【第7話】刺客
日が西の空へと傾き、薄紅の光が山の稜線を染める頃、モーモー太郎とホレスは目的地へと辿り着いた。
「ここが……モーモー太郎君の育った場所か……」
ホレスは息をのんだ。
その場所は、まるで時の流れから切り離されたような静寂に包まれていた。深い森の奥にひっそりと佇む小さな家。周囲には青々とした草原が広がり、清らかな川が穏やかに流れている。花々が風に揺れ、鳥の囀りが心地よく響く――王宮では決して見ることのできない、自然の楽園だった。
ホレスはこれまで何度も国の各地を巡り、人々の暮らしをこの目で見てきた。それでも、この場所の存在には気づかなかった。まるで、世界から隠された聖域のようだ。
「お爺様!お婆様!ただいま帰りました!」
モーモー太郎は懐かしい家の戸を叩いた。
ガラガラ……
軋む音とともに戸が開き、そこには白髪の老人が立っていた。
「おかえ……モ、モーモー太郎!? そ、その人は……?」
ホレスの姿を見るなり、おじいさんの表情が一瞬でこわばる。
「突然の訪問、申し訳ありません。私は王族のホレスと申します」
「お、王族じゃと……!?」
おじいさんの額には、滝のような汗が浮かんでいた。
「驚かせてしまいましたか。この度はモーモー太郎君の力になれればと思い、お邪魔しました」
「い、いや……王族なんて初めて見るものでな。少し驚いてしまった……すまんの」
おじいさんの声は震えていた。ホレスはそんな彼の様子を観察しつつ、静かに切り出す。
「いえ、お気になさらず。それより、お爺様、少しお話をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ワシに? ……何の話じゃ?」
「モーモー太郎君についてです」
「モーモー太郎について……」
ホレスの鋭い眼差しが、おじいさんの動きを追う。
「はい……彼は……その……」
ホレスは言葉を選んでいた。慎重に、慎重に。
「……ホレス殿、気を使わなくてよい。この子が何者なのか、それが知りたいのであろう?この子はワシらの大切な息子。ただ、それだけじゃ」
ホレスがさらに踏み込もうとした、その時だった。
ドォォォン!!!!
突如、森の奥で轟音が響いた。
ドサァァァ!!
次の瞬間、巨大な木が音を立てて倒れる。巻き上がる砂煙と宙を舞う葉が、空を覆い尽くした。
「な、何だ!?」
モーモー太郎が声を上げ、身構える。
視界の奥——倒れた巨木の向こうに、人影が見えた。
「……誰か来るぞ」
その影は、ゆっくりと近づいてくる。
砂煙が晴れ、姿を現したのは、一人の男だった。
鋭い目つきに、精悍な顔立ち。短く刈られた黒髪が風に揺れる。腰には一本の剣。男の全身からは、異質な空気が滲み出ていた。
「やっと見つけたぞ……」
男の口から発せられたのは、低く静かな声だった。
「何者だ!!」
モーモー太郎が前に出る。
「ん? ……牛? 牛が喋っているのか?」
男は目を細め、じっくりとモーモー太郎を見つめる。
「僕の質問に答えろ、お前は誰だ!」
「はっはっは! 何だこいつは!? 牛が俺に指図してくるとは! 面白い、ははは……」
男は愉快そうに笑った。そして、まるで興が乗ったかのように告げる。
「俺はネクター。そこにいる爺さんと婆さんを始末しに来た」
「な、なんだって!?」
モーモー太郎の顔が強張る。
「まぁ、そういうことだ。そこをどけ、牛」
「な、なんでそんなこと……させるものか!」
「ほぅ? お前、そこのおいぼれを守るつもりか? ますます面白いな」
「理由を言え!」
「ふん、どうせ死ぬのだ。知る必要などなかろう」
シャキン……
剣が鞘から抜かれる。
「なっ!? 剣を抜いたぞ!」
ホレスが叫んだ。
「ホレスさん! お爺様! 僕の後ろへ!」
モーモー太郎が前に出た、その瞬間——
ガキィン!!!
モーモー太郎の蹄とネクターの剣が激突。鋭い火花が弾ける。
「くっ……こいつ、なんて力だ……」
「ほぅ!俺の剣を受けるか! やるな、牛!」
しかし次の瞬間——
ドスッ!!!
ネクターの蹴りが、モーモー太郎の脇腹をえぐる。
ドゴォォォン!!
モーモー太郎の巨体が吹き飛んだ。
「ぐ……ぅ……!」
「戦闘は慣れてないか。だが、俺の一撃を受けてまだ生きているとは、さすが獣」
ネクターが笑う。
(まずい……体が動かない……)
「ホレスさん……お願いがあります……二人を連れて、逃げてください……!」
「わ、わかった!」
ホレスが立ち上がる。
だが——
ドスッ!!
ネクターの手刀がホレスの首を打ち抜いた。
バタッ
ホレスがその場に倒れる。
「逃がすわけがないだろう」
ネクターの冷たい声が響く。
「さぁ、あとは爺さんと婆さんだ」
ゆっくりと歩み寄るネクター。その刃は、今まさに振り下ろされようとしていた——
しかし——
「もうやめい!!!」
おじいさんの声が、響き渡った。
「誰かは知らんが、とうとう見つかってしまったか……きびだんごが欲しいのだろう?」
「ほう、物分かりが早いな。そうだ、それを貰いにきた。よこせ、そして、死ね」
「欲しいならくれてやるさ……じゃが、ただでは済まさん」
「……何?」
おじいさんとおばあさんは、小さな小瓶を取り出す。
「桃水……これを使う日が来るとはな……」
二人は、迷うことなくその水を飲み干した。
そして——
異変が、始まった。