表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/128

【第51話】決戦前夜

――西の町セイガンでの決戦から、三ヶ月。


 荒れ果てていた町には今、笑い声が戻っていた。

 かつて敵だった桃人たち――120名。

 彼らは今、解放軍のアジトで人間たちと肩を並べて暮らしている。


 最初は、まるで獣だった。

 怒鳴り、暴れ、物を壊し、目に映るものすべてを敵とみなした。

 誰の言葉も届かず、夜な夜なうめき声が響いた。


 それが今では――

 くわを振るい、土を耕し、釜の湯気に笑い合う。

 人間の子どもに木の削り方を教える桃人の姿もある。


 変えたのは、剣ではなく――“言葉”だった。


 ホレスの洗脳。

「人間は敵」という呪いのような思想。

 その鎖を、解放軍は時間をかけて、少しずつ外していった。


 傷つきながら、語りながら、共に生きる。

 その積み重ねが、彼らの心を解いていった。


 そして、その中心にいたのが――

 “同じ桃人”としてのヨサクだった。


 彼の声には、痛みと、真実が宿っていた。


 その間に、サブロウもヨサクも傷を癒し、再び歩き始めていた。


 _____


 その日の夕暮れ。

 空が赤く染まり、風が静かに吹くアジトの外。


 桃十郎はヨサクを呼び出していた。


「ヨサク。……話がある」


「ん?どうしました?」

 穏やかな笑みで振り返るヨサク。

 だが、桃十郎の顔はどこか張り詰めていた。


 空気が一瞬、止まる。


「……お前に会えて、本当に良かったと思ってる」


「……え?」


 ヨサクが目を瞬かせる。

「ど、どうしたんです?急にそんな……何かあったんですか?」


 桃十郎は、少しだけ笑って空を見上げた。

 赤く燃えるような雲が、遠くに流れていく。


「俺は、ずっと桃人を倒してきた。

 レジスタンスとして、“正義”のつもりで戦ってきたんだ。

 でもな……いつもどこかで引っかかってたんだよ」


 拳を、ぎゅっと握る。


「どれだけ倒しても、心の中に何かが残る。

 “これで本当に良かったのか”って。」


 ヨサクは、ただ黙って聞いていた。

 その目に、深い優しさが宿る。


「でも――お前に出会って、分かったんだ」

 桃十郎は少し笑って続ける。


「お前の言葉は、俺の中の“正義”を壊した。

 いや……“本物の正義”を教えてくれたんだ」


「桃十郎さん……」


「“生まれながらの悪なんていない”。

 お前の言葉、ずっと頭に残ってた。

 桃人も、人間も、みんな同じなんだよな。

 生きて、悩んで、怒って、笑って……

 そうやって、生きてる“人間”なんだ」


 桃十郎の声が震えた。

 夕陽がその横顔を照らす。


「だから俺も、もう一度信じてみたい。

 共に笑える世界を――作ってみたいんだ。

 お前が見てる未来を、俺も一緒に見てみたい」


 風が吹いた。

 沈みゆく太陽の光が、二人の間に淡い影を落とす。


 ヨサクは、しばし黙って桃十郎を見つめ――

 やがて、静かに微笑んだ。


 そして、ある物を取り出す。


 それは――桃ブーツ。

 三種の神器のひとつ。


「……これを、あなたに託したいんです」


「え……?」


 桃十郎の瞳が見開かれる。


「それは……お前にとって、大事なものじゃないのか?」


「ええ。ですが、あなたの方がふさわしい。

 戦いの中で、私は確信しました。

 この靴の力を、本当に活かせるのは――あなたです」


「……!」


 ヨサクの声は、静かで、しかし揺るぎない。


「これから始まる戦いは、力だけでは勝てません。

 “想い”と“覚悟”がなければ、この神器は拒む。

 だから……私は、あなたに託したいんです」


 桃十郎は、そっと桃ブーツを受け取った。

 手の中に感じる重みは、ただの装備のそれではなかった。

 それは、信頼。希望。そして、未来そのもの。


「……分かった。受け取るよ」

 桃十郎は、真っ直ぐヨサクを見た。


「俺が必ず、この力を使いこなしてみせる。

 そして――お前たちの想いも、全部背負っていく」


 ヨサクは目を細め、穏やかに笑った。


「ありがとうございます。

 ……これでまた、未来に一歩、近づきましたね」


 桃十郎も、笑って頷く。


 沈みゆく夕陽の中、

 二人の影がゆっくりと重なっていった。


 かつて剣を交えた二人は、今――

 同じ“風”を見上げていた。


 桃ブーツは、正式に桃十郎へと託された。

