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モーモー太郎伝説  作者: おいし
第二章
66/122

【第66話】黒き変貌

 静まり返った戦場。



 吹き荒れていた戦の嵐は、まるで嘘のように止み、辺りにはかすかな陽光が差し込んでいた。




 その時――鬼が声を上げた。



「……さて。残りを始末するとしようかの」



 その瞳が細く鋭く光り、影力がじわじわと全身から滲み出る。


「ひっ……!」


 鬼の眼光が向けられた瞬間、人工桃人たちが一斉に悲鳴を上げ、四方へと逃げ出した。




「お、お前ら……! 待て! 逃げるな! 命令だ!! 戻れぇぇ!!」


 ホレスの怒号が戦場に響く。

 だが――誰も振り返らなかった。



 桃人たちは、かつての忠誠を忘れ、我先にと逃げ去っていく。

 もはや“主”など、どうでもいいというように。


 15年もの時をかけて築き上げた軍勢が、たった一瞬で崩れ去った。



 モーモー太郎、そして鬼の出現。

 圧倒的な力の前に、ホレスの“神”としての幻想は音を立てて崩れ落ちたのだった。



 蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う桃人たちを前に、ホレスは声も出せず――

 ただその場に、呆然と立ち尽くしていた。


「……くっ、くそ……!」


 絞り出すような声は、誰にも届かず風に溶けた。


 膝をつき、うなだれたホレス。

 かつて“神”を名乗った男が、今はただのひとりの敗者として、地に崩れ落ちた。


 その背中は、悲しくなるほど小さく――そして、どこまでも哀れだった。



「私は……私は、一体……何のために……」



 その呟きは、虚空に消えるだけだった。

 


「ホレス……終わりだ」


 静かに、しかし決して逃さぬ口調で、モーモー太郎が言い放つ。


 その言葉に、ホレスはゆっくりと顔を上げた。




 だが――次の瞬間、




「……もう……」



「……ん?」




「――もう、どうにでもなれぇぇえええええッ!!!!!」



 凄まじい絶叫と共に、ホレスの身体から漆黒の影が爆発的に吹き上がった。


 地鳴りのような轟音が戦場を揺らし、空が悲鳴を上げる――!





 ブシューーーッ!!




 先ほどまでとは比べものにならない――圧倒的な“影”が世界を包んだ。



「ぐああああああ!!」



 ホレスの咆哮。

 苦しみ、のたうち回り、全身が痙攣する。

 その目と口からは黒い液体が溢れ出し、影の波が肉体を蝕んでいく。



 誰もがただ、立ち尽くすしかなかった。



 何が起こっている…



 やがて、ホレスの肉体は、滴るような黒の影に呑まれていった。

 それは血のように濃く、油のように重く、見る者の眼を拒絶するほどの闇。


 影は彼の皮膚を喰らい、髪を焼き、骨の芯までも溶かしていくかのように――ただ静かに、だが確実に彼を“別の何か”へと作り変えていった。



 人の形は、すでに残されていない。



 残ったのは、地の底から噴き上がる漆黒の炎。

 それは空を裂き、空気を灼き、見る者の心を削る。


 その空間に一歩でも足を踏み入れれば、ただそれだけで理性が崩れる。

 息を吸えば胸を焼かれ、音を聞けば鼓膜が裂ける。



 誰一人として動けなかった――いや、“動こう”という意志すら失われていた。


 そして、沈黙の中に、不気味な笑いが響く。



「……くくくくく……」



 深淵の中心から漏れ出すその声は、確かにホレスのものだった。

 だが、それはもう、かつて人間であった何かの“残響”でしかない。


 

______



 影が、ゆっくりと引いていく。

 まるでこの世がその異形を、ようやく見せる覚悟を決めたかのように。



 ――そして、姿を現したそれは。



 かつてホレスと呼ばれた男。


 今そこに立っていたのは、“人”という言葉の枠を逸脱した存在だった。



 その肉体は煤けたように漆黒に染まり、

 額には、岩のように捻じ曲がった双角が突き出ていた。

 指先は鋭く裂け、刃のような爪が滴る闇を滴らせている。

 口元からは牙が覗き、瞳は真紅に灼ける炎のごとく燃えていた。




 それはまさに――黒き鬼。




「……な……なんだ……あれがホレス……なのか……?」


 誰かが、声にならない声でつぶやいた。

 その問いに答えるように、黒き鬼が――ゆっくりと口角を吊り上げる。


「……見ろ……はははははッ……見よ、この姿を!!」


 狂喜に染まった咆哮が、空を裂いた。


「私は鬼となったッ!!もはや神すら恐れぬ存在ッ!!これが支配の真の姿だァァァッ!!」


 その言葉が放たれるたびに、影が脈打つように膨れ上がり、

 戦場全体に鋭い衝撃が波のように走った。


 喉の奥を切られるような痛み。

 頭を締めつけられるような圧迫。

 影が、声が、ただの音ではなかった。

 “悪意そのもの”が、肉体を直接侵してくる。


「くっ……ぐうっ……!」


 ヨサクが膝をつき、血を吐きそうになりながら歯を食いしばる。


 彼だけではない。

 兵士たちは目を押さえ、耳を塞ぎ、呻きながら次々に崩れていった。


 ホレスがただ“そこにいるだけ”で、戦場は崩壊しかけていた。

 息が苦しい。

 声が出ない。

 その存在は、まるで災厄の具現だった。



「なるほどなるほど……鬼とはこうして成るものか……貴様のようにな」


 ホレスは不敵に笑いながら、ねじれた角を持つ鬼を指さした。



「……」


 だが――鬼は何も返さなかった。



 ホレスの言葉を聞いていないわけではない。

 むしろ、深く、痛いほどに響いていた。


 しかし鬼は黙して語らなかった。



 鬼はただ、それを直視することを拒んだ。

 それがどれほど恐ろしく、どれほど愚かだったかを、思い出さないために。


 現実から目を背けるように、返事をしなかった。




 そして――ホレスの口から、再び狂気が放たれた。




 「くくく……この力があれば、世界は私のものだ! 貴様ら同盟軍――今ここで全員皆殺しだぁッ!!」

 


 ホレスが声を張り上げるたびに、波のような影力が全方向に放たれ、誰彼構わず精神を削っていく。


 ヨサクが顔をしかめ、吐きそうな息を必死に堪える。


「ぐっ……言葉を聞くだけで意識が……」


 兵士たちはひとり、またひとりと膝をつき、倒れ、意識を失っていく。

 敵も味方も関係なかった。

 ホレスの発する“存在そのものの圧”が、この場を一掃しようとしていた。


「言葉だけで……半数以上が……!」


 サブロウは歯を食いしばる。

 だが彼自身も膝を折り、地に手をつくのが精一杯だった。



 ――そして、静寂の中で。



 その影の嵐の中、ただひとり、確かに立っていた者がいた。



「ホレス……お前は、僕が倒す」



 白い翼をゆっくり広げ、影の中心を真っすぐ見据える男――


 

 モーモー太郎だった。


 


 最終決戦の幕が、ついに――静かに、降りようとしていた。

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