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三話




しばらく館内を物色し、いくつか気になった本を棚から取り出しページをめくった。


中国の歴史。恋愛小説。漢字辞典。昆虫図鑑……


ふと、三毛猫はなんで毛の色が三色なのか?気になって、どこかに載っている本はないか探してみた。


すぐに動物図鑑のコーナーに、いつくか猫について書かれていると思われる本を見つけ、その中から「猫の生態」というタイトルの本を手に取った。


B5サイズで百ページほどの、どこにでもあるような本に見えたが、唯一表紙に載っていた猫に違和感を覚えた。先ほどエントランス前で見た三毛猫にそっくりだったのだ。けれど、じっくり見たわけではないので――むしろ目を逸らしていたので――、正確にそっくりだとは言い切れないが、僕にはそう感じたのだ。


とりあえず中を開いて見る。


主に種類別の飼い方が、カラーで載せられていた。


スコティッシュフィールド。

アメリカンショートヘア。

マンチカン。

ブリティッシュショートヘア。

ロシアンブルー。

ペルシャ。

などなど……


どれも可愛らしい見た目をしていた。


犬派か猫派か聞かれたら、僕は迷わず猫派と答える。

猫は好きだ。ただし、先ほどの三毛猫を除いて……だけれど。


犬は苦手だ。というか、猫以外の動物が、僕はあまり得意ではない。上手く説明は出来ないが、何か得も言われぬ恐怖みたいなものを感じてしまうからだ。昆虫もしかり。


「猫の生態」には、三毛猫についてある程度詳細に説明が載っているようだった。それによると、三毛猫の性別はほとんどがメスとなり、オスはたいへん珍しいということらしい。そして、それは猫の遺伝子を決定するX染色体によって決まるらしい。


どうやら色に関しても、染色体が関係しているような記載が目に入ったが、理解するのに時間を要しそうな気がして、読むのを止めてしまった。僕は文系なのだ。


その後、いくつかの書棚を行き来し、五冊の本を選んだ。借りていこうかと思ったからだ。


他にもたくさん読みたい本があったが、いったい一度に何冊借りられるのか分からない。十冊では多い気がするし、三冊では少ない気がする。妥当なところで、五冊くらいだろうと当たりを付けたのだ。


壁に掛けてあった時計を見ると、すでに十六時を過ぎていた。


そういえばここに来てから時計を全く見ていなかったことに思い至った。それだけ、なんだか時間とは隔離された空間に身を置いているような気分だった。単純に本が、あるいは図書館という場所が好きだということかもしれないけれど。


電車に乗っていた時間や、駅からここまで来るのに要した時間を計算すると、三時間くらいはここにいるのではないだろうか。


閉館の時刻もはっきりとは把握していないが、だいたいこういう施設は十七時だろうと勝手に決めつけ、余裕を持ってそろそろ退館すべきだろう。


受付カウンターに向かうと、来たときと同じ若い女の司書が、最後に見た記憶と相違ない姿勢でそこに座っていた。あまり気乗りはしなかったが、彼女以外受付にはおらず、話しかけざるを得なかった。


「ここ始めてなんだけど、本を借りることって出来る?」


僕は彼女と目を合わせないよう、伏し目がちに五冊の本をカウンターへと出した。


彼女はチラリと僕の顔を見てから、カウンターに置かれた本を手に取って眺めた。念入りに表紙から、一ページ一ページめくり、裏表紙、そしてまた表紙と、検分するように時間をかけて見ていった。全ての本を見終わると、表情を全く変えずに、「あなたにこの本は貸せないわ」と、冷徹に言ってのけた。


この図書館は一般の人々に本の貸し出しを行っていないわけでもないだろうし、僕が持ってきた本が、五冊全てが貸し出し禁止の物だというわけでもなさそうだった。


図書館で本を貸せないと言われたのは初めての経験だった。少なからず彼女のその言葉に僕は驚き、何を言えば良いのか分からず無言で立ちすくんでしまった。


少しして、もしかしたら僕の借りようとしている本に予約が入っていたのかもしれない、あるいは、僕が五冊までだと推測した貸し出し数が、定められた限度を超えていたのかもしれないと思った。


