【第84話】幽閉〜禁書編〜
「――オロチよ」
重々しい国王の声が、静まり返った大広間に低く響いた。
誰もが息を呑む中、王はゆっくりと立ち上がる。
「たしかに、その研究成果は興味深くもあった。
だが――お主の先ほどの振る舞いは、決して許されるものではない」
低く落ちる声。
その一言一句が、冷たい石壁に跳ね返る。
「いかなる理由があれど、囚人とて“命”は命。
殺しは――殺しだ」
場の空気が、重く沈む。
王の言葉は淡々としていたが、その一言一句には揺るがぬ正義の意志が込められていた。
その視線に耐えきれず、オロチは顔を伏せた。
「しかし――」と王は続ける。
「お主のこれまでの功績、国に与えてきた恩恵を鑑み……
今回は特例とする」
沈黙の中、言葉が淡々と続く。
「外出を禁じ、王宮より程近い離宮にて――三年の幽閉処分とする」
どよめきが起きた。
罰としては、あまりに軽い。だが誰も口を挟めない。
オロチはしばし言葉を失い、俯いていたが――
「……待ってください!!」
突然、絞り出すような叫びが響いた。
「こんな、こんな偉業を成し遂げた私が……
なぜ罰を受けねばならないのです!?
私は“世界を救う”のですよ!!
この計画を止めるなんて――ありえない!!」
声は震え、やがて叫びへと変わる。
だが王は、微動だにせず言い放った。
「その計画とやらは、未だ“不完全”だ。
いかに理想を掲げようとも――
命を冒涜してまで成すものでは、決してない」
静かに、だが決して揺るがぬ声音。
オロチの膝が、ガクリと床についた。
その肩が、ゆっくりと震え始める。
「完璧な計画のはずだ…俺は、間違っていない…」
沈黙。
やがて、その肩を支えたのは――オウエンだった。
「……オロチ」
かつての友の名を、静かに呼ぶ。
「お前がやったのは“実験”じゃない。……“殺し”だ」
その声は低く、深く、痛みを含んでいた。
「理解しろ。
王がこの程度の処分で済ませたのは……
お前の積み重ねた功績のおかげだ。
受け入れろ。それが――せめてもの救いだ」
オロチは何も答えなかった。
ただ、口元を噛み締め、拳を震わせていた。
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そして、その後。
オロチは王宮近くの離宮へと幽閉された。
だが、それは名ばかりの“罰”だった。
国家にとって、彼の知識と技術はあまりにも貴重。
外出は禁じられたが、離宮には最新の研究設備が整えられ、
研究の継続も暗黙のうちに許されていた。
――まるで、「隔離された天才の温存」。
王は罰を与えたのではない。
ただ、“王宮から遠ざけた”だけだった。
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夜。
離宮の研究室に、一つのランプの明かりが灯る。
薬瓶、試験管、積み上げられたノート。
壁には数式が書き殴られ、
その中心でオロチが、止まることなく筆を走らせていた。
「……俺は間違っていない…間違っていない…間違っていない…間違っていない…」
何度も繰り返される呟き。
「無能どもめ……俺を見捨てた報いを――思い知らせてやる……」
その呟きは、誰にも届かない密室で――静かに、確かに、狂気を育てていく音だった。
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――そして、三年の月日が経った。
その朝、王宮の扉を叩く音が静かに響いた。
「オウエン様、失礼いたします」
頭を垂れる王の使者。
「オロチ様の幽閉、本日で三年となります。
国王陛下より、“釈放の可否はオウエン様に一任する”とのお言葉にございます」
静かな報告の声。
長い沈黙の後、オウエンは小さく息を吐いた。
「……そうか」
わずかに視線を落とし、呟くように言った。
「もう……三年も経ったのか」
窓の外を見る。
陽は高く昇っているが、その光はどこか弱々しかった。
遠くには、干上がった畑と、痩せた民たちの姿。
希望を忘れた人々の顔が、嫌でも目に入る。
――国は、まだ救われていなかった。
飢饉は長引き、作物は枯れ、井戸は干上がった。
民の心は疲弊し、祈りすらも消えかけていた。
王政は懸命に支援策を打ち出したが、もはや焼け石に水。
その絶望の中で、ひそやかに囁かれ始めた名があった。
“オロチ”――。
「悪意を吸い取る桃の木……」
「もし本当に存在するなら、民の怒りを鎮められるのでは……」
「あの男に頼るべきかもしれぬ――」
誰もが追い詰められていた。
オウエンは目を閉じ、深く息を吸った。
長い沈黙の後、椅子から立ち上がる。
コートを羽織り、手袋をはめる。
「……行こう」
呟きは低く、決意に満ちていた。
「――扉を、開ける時が来たようだ」
足音が、静かな廊下に響く。
一歩ごとに、空気が重くなる。
離宮の門が見える。
三年間、閉ざされ続けたその扉。
「入るぞ…オロチ」
そして、彼はゆっくりと門を叩いた。
――重い音が、静寂を裂いた。




