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【第7話】刺客

 ――夕刻。


 日が西の空へと傾き、山が薄紅色に染まり始めた頃。

 森の奥を抜ける一本の細道を、二つの影が静かに進んでいった。


 モーモー太郎とホレス。


 鳥の囀りと、草を渡る風の音だけが耳に届く。

 穏やかで澄みきった空気だった。


 _____



「……着きました」


 モーモー太郎が足を止め、振り返る。


 その視線の先――


 深い森の奥に、ひっそりと一軒の家が佇んでいた。

 苔むした木造の壁、軒先に吊るされた小さな風鈴、軒下で干された洗濯物がそよ風に揺れている。

 家の周囲には、青々とした草原が広がり、小川がさらさらと音を立てて流れていた。


 花々が色とりどりに咲き誇り、遠くでは鹿が穏やかに草を食んでいる。

 まるで――世界から切り離された、静かな“聖域”だった。

 


「ここが……君の育った場所か……」


 ホレスは、息を呑んだ。


 王宮では到底見ることのできない、手つかずの自然と、そこに溶け込むような暮らし。

 長年、各地を巡ってきたホレスですら、この場所の存在には気づけなかった。


(……まるで、時の流れに忘れられた楽園のようだ)


 _____


 モーモー太郎は懐かしげな笑顔を浮かべ、家の戸へと駆け寄った。


「お爺様! お婆様! ただいま帰りましたー!」


 コンコンッ!


 勢いよく叩かれた戸が、ガラガラ……と軋んだ音を立てて開く。


 現れたのは――白髪の老人だった。

 背は少し丸まり、顔には深いシワが刻まれている。


「……も、モーモー太郎!? お、お前……いつ帰ってきたんじゃ!」


 老人は驚きと喜びをない交ぜにした表情を浮かべた。

 しかし、次の瞬間――


「……そ、その人は……?」


 モーモー太郎の背後に立つホレスの姿を見た瞬間、その顔がピシリと強張った。


 ホレスは一歩前へ出ると、頭を下げた。

 普段の王族らしい威厳を保ちながらも、柔らかい声で名乗る。


「突然の訪問、申し訳ありません。私は――王族のホレスと申します」


「お……おうぞく……だと……!?」


 老人の額に、みるみるうちに汗が滲んだ。

 ごくりと唾を飲み込む音が、静まり返った空気に響く。


「驚かせてしまいましたか。

 この度は、モーモー太郎君の力になれればと思い……お邪魔させていただきました」


 ホレスの言葉は穏やかだった。

 だが“王族”という肩書きが持つ圧力は、否応なく場の空気を張りつめさせる。


「い、いや……王族など、ワシのような田舎者には縁のない存在じゃでな……。

 少し……驚いてしまっただけじゃ……すまん、すまん……」


 おじいさんは腰を折り、しきりに頭を下げた。

 その声はわずかに震えていた。


「いえ、お気になさらず。

 むしろ突然押しかけたのは私の方です。……ただ、お爺様に、ひとつだけお伺いしたいことがあるのです」


「ワシに……? 一体、何の話じゃ?」


「モーモー太郎君について、です」


 その瞬間、老人のまぶたがピクリと動いた。

 ホレスの瞳は真っ直ぐに老人を捉える。


「……モーモー太郎君は、一体……何者なのでしょうか」


 ホレスの声は静かだったが、部屋の空気が一変した。


 モーモー太郎は少し驚いたようにホレスを見た。

 老人は一歩、後ずさった。


「な、何を……」


「育ての親であるお爺様だからこそ、お聞きしたいのです」

「彼は、ただの“牛”ではない。鬼と戦った英雄……それが、どうしてこのような森の奥で育ってきたのか」


 ホレスは一歩近づく。


「その答えを、私は知る必要がある」


 老人の表情に、かすかな陰が走った。

 握った杖の先が、コツ……と床を打つ。


「……この子が何者なのか……?

 この子はな、ワシらの……大切な“息子”じゃ。ただ、それだけのことよ」


「ですが――」


「……すまんの、ホレスどの」


 老人はホレスの言葉を遮った。


「もう話すことは、何もない」

 きっぱりとした口調だった。


「そうですか…」




 ――その時だった。

 森の奥で、空気を裂くような轟音が響き渡った。




 ドォォォォン!!!!!!




「な……何だ!?」


 ホレスが目を見開き、モーモー太郎が即座に身構える。



 ドサァァァァッ!!!



 巨大な木が音を立てて倒れ込み、地面が揺れた。

 巻き上がる砂煙が一瞬で空を覆い、葉が無数に舞い上がる。

 鳥たちが悲鳴のような鳴き声を上げ、森がざわめいた。


「なんだ!?爆発?……誰か来るぞ」


 モーモー太郎が低く呟く。


 倒れた巨木の向こう――

 砂煙の中から、ひとつの人影がゆっくりと歩み出てきた。


 ギィ……ギィ……と枯れ枝を踏みしめる音。

 次第にその姿がはっきりと見えてくる。


 _____


 現れたのは、一人の男だった。


 鋭い目つきに、精悍な顔立ち。

 短く刈られた黒髪が風に揺れ、腰には一振りの剣。

 全身を覆う黒革の戦闘服には、幾多の戦いをくぐり抜けたような傷が刻まれている。


 彼の放つ空気は、明らかに“異質”だった。


 _____


「……やっと見つけたぞ」


 男は低く、冷たい声で呟いた。


「何者だ!!」


 モーモー太郎が叫ぶ。

 (……まさか、あの大木を倒したのか……? 人間の力で!?)


