【第83話】理想郷〜禁書編〜
「さて、皆さま――」
オロチが両手を広げ、ゆっくりと微笑んだ。
「私が本当にお見せしたかったのは……こんな茶番ではありません。
この“桃の木”こそが、本日の主役です」
その瞬間、鉢植えの中の木が――動いた。
「……え?」
ざわめく王族たち。
若木の幹が、ぎゅう、と音を立てて太くなる。
葉がざわりと茂り、枝が生き物のように脈打っていた。
まるで、呼吸しているかのように。
「木が……成長している……?」
誰かが息を呑んだ。
オロチは嬉々として笑みを深める。
「ふふふ……驚きましたか?
この木は、人間の“悪意”を吸収するのです」
声が低く響く。
「悲しみ、怒り、憎しみ――人の心の澱みを、養分に変える。
これこそが“浄化”の正体。
まさしく神の木なのですよ!」
王族の一人が立ち上がり、震える声をあげた。
「悪意を……吸う木……? そんな馬鹿な……!」
その瞬間。
パサッ――
桃の木の葉が、一枚、音もなく落ちた。
続いて、枝の先から、次々と葉が散っていく。
さっきまで生きていた木が、みるみる枯れていくのだ。
オロチはそれを見て呟く。
「あぁ…さすがに悪意が強すぎたか…。魂の容量を超える悪意、ここは課題だな…。まぁいいだろう。」
ぱきり。
枝が折れる音が響いた。
王族たちは、誰一人声を出せなかった。
「さぁ!信じ難いでしょう? だが、これは夢でも幻でもない。
桃源村に伝わる“魂の宿る木”――
私も最初は笑いました。
しかし、これは確かに“存在する現象”なのです」
言葉の熱が増していく。
その時、玉座の上の王が、重々しく口を開いた。
「して……オロチよ。
その木を……どう利用するつもりなのだ?」
オロチは恭しく頭を垂れた。
だがその目は、どこか狂気の光を帯びていた。
「陛下。
今この国は、大飢饉により秩序を失い、人々の心は悪意で満ちています。
だからこそ――私はこの木を“各地に植えたい”のです!」
「……なんだと?」
「負の感情を木が吸い取り、人々が穏やかに暮らせる国を作る。
苦しみも怒りも、すべて木が背負う。
――苦しみなき世界を!」
オロチの声が、王宮に響き渡った。
「どうか陛下!
この力を使い、国を、世界を救うのです!
これこそが“理想郷”なのです!!」
会場がざわつく。
誰もが動揺していた。
目の前で起きた異様な現象が、まだ脳裏に焼きついて離れない。
――その時。
「待て、オロチ!!」
オウエンが立ち上がった。
椅子が音を立て、場が一瞬で静まる。
「そんなものは……偽りだ!」
鋭く、まっすぐな声。
全員の視線が彼に集まる。
「心の痛みや、怒りを、木に吸わせて誤魔化す? そんなものは癒しでも救いでもない! 目を背けているだけだ! 本当に我々がすべきは、民の苦しみに正面から向き合うこと――政治の力でこの飢饉を、混乱を、正していくことだ!」
オウエンの言葉が、ひとつひとつ、会場に響いていく。
「我々王族の責務は、“苦しみを消す”ことではない。
“苦しみを越えていく術”を、民に与えることだ!」
その声には、確信と覚悟があった。
王族たちの間に、ざわりと小さな共感の波が広がる。
だが――
オロチの目は、ゆっくりと怒りで染まっていった。
「……それが出来ていないから言っているんだろうが」
低く、獣のような唸り。
「貴様には、俺の発見の偉大さが分からん!
世界を救えるのはこの木だけだ!
俺に従え! それが唯一の正解だ!!」
怒鳴り声が石壁に反響する。
王族の一人が震えながら呟いた。
「彼は……常軌を逸している……」
「人を殺してまで……そんな男に任せていいのか……」
オウエンは一歩前に出て、毅然と告げた。
「静粛に!!」
その声が場内を切り裂く。
「この件の最終判断は――我らが王に委ねられる。
陛下、どうか……ご決断を!」
全員が玉座に跪く。
沈黙。
ろうそくの火が、かすかに揺れた。
そして――
王が、ゆっくりと口を開いた。




