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モーモー太郎伝説  作者: おいし
第一章
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【第9話】もう一人の

「そこまでだ。」


 静寂を引き裂くように、低く響く声が森に落ちた。


 ネクターが振り返ると、そこには深いフードを目深に被った男が立っていた。薄暗い光の中でも、その姿は異様に静かで、まるで影そのものが実体を持ったかのようだった。


「なんだ?誰だお前は。」


 ネクターの声には苛立ちが滲んでいたが、男は一切動じない。


「剣を下ろせ。その牛を殺させるわけにはいかない。」


 男の声は静かでありながら、刀身よりも冷たく響いた。


 間一髪、謎の男の出現によって一命を取り留めたモーモー太郎は、安堵と混乱が入り混じった表情を浮かべた。


「こ、今度は何だ……」


 ネクターは剣を振り上げたまま、僅かに力を緩める。しかし、彼の眼光は相変わらず鋭く、油断の色は一切見せない。


「誰か知らんが、貴様。この牛を守るつもりか?ふん、この喋る牛が何だっていうんだ。」


「言葉は不要だ。その牛から手を引け。さもなくば、命はない。」


「……ああ!?なめてんのか?」


「お前も傷を負っているだろう。その団子を持って、さっさと立ち去れ。」


 男は一歩も引かず、むしろその立ち姿には一種の風格さえ感じられた。


「ほう、死にたいようだな……。貴様、フードを取れ。その無謀な勇気に免じて、顔だけは覚えてやる。」


 ネクターは剣先を男に向け、鋼のような視線を突き刺す。


 緊張が場を包み、空気が重く張り詰めた。しかし、その男はどこまでも平静を保っていた。



「なぜ、僕を庇う……一体、お前は誰なんだ……」


モーモー太郎の声は震えていた。


 男は無言のまま、フードを放り投げた。ふわりと空を舞った布の下から現れたのは――



「え……?」



 モーモー太郎の目が驚愕に見開かれる。


 ネクターは一瞬の沈黙の後、堰を切ったように笑い始めた。


「はっ!はははははは!!」


 その笑い声は、まるで狂気の鐘を打ち鳴らすかのように森に反響する。



 現れたその姿――男ではなかった。二足で立つ、桃色の毛並みを持つ美しい”牛”だったのだ。



「う、牛だと!?」



 淡い桃色に艶めく毛並み。そして、驚くべきことに、彼は人間のように二本の足で立ち、まるで武人のように構えていた。


「何なんだ今日は!俺は牛の国にでも迷い込んだのか!?その色、そしてその態度!これ以上、俺を笑わせるな!」


「ぼ、僕と同じ……喋る牛!?君は一体……」


 モーモー太郎の声は、期待と恐れが交錯していた。


 謎の牛は、冷静にモーモー太郎を見つめると、静かに口を開いた。



「お前を救ってやる。今は黙って休んでいろ。」



「な、なぜ僕を……?」



 モーモー太郎の戸惑いをよそに、おじいさんとおばあさんが驚愕の表情を浮かべた。


「お主……生きていたのか……」


 その一言は、場に雷を落としたかのように衝撃をもたらした。


「よぉ、爺さん婆さん……久しぶりだな。俺は死んでなんかいない。」


「まさか、生きているとは……すまない……本当にすまない……」


 おばあさんの目からは、後悔と喜びが入り混じった涙が溢れた。


「ふん……あれから14年。俺はお前たちを許したわけではない。しかし、今はこいつだ。」


 桃色の牛は、冷たい眼差しをネクターに向けた。


「くくく、今度は桃色の牛か。今日はなんて日だ、世界中探してもこんな珍事はないだろう。」


「ふん……立ち去れば命だけは助けてやるものを……まあいい、忠告はした。」


 牛は静かに目を閉じた。


 すると、空気が変わる。


「……ん?何だ、この感じは?」


 ネクターは、肌に刺さるような冷気を感じ取った。




ゴゴゴゴゴゴ……




 "黒い影"が、牛の全身から溢れ出す。影は波打つように周囲を覆い、禍々しい雰囲気を纏った。


「な、なんだこれは!?」


 モーモー太郎は、眼前の異様な光景に恐怖を隠せなかった。


 しかし、ネクターはその「影」を知っていた。



「お前……まさか影を扱えるのか!?牛、貴様は一体……」


「さあ、分かるだろう。この傷を負ったお前では、俺に勝てない。」



 牛は一歩、また一歩とネクターに近づいていく。



「くっ……」


 ネクターは後退る。


「ちっ……仕方ない、今日は分が悪いようだ。目的は果たした、ここは引かせてもらう。」


「ま、待て!」


 モーモー太郎が止めに入るが、桃色の牛は静かに制した。


「あいつを止めても、お前には勝ち目はない。今は黙って奴を逃がせ」

 

