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【第8話】桃水

 おじいさんとおばあさんは、互いに一瞬だけ目を合わせた。

 そして――迷いなく、小瓶を傾ける。


 とくとくとく……ごくっ、ごくっ……!


 小瓶の中の液体は、淡く桃色に光を放ちながら、二人の喉を通っていった。



「ちっ…桃水か…… また厄介なものを」


 ネクターが舌打ちをし、半歩後ろへと退いた。


 カラン……カラン……


 空になった小瓶が、地面を転がっていく。



 一瞬の、沈黙。


 そして――



「ゔゔゔゔゔぅ……ッ」



 おじいさんとおばあさんの喉から、低く濁った唸り声が漏れ始めた。

 その声は次第に震えを帯び、空気がピリピリと張りつめていく。


 血走った瞳がギラリと光る。

 全身の血管が浮かび上がり、皮膚の下で脈動を始めた。


「お爺様!? お婆様!! どうしたんですか!?」


 モーモー太郎が叫ぶ。

 だが、その声は二人の耳には届いていない。



 次の瞬間。



「ヴァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!」



 二人の身体が爆発的に変化を始めた。


 しわ深く刻まれていた老いた肌が、瞬く間に張り詰め、筋肉が膨れ上がる。

 枯れ枝のようだった腕は、鋼を鍛え上げたかのように盛り上がり、

 背筋は軍神のように張りつめ、血潮が轟々と流れる音すら聞こえてくるようだった。


 老人の面影が、戦士へと――いや、それ以上の“存在”へと塗り替えられていく。


 _____



「なっ……なんだこれは……!!」


 モーモー太郎は唖然とし、後ずさった。

 目の前で起きているのは、明らかに常軌を逸した“変身”だった。


 一方、ネクターは目を細め、不敵な笑みを浮かべた。


「ククク……馬鹿な老いぼれ。桃水を使うとは……命知らずめ」


「お前……知っているのか!? 一体なにが起こっている……!?」


 ネクターは、ゆっくりと剣を肩に担ぎ、冷たく笑った。


「ふん……教えてやろう。桃水とはな――命を削る“秘薬”だよ」


「命を削る秘薬……!?」


「“ある桃”から精製された激薬……それを飲んだ者には、一時的に絶大な力が宿る。だがな――その代償は“命”そのもの」


 言葉が重く空気を刺す。


「……飲んだが最後、数分と生きちゃいられん」


「数分で命が……!?嘘だ!! そんな……そんなもの、あるはずが……!」


 モーモー太郎は震える声で呟いた。


「はははははっ!! 驚いたか!?だがな! 見ろ、この異形の姿を!!」

 ネクターが嘲るように叫ぶ。

「これはもう、人間ではない……理解できずとも、これが“現実”だ!!」


 _____



 モーモー太郎は拳を握りしめた。

「お爺様……お婆様……嘘だ…なぜ、そんなものを……! そこまでして……守りたい“きびだんご”って……何なんだ……!」


「ヴゥゥゥ……モーモー太郎や……」


 おじいさんが、変貌した肉体から絞り出すように声を発した。


「その男の言う通りじゃ……ワシらの命は……あとわずか……じゃが、それで構わん……」


 おばあさんも頷いた。

 二人の瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。



 そして――



 ズドォォォォォンッ!!!!!!



 おじいさんの巨大な足が大地を砕き、爆発的な推進力でネクターとの距離を詰めた。


 その速さは、まるで老体を脱ぎ捨てた“巨獣”の突進だった。


「すぐに……終わらせる!!」


「フン……老いぼれが調子に乗るな」


 ネクターが構えるより早く――



 ブォォォォォンッ!!!



 おじいさんの拳が風を裂く音が響いた。

 音速を超えんばかりの一撃。


 ネクターは紙一重で、辛うじて回避する。


「ふん!当たるものか!」



 直後――



 ドゴォォォォォォォォォォンッ!!!!!!


 おじいさんの拳が、背後の巨木を直撃し、木が粉々に砕け散った。

 破片と砂煙が一帯を覆う。


「ふぅ!さすがは……桃水……!! なんて威力だ……ッ」


 ネクターの頬を冷や汗が一筋、伝った。

 

 だが、その油断を――許す二人ではなかった。

 砂煙の中から、閃光のように飛び出す影。


「油断したね……!」


 おばあさんだった。

 その脚がしなやかに、しかし鋼鉄の鞭のようにしなる。


 ドガァァァァァァァッ!!!!!!