実際僕はここの図書館の他に、市内のいくつかの図書館から現在何冊かの本を借りている。そういうものが、もしかしたら合算されるのかもしれない。


僕は本の貸し出しに関してどういう事情があるのか、質問しようと口を開きかけたとき、彼女はそれを待っていたかのようなタイミングで一瞬僕のより早く口を開き、話し始めた。


「あなたがもしこの本を借りたとする。そして家に着いてから、夕食でも食べながら見るのかもしれない。あるいはお風呂に入ってから寝る前に見るのかもしれない。それとも疲れて寝てしまって、明日起きて仕事に行く仕度をして、通勤途中の車内で見るのかもしれない」


何の話をし始めたのか、その方向性を全く予測することは出来なかったが、なぜか口を挟むべきではないと感じ、そのまま僕は話に耳を傾けていた。


「最初に手に取った本を、最初から最後まで全部読んで、次の本に移るのかもしれない。あるいは、複数の本を少しずつ少しずつ順番に読んでいくのかもしれない。途中を飛ばして読む本もあるかもしれないし、止めてしまうものもあるかもしれない。けれど、少なくとも本を借りて、ただの一度も、どの本も全く読まずに期限の二週間が経ってしまって、ここへ返しに来ることはまずないでしょう?そうするとどうなると思う?」


どうなると思うかと聞かれ、一体どうなるのか頭の中で思い巡らせて見たが、さっぱりわからず、堪らずに「どうなるんだい?」と聞いた。そこには多少の興味もわいていたかもしれない。


すると彼女は「それはね、不幸になるわ」と、あっさりと思いがけない事を言ってのけた。

まるで何でも無いことのように。今日は午後から雨になるわ、とでもいう風に。


「うぇ?」僕は彼女の言葉がうまく頭の中で処理出来ずに、口から呻き声のようなものを発してしまった。


あまりに大きな声だったので、僕は少し恥ずかしくなり、口を両手で押さえ後ろを振り返った。僕の後ろに数人が受付をするため列になって並んでいたが、誰も僕のことなんて気にしていないようだった。


彼女はそんな僕の様子や、順番待ちをしている人がいることに全く動じることなく、無表情のままそれ以上は何も言ってはくれなかった。僕はそのまま無言で立っているしかなかった。


彼女の隣に他の女性司書がやってきて、僕の後ろに並んだ人々を対応し始めた。


大学生らしき男の人が数冊の本と貸出カードをカウンターに置き、司書の女性がバーコードを読み取る。それで終わりだった。時間にしたら数十秒。次の人も、その次の人も、全く同じだった。みんな何事もなく借りられているようだった。僕はただそれを、横目で見ているだけだった。


最後の利用者が貸出しの手続きを終え、階段を降りていくと、受付対応をしていた女性司書も、どこかへ行ってしまった。


僕はそれ見送ってから、話しかけた。


「今の人たちの本は平気なのかい?」


「ええ」


「なぜ?特に何か僕と違うところはなかったように思うけれど」


「決まっていることなのよ」


彼女はボソッと言った。僕は上手く聞き取れず「え?」と、眉間に皺を寄せて言った。


「とにかくあなたにはこの本は貸せないの。悪いけど今日のところはお引き取りください」


最後だけ敬語を使う彼女に、テープの切れ端が見つからないときのような、もどかしいというか、何かもやもやとした、すっきりとしない、あまり気持ちの良い感じではない思いを抱いた。


彼女が、これ以上何も喋らないし、僕と関わる事さえしないという風に、僕との間にはっきりと壁を築いたのを感じ、僕はカウンターに本を置いたまま、図書館を後にした。


外に出ると、辺りは薄暗くなっており、物音はまるで聞こえなかった。


周りには歩いている人はおろか、虫一匹いないようだった。ただ二つの瞳が、植え込み草の中で光ったような気がした。


急に虚無感を覚え、僕は足早に家路についた。




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