といった風貌だ。
「とにかくここに置いてくれるのよね?」
己の容貌を正しく理解しているだろうナタリー。レオンの疑問をさらりと流して、同居をごり押ししてくる。
「父親のところへ行ってください!」
レオンは悲鳴を張り上げた。
「だってこの子の父親ってあなたの前世のレオンなのよ?」
だがナタリーは困ったような顔で、しかしひとかけらの弱弱しさもなく言い返した。
困っているのはこちらの方だとレオンは思う。
困っているなんてものじゃない。
言葉が通じない未知の生物と会話しているようで頭を抱えてしまう。
「父親のところっていったらここじゃないの」
「だから僕は前世のレオンとかいう男じゃないって言ってるじゃないですかっ!」
レオンと前世のレオンハルトは違う人間だと伝えれば納得した素振りを見せたくせに、ナタリーはやっぱり理解していなかった。
騙された!
約百五十年前の人間との赤ん坊ってなんだ、その赤ん坊は人間なのか。という至極当然の疑問に思い当たるには、レオンは混乱し過ぎていた。