 ネクターは冷笑を浮かべ、


「ふん……牛ども、気色の悪い奴らだ。次に会った時は、必ず殺す。」


 その言葉だけを残し、ネクターは風のように去っていった。


「待て!目的を言え!」


 モーモー太郎の叫びは、ただ虚しく森に消えた。



______



 桃色の牛は、静かにその場に立ち尽くし、横たわるおじいさんとおばあさんに冷徹な視線を向けた。


「まだ、死んではいないだろうな……」


 その声は、凍てつくように冷たく、しかしどこかに寂しさが滲んでいた。


 おばあさんは震える手を伸ばし、かすれた声で言った。


「お前……まさか生きていたとは……わしらは、なんと償えばいいのか……許しておくれ、も……」


 だが、桃色の牛はその謝罪を一蹴した。



「俺の名はピーチジョン。貴様らに謝られる筋合いはない。」



 その言葉には、断ち切れない過去と深い怨念が垣間見えた。


「ピーチジョン……?」


 おじいさんの声は、まるで亡霊を見るかのように震えていた。


「そう、俺の名だ。貴様らの知っている俺はもういない。今はただ、影となり、全てを終わらせるだけだ。」


 ピーチジョンは、虚空に目をやり、ゆっくりと息を吐いた。


「安らかに眠れ。そして、安心しろ。貴様らの無念は俺が晴らしてやる。」


 その時、突然。



「おーーーーい!!!」



 モーモー太郎の声が、森の静寂を引き裂いた。


「そこの牛!お前は何なんだ!さっきの男は誰だ!この状況を説明しろ!」


 彼の声は怒りと恐怖、そして混乱でかすれていた。


 ピーチジョンはわずかに目を細め、モーモー太郎に視線を向ける。


「……ふん。今はそれよりも、そこの爺さんと婆さんの時間がない。最後の言葉を交わしておくことだな。」


「くっ‥」


 モーモー太郎は歯を食いしばり、体を引きずりながら二人の元へ駆け寄った。


「お爺様、お婆様……!」


「モーモー太郎や……本当に、すまないね……」


 おばあさんの声は、もはや風に消えてしまいそうなほど弱々しかった。


「何を謝っておられるのですか!僕はあなた方に感謝しかありません!」


「お前は……優しい子じゃ……これからは、自分の思う道を進みなさい……」


 おじいさんの目には、消えゆく命の中でもなお、孫を想う温もりが残っていた。


「そんなこと……お願いだから、死なないで!」


 モーモー太郎は涙を流し、必死に手を握ったが、二人の命は静かに消えようとしていた。


「わしらは……取り返しのつかないことをした……だから、お前だけは……自由に……」


 おばあさんの頬を伝う涙は、悔いと安らぎの狭間で輝いていた。


「なぜ、二人が命を落とさなければならないのですか!?お願いです、教えてください!」


 モーモー太郎の声は叫びになり、血を吐くように森に響いた。


「……」


 しかし、返ってくる言葉はなく、ただ静寂だけが答えた。


「なぜ、何も話してくれないのですか!納得できるわけないでしょうが!」


「すまぬ……知らせぬことが……わしらの償いなんじゃ……」


 おじいさんの声は、もはや木枯らしに乗って消えてしまいそうだった。


「意味が……分からない……」


 モーモー太郎はその場に崩れ落ちた。


「そして……ピーチジョン……お主にも……謝罪を……本当に……すまなかった……」


 おばあさんの最後の言葉は、もはや音にならないほど弱かった。


 ピーチジョンは、何も言わなかった。ただ、冷たく見つめ続けるだけだった。


「モーモー太郎や……必ず……幸せになっておくれ……わしらの……大切な……息子……」


 その言葉とともに、二人は静かに目を閉じた。


 しばしの間、モーモー太郎の泣き声が、森の深い奥底まで響き渡った。



ーーーーーー



「おい、ピーチジョン……教えてくれ……この状況を……お前は何者なんだ。そして……僕は何者なんだ……」


 モーモー太郎の声には、悲しみと焦燥が混じり、滲み出ていた。


 ピーチジョンは静かに答えた。



「モーモー太郎、だったな。お前と俺は同じだ。」



「同じ……?」


「だからこそ言う。知るな。そしてこの場から離れ、好きに生きろ。俺と同じ道を歩む必要はない。」


 その言葉は、まるで運命からの逃げ道を示すかのように優しかった。


「何を言っているんだ!みんな同じことを!僕にも教えろ!何が何だか分からないじゃないか!」


 モーモー太郎の叫びに、ピーチジョンは一瞬、哀しげな表情を見せた。しかし、すぐにそれを消し去り、冷徹な仮面を纏った。


「いいか。これからお前が決めた道が、お前の生きる道だ……それでは、もう会うことはないだろう。さらばだ。」


 ピーチジョンは、冷たい風とともに背を向けた。


「待て!ピーチジョン!!」


 モーモー太郎の声が届くことはなかった。


 ピーチジョンの姿は、まるで影に溶け込むように、森の奥深くへと消えていった。

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