 男は一歩、また一歩と近づきながら、モーモー太郎をじっと見た。


「ん……? 牛……だと? 牛が……喋っているのか?」


 その目に、愉悦のような色が浮かぶ。


「僕の質問に答えろ! お前は誰だ!!」


 モーモー太郎の声が森に響く。


 だが――


「ははっ……はははは!!!」


 男は突然、腹の底から笑い声を上げた。

「牛が……俺に指図だと!? 面白い!! こんな茶番、初めてだ! クク……最高だな!」


 男は大きく肩をすくめ、ふっと真顔に戻る。



「俺の名は――ネクター」



「ネクター……?」


「そうだ。そして俺は……その爺さんと婆さんを始末しに来た」


「……な、なんだと!?」


 モーモー太郎の顔が一瞬で強張る。


「まぁ、そういうことだ。……そこをどけ、牛」


 ネクターは剣の柄に手をかけながら、にやりと笑った。


「始末って…な、なんでそんなことを……!! させるものかッ!!」


 モーモー太郎が前へと踏み出す。

 その蹄が、地面をバキリと割った。


「ほう……守る気か。牛のくせに、爺と婆を庇うとはな。……ますます面白い!」


「理由を言えッ!!」


「理由……? ふん、どうせお前も死ぬのだ。知る必要など、なかろう」



 シャキン……!



 鋭い音が夜気を裂いた。

 ネクターが剣を抜いたのだ。

 血のように赤い夕陽が、その刃を照らし出す。


 _____



「なっ……! 剣を抜いたぞ!」

 ホレスが叫ぶ。


「ホレスさん! お爺様! 僕の後ろへ!!」


 モーモー太郎が身を躍らせ、二人を庇うように前へ出た――その瞬間。


 ヒュッ――!!


 ネクターの姿が、ふっと掻き消えた。


「な……!?」


 次の瞬間――



 ガキィィィィンッ!!!!!!



 モーモー太郎の蹄と、ネクターの剣が正面で激突した。

 火花が弾け、空気がビリビリと震える。


(ぐっ……この男……! なんて力だ……!)


「ほう! 俺の一撃を受けるか! やるじゃないか、牛ッ!!」


 ネクターが不敵に笑う。


 _____



 だが――その笑みは、次の瞬間に牙へと変わった。


 ドスッ!!!


 ネクターの右足が、モーモー太郎の脇腹をえぐるように突き刺さった。

 鈍い衝撃音。



 ドゴォォォォンッ!!!



「ぐはっ……ッ!!」


 モーモー太郎の巨体が地面を転がり、木の幹に激突する。

 地面がえぐれ、土煙が巻き上がった。


 _____



「ふん……戦い慣れていないな」

 ネクターは涼しい顔で剣をくるりと回す。

「だが、俺の一撃を受けてまだ立っているとは……さすがは獣だな」


 モーモー太郎は激痛に顔を歪め、呼吸を荒げる。

(……なんて威力……! まともに動けない……体が……重い……)


「ホレスさん……お願いがあります……! 二人を……連れて、逃げてください……!!」


「わ、わかった!」


 ホレスが立ち上がり、おじいさんとおばあさんの手を取ろうとした――その瞬間。



 ドスッ!!


 ネクターの手刀が、ホレスの首元を容赦なく打ち抜いた。


 バタッ……


 ホレスの体が崩れ落ち、地面に沈む。


「逃がすわけが、ないだろう」


 ネクターの冷たい声が森に響き渡った。


「ホレスさん!!」


 モーモー太郎が叫ぶが、体は思うように動かない。


「さぁ……残るは爺さんと婆さんだ」


 ネクターはゆっくりと歩を進める。

 剣先が夕暮れの光を反射し、怪しく光る。


「死ね…」


 今まさに、二人へと刃が振り下ろされようとした、その時――


 _____



「――もうやめいッ!!!!」


 雷鳴のような声が、森に轟いた。


 おじいさんだった。

 長年の穏やかな声からは想像もできない、鋭く通る怒声だった。


「誰かは知らんが……とうとう見つかってしまったか……。きびだんごが欲しいのじゃろう?」


 ネクターの眉がぴくりと動く。


「ほう、話が早いな。そうだ、それを貰いに来た。よこせ……」


 その声音には、一片の情もなかった。


「欲しいなら……くれてやるさ」

 おじいさんは静かに答える。


「……じゃが、ただでは済まさん」


「……何?」


 おじいさんとおばあさんは、視線を交わした。

 次の瞬間、二人は小さな棚の奥から――一対の小瓶を取り出した。


 淡い光を宿した透明な液体が、瓶の中でかすかに揺れている。


「……桃水。まさか、この日が来るとはな……」


 おじいさんが低く呟く。


 二人は、迷うことなくその瓶の蓋を開け――一気に飲み干した。


 _____


 ゴクリ……ゴクリ……!


 瓶の中身が空になると同時に――


 ザワッ……


 空気が、震えた。


 森の静けさが、一瞬にして張り詰めたように変わる。

 おじいさんとおばあさんの体に、異様な気配が立ち上る。


 ――異変が、始まった。


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