 蹴りがネクターの脇腹に直撃した。

 空気が爆ぜ、ネクターの体が弾き飛ばされる。


「ぐあっ……ッ!!」


 彼は血を吐き、地面を何度も転がった。

 土埃を巻き上げながら止まると、膝をつき、荒い息を吐く。


「はぁはぁ…この……老いぼれが……ッ……!」


 ネクターが苦々しく吐き捨てる。

 一方、おばあさんは立ち尽くし、肩で激しく息をしていた。


「はぁ……はぁ……」


 その胸の奥では、命の炎が急速に燃え尽きようとしている。


 _____



 ネクターもまた立ち上がった。

 その顔からは先ほどまでの余裕が消え、代わりに険しい戦士の面が露わになる。


「……ちっ。死に損ないとはいえ、流石に二人相手は分が悪いか」


 小さく舌打ちすると――


 ヒュッ!


 ネクターは疾風のごとく駆け出した。


(仕方ねぇ、こうなったら…)


 向かう先は――傷つき、未だ立ち上がれずにいるモーモー太郎。


「まずい…!」


 おじいさんとおばあさんの叫びが、森に木霊する。


 _____



 シャキィィィィィン――!!



 抜き放たれた剣が、モーモー太郎の"喉元"にピタリと突きつけられた。


 冷たい金属が皮膚をかすめる。

 薄く一筋、血が滲んだ。


「くくく……さあ、どうする?」


 ネクターが低く笑う。


「人質とは……卑怯者め!!」


 おじいさんが怒鳴った。

 だが、ネクターは鼻で笑うだけだ。


「動けば……この牛の命は、ないぞ」


「くっ……!」


 おばあさんの眉が引きつり、拳が震える。



「老いぼれども、もう命が尽きるのは時間の問題だろう」

 ネクターはゆっくりと二人に向き直る。

「どうせ死ぬのだ。抵抗はやめて、巾着をよこせ」


「お爺様!! お婆様!! 僕のことはいいから……もう、無理はしないでください!!」


 モーモー太郎が叫ぶ。

 喉元に剣を当てられながら、真っ直ぐに二人を見つめていた。



 ……風が、静かに森を吹き抜け、戦いの喧騒が一瞬だけ止まる。



 重い沈黙――その中で、おじいさんが口を開いた。


「モーモー太郎や……すまぬ……」


 苦しげな声。

 そして――



 ドサッ……



 おじいさんとおばあさんの膝が、地面に落ちた。

 桃水の効果が尽き、命の灯火が急速に燃え尽きようとしていた。


「くっ……ここまで……なのか……」


 おじいさんが震える腕で地面を支える。

 おばあさんも肩で激しく息をしながら、今にも崩れ落ちそうな体を必死に保っていた。


「お爺様!!」


 モーモー太郎の叫びが響く。

 その声には焦りと、何もできない己への悔しさが滲んでいた。


 _____


「……このだんごだけは……渡してはならん……」


 おばあさんが震える声で呟く。

 その目は、未だ鋭く、巾着を握る手はかすかに震えながらも離さない。


「な……何なんですか!? 一体、そのだんごは…そんな物渡して、早く手当を…!」


 モーモー太郎の問いに答える暇もなく――


 コツ、コツ、コツ……


 ネクターがゆっくりと、おばあさんに歩み寄った。


「手こずらせやがって……」


 目には勝ち誇った光。

 そして、腕を伸ばす。


 ブチッ!!


 無造作に巾着を奪い取る。


「無念……」


 おばあさんがかすれた声で呟き、その場に崩れ落ちる。



「おい!! お前!! 一体、何のためにこんなことをするんだ!! 説明しろ!!」


 モーモー太郎の怒鳴り声が夜を裂いた。

 その目は怒りに燃え、蹄が震えるほどに地面を踏みしめる。


 だが――


 ネクターは、ゆっくりと顔を向け、にやりと口角を上げた。


「世界のためさ……」


「……世界!?」


 モーモー太郎が絶句する。


 ネクターは、巾着を手にしたままモーモー太郎へ歩み寄る。


「新世界創造のため――三神獣を手に入れるんだよ」


「……三神獣……?」


 聞き慣れない言葉。

 意味を理解するよりも先に、直感的な不穏さが背筋を走る。



 ネクターはモーモー太郎の目の前に立つと、再び剣を突きつけた。

 刃先が喉元に食い込み、血が一筋、つっと伝う。



「ふん……知らなくて当然だ。そして――知る必要もない」


 ネクターの目が細まり、剣を高く振り上げる。

 月明かりが刃を照らし、冷たい光を放った。


「これで終わりだ。……牛の化け物め」



 ――その瞬間だった。


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