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モーモー太郎伝説  作者: おいし
第二章
65/122

【第65話】黒き果実

 伝説の桃の木が、静かに、ゆっくりと天空から舞い降りた。



 その降臨は――荘厳で、美しく、そして何よりおぞましかった。



 枝は広がり、幹は空へと伸び、地上に立つ者すべてを見下ろすような巨木。

 その枝先には、まるで宝玉のように輝く大きな“桃”。



 光を帯び、どこまでも瑞々しく、生命の祝福を受けているかのように美しい。

 濃く茂る葉は風もないのに揺れ、桃は陽光を受けて淡く発光していた。



 まさに神木――しかしその美しさの裏側には、形容しがたい“歪さ”が潜んでいた。




 木は、ゆっくりと地に降りる。



 「シューーー……」




 根を下ろしたその瞬間、桃の木は不気味な音を立て始める。

 葉が微かに震え、枝がざわつき始める。



 それはまるで、木そのものが“呼吸”をしているかのようだった。



「……喜んでいる?」

 誰かが息を呑み、呟く。



「……吸っているんだ。悪意を」

 モーモー太郎の目が鋭く細められた。



「ホレスの影力に呼応して現れた、“根源の木”……!」

「この戦場には悪意が充満しすぎているんだ……」

「吸収しに来たんだ。人々の怒り、恐怖、殺意、そのすべてを」


 風も吹かぬ空の下、枝は勝手に揺れ始める。

 一本、また一本と音を立てて震える。


 不気味に、艶やかに。




 そして――




 「ザザザザザッ!!」



 ――変化が、始まった。



 枝に実っていた桃が、

 ――黒く染まりはじめた。



「な、なんだ?桃が黒く変色していく…」



 最初はほんのわずかだった。

 うっすらと皮の内側から滲むように、漆黒の色が浮かび上がる。

 だが、それは瞬く間に全体へ広がっていく。


 まるで桃の中から“闇”が溢れ出し、外皮を染めているかのような異様な光景。



「……黒い……桃……?」



 誰かが息を呑むように呟いた。


 数秒前まで輝きを放っていた果実は、今や禍々しい漆黒の色に包まれ、鈍い光を放ち始めていた。


 ゴポ……ゴポポ……と、果実の中で何かが脈動するような音まで響く。



 それを目にした者の背筋に、冷たい恐怖が這い上がっていく。



「吸い込みすぎたんだ……人々の怒り、不満、憎しみ、そして戦場に渦巻く殺意を……」


 ヨサクが、震える声で言う。



「この戦場に満ちた悪意を……あの果実が、吸収しているんだ…」


 もはや、それは“桃”ではなかった。

 黒く鼓動し、静かに産声を上げようとしている“何か”。


 それは、この世に生まれてはならぬものの予兆。

 不吉の化身。



「止めないと……っ!」




 そして、悲劇の前兆は、音もなく始まった。



――ざわっ。



 戦場の片隅。

 誰かが、かすれた声で呟いた。



「……殺せ」



「え?」



「……あの中に“何か”がいる。あれがまた“桃人”なら……」


 もう一人が言う。



「生まれてくる前に潰せ! 黒い桃なんだぞ!? 絶対にロクなものじゃない!!」


「今のうちに! 殺せ! 桃を割って、赤子ごと……!!」



 恐怖が連鎖するように、合唱のような叫びが響き始めた。



――最悪の光景。



 かつて共に戦った仲間たちが、

 証明もない“悪”に、恐怖という名の刃を突き立てようとしている。



その時____



 「やめろぉぉぉぉぉぉ!!」


 その叫びが、戦場に響き渡った。

 桃十郎だった。



 傷だらけの身体を支え、血を流しながら、それでも立ち上がった。

 その声は、魂の底から絞り出された咆哮だった。


「誰が決めた!? 生まれながらに“悪”と染まる者なんて、どこにいる!?

 俺たちが……それを証明してきただろうが!!」



 一瞬、戦場が静まり返った。

 時間さえも凍りついたように、すべてが止まる。



 桃十郎の身体は満身創痍だった。血に染まり、息も絶え絶え。それでも、立っていた。叫んでいた。吠えていた。




 ――悔しかった。




 “悪意から生まれた存在”。


 そんな言葉で、自分たちの存在が断じられることが、何よりも耐え難かった。


 なあ、誰が決めたんだ?


 生まれた瞬間に、背負わされた“罪”?


 何も知らずに産声を上げただけで、“悪”と烙印を押されるなんて、そんなのがあってたまるか。


 歴史? 血? 出生?


 ふざけるな。


 俺を決めるのは、俺の生き様だ。


 何を信じ、誰を守ってきたか――俺たちの背中を見ろ!!


 怒りと悲しみと、誇り。


 桃十郎の言葉は、魂の底から絞り出された叫びだった。



 戦場の風が止まる。



 誰もが、言葉を失っていた。





しかし――その時だった。


 桃の木が、不気味な音を立てて軋み始めた。


「……!?」

 


 ギィィィ……と、幹の深奥から響くような異音。

 地面を這うように広がる根がわずかに浮き、空気が震える。



 誰かが息を呑んだ。



 そして――



 その巨体が、ゆっくりと宙に浮かび上がったのだ。


 地に根を張るはずの“木”が、まるで空に引かれるかのように、音もなく、天へと昇っていく。



 雲が割れ、淡く光が差し込む空の裂け目。

 そこに向かって、黒い果実をぶら下げた巨木が、神聖にすら見える静けさで進んでいく。




 まるで、「この戦場にもう用はない」と言わんばかりに――




「……っく……!」


 モーモー太郎が歯を食いしばった。

 その目には焦燥と、自分への怒りが滲んでいる。


 隣で鬼が、ぽつりと呟く。


「旦那ァ……あの木、行っちまいますぜ」


 モーモー太郎は拳を強く握りしめた。

 だが、その拳には迷いが宿っていた。



「……僕には……まだ、あれを斬る覚悟ができない」


「……でしょうな」



 鬼は、どこか寂しげに、けれどもどこか理解するように言葉を返した。

 それは責めるでも、諦めるでもなく――ただ、静かな肯定だった。



 黒く染まった果実を実らせた桃の木は、

 地上の喧騒や絶望から逃れるように、

 あるいは、それを見下ろし、嗤うかのように――




 空高く、静かに、昇っていった。





 やがてその姿は、雲の裂け目に溶け込むようにして消えた。

 音もなく、重力すら拒むような、不気味な荘厳さを残して_____

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