【第81話】王族オロチ〜禁書編〜
――これは。
ミコトが生まれる、ほんの少し前の話である。
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空は灰色に染まり、太陽の光は雲の奥で息を潜めていた。
吹き荒れる砂嵐。腐った大地。
人々は顔を覆い、空を見上げることすら忘れていた。
世界は、未曾有の“天災”に飲み込まれていた。
異常気象。
止まらぬ疫病。
凶作と飢饉。
あらゆる災いが同時に襲いかかり、
文明はゆっくりと、しかし確実に崩れ落ちていった。
街は焼け、畑は枯れ、
水すらも毒を含み、飲めば人が倒れる。
――生きることが、罪のような時代。
「……また、村が一つ消えたそうだ」
「人が……もう、人が残っていない……」
あちこちで漏れる声。
それは祈りでもあり、呪いでもあった。
盗み、殺し、奪い合う。
飢えた者が飢えた者を喰う。
“正義”という言葉は、誰の口からも消えていた。
――世界は、もう壊れていた。
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国としての機能がほとんど失われる中――
再興の希望を託されたのが、“王族”たちである。
混迷を極める時代。国の未来を背負う者たちは、絶望の中で立ち上がるしかなかった。
――王宮。
時は夜。
窓の外では冷たい雨が降りしきり、
その音が廊下の石畳を静かに叩いていた。
しかし、宮殿の中だけは眠らなかった。
兵が走り、文官が駆け、伝令が息を切らせて往来する。
世界が崩れかけた今、この場所だけが“最後の砦”だった。
その中を、ひときわ速い足取りで歩く青年がいた。
名を――オウエン。
若くして高い識見と行動力を持ち、民からも臣下からも厚い信頼を集めていた。
“次期国王”と称され、王宮の未来を託された存在だった。
だが、その瞳の奥には、疲労と焦りが滲んでいる。
腕には束ねられた書類。
報告書、提案書、そして――絶望の記録。
「……また、北部が沈んだか……」
小さく呟き、オウエンは歩を速めた。
その時。
「おう、忙しそうだな。――次期王様よ。くくく……」
低く、ねっとりとした声が、闇のように背後から響いた。
オウエンが振り返る。
そこに立っていたのは、宮廷の空気にまったくそぐわない男。
ぼさぼさに伸びた黒髪。
薬品で焼け焦げたようなローブ。
鼻をつく薬草と油の匂い。
その顔には笑みが浮かんでいたが――
目だけは、笑っていなかった。
「……オロチか」
オウエンの声が低く響く。
その男――オロチ。
王族でありながら、王宮に馴染むことを拒み、ただひたすらに研究室に籠る孤独な“天才”。
薬学、兵器開発、植物遺伝子の改変。
彼の研究は異端でありながらも、常に成果を出していた。
その頭脳は、ある者にとっては希望だったが、別の者にとっては“危険”でもあった。
「こんな時間に王宮の廊下をうろつくとは、珍しいな。
お前こそ、研究室で薬瓶を相手にしている時間じゃないのか?」
「ふん、皮肉のつもりか? 俺の研究がなけりゃ、
お前らなんざ、とっくに民に見捨てられてるだろうに」
その言葉に、オウエンはわずかに眉を動かした。
「……相変わらず、口が悪いな。だが――それでもお前の知恵は必要だ。
状況は刻一刻と悪化している。国は今、お前のような者を求めている」
「模範解答だな。まるで演説だ」
オロチは肩をすくめ、面倒くさそうに笑う。
「俺は政治屋じゃねぇ。
表に出るのはお前らの役目だろ。
俺は"裏の理”を作ってるだけだ」
その声には冷たい諦めと、どこか狂気のような熱が混じっていた。
オウエンはその視線をまっすぐに受け止める。
「……いいだろう。
だが、どんな形でも構わない――
この国を救う力になるなら、多少の邪も受け入れよう」
その一言に、オロチの口元がゆっくりと歪んだ。
「くくく。
だがお前が俺なんかを頼るなんて、酔狂な話だぜ」
「酔狂でもいい。やるべきことをやれ、オロチ。
私はお前の才に――希望を見ている」
そのまま、オウエンは足音も静かに闇の廊下を去っていった。
残されたオロチは、笑いながら呟く。
「希望……か。くくく。」
その声は低く、まるで呪いのように廊下へと溶けていった。
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――数日後。
王宮の円卓。
そこは、王族と高官たちが国家の命運を決める場所。
だがこの日、その空気はどこか異様だった。
誰もが理由を知らぬまま集められ、
ただ一人――“あの男”の登場を待っていた。
静寂。
耳を打つのは、ろうそくの火がはぜる音だけ。
やがて。
重たい扉が、ギィ……と音を立てて開いた。
中へと歩み入ったのは、
汚れたローブに薬品の染みをこびりつかせた男――オロチ。
オロチは、ゆっくりと円卓の中央へと進み出る。
そして、不敵に笑った。
「本日は……貴重な時間をいただき、感謝します」
その声は、穏やかでありながら底冷えするほどに静かだった。
「今日は――皆様にひとつ、“発見”をお伝えしたい」
ざわっ。
王族たちの間に、わずかなざわめきが走る。
誰もが視線を交わし、警戒の色を隠さない。
オロチは構わず続けた。
「……世界を変える、可能性の話です」
ひと呼吸。
「皆様、“桃源村”という場所をご存じでしょうか?」
――その瞳には、狂気の光が宿っていた。