 それは、新たな時代の始まりを告げる光のように――

 静かに、赤い空の下で輝いていた。


 _____


 双子の特秀。


 西の町セイガンの決戦を経て、同盟軍の総戦力は500名を超えていた。


 人間と桃人が肩を並べ、共に汗を流し、笑い合う。

 その光景は、ほんの数ヶ月前には考えられなかったものだった。


 かつて敵だった桃人たちの中には、あの双子の特秀――タオズとポクスンの姿もあった。


 三ヶ月前。

 二人は敗北し、捕らえられた。


 鉄の枷。冷たい石の床。


 目覚めた時、タオズが最初に口を開いた。


「……なぜ殺さなかった?」


 ただ、理解できぬ苛立ちがあった。

 その問いに、ヨサクはただ静かに答えた。


「殺すなんて…人のする事じゃない。

 この世界に生まれた者は、皆、家族ですから。」


 タオズもポクスンも、一瞬、息を止めた。


 “家族”――

 その言葉の響きが、なぜか胸の奥で引っかかった。


 _____



 日が過ぎ、週が過ぎた。


 看守の代わりに、ふたりに渡されたのは――

 鎖ではなく、作業着と食器だった。


 タオズは眉をひそめ、唾を吐く。


「……なんだよ、コレ。囚人かよ。」


 ポクスンも鼻で笑う。


「フザけてんな。俺たちに皿洗いでもさせる気か?」


 人間たちはその挑発を気にも留めず、

 ただ笑って鍬を振り、汗を流していた。


 その姿が――なぜか、腹の底でチリチリと燃えた。


(……何をヘラヘラしてやがる。

 俺たちに怯えもしねぇのか?)


 _____


 数日後。


 ふたりは、言われた作業を一切しなかった。

 畑のそばに腰を下ろし、黙って空を睨む。


 沈黙。

 風の音だけが耳を抜けていく。


 そんな中――


 ふくよかで、しわの深いおばちゃんが、

 バケツを抱えてやって来た。


「はい、あんたら。飯の時間だよ。」


 そう言って、湯気の立つ器を差し出す。


「……いらねぇ。」

 タオズが顔を背ける。


「殺されてぇのか。」

 ポクスンが吐き捨てるように言う。


 だが、おばちゃんは全く怯えなかった。

 むしろ眉を吊り上げ、腰に手を当てる。


「なにを言ってんのさ、まったく!

 何日も食ってないくせに、威勢だけはいいねぇ!」


「うるせぇ!指図すんな!」


「子供じゃあるまいし!」


 おばちゃんの声は雷のように響いた。


「いいかい、教えてあげるよ!

 たくさん食って、よく働いて、よく笑う!

 それが人間の幸せってもんだ!

 ……あんたら桃人だろうが、同じだよ!」


 そう言いながら、器を地面に“ドン”と置いた。


 湯気がゆらりと上がり、香ばしい麦の匂いが広がる。

 味噌のような香りに、焼けたパンの香ばしさが混じる。


「……勝手に置くなよ。」

 タオズがぼそりと呟く。


「残すんじゃないよ。」

 おばちゃんは笑って立ち上がった。


「食って、元気になって、働け。

 生きてりゃ、それでいいんだ。」


 そう言い残して去っていった。


 残されたふたり。


 ポクスンが鼻を鳴らす。


「……食わねぇぞ。なめられてる気しかしねぇ。」

「……だな。」


 だが、数分後。


 ――ぐう。


 腹が鳴った。


「…………。」


 タオズは無言で器を手に取る。

 一口、すすった。


「……あったけぇ。」


 その言葉に、ポクスンが目を丸くする。


「……兄者、やっぱ食ってんじゃねぇか。」

「うるせぇ。味見だ。」

「味見ねぇ……」


 ポクスンもため息をつき、結局隣で箸を伸ばした。


 湯気が頬を撫でる。

 口の中に広がる温もりが、なぜか胸の奥まで沁みていく。


 _____



 次の日も、また次の日も、おばちゃんはやって来た。


「今日は麦粥だよ。腹持ちいいよ。」

「ほら、少しでいいから手ぇ動かしてみな。汗かくのも悪くないよ。」


 当たり前のように接してくる。


 ――なぜ、そんなに優しくする?

 ――俺たちは人間を殺そうとしたのに。


 その“わからなさ”が、双子の胸を締めつけた。


 怒りでも、憎しみでもない。

 それは、初めて触れた“あたたかさ”への――戸惑いだった。


 _____



 ある夜。

 焚き火の明かりの中で、タオズがぼそりとつぶやいた。


「なぁ……俺たち、間違ってたのかもな」


 ポクスンが鼻で笑う。


「はっ……何言ってんだよ、兄者。

 ここに来て丸くなっちまったか?」


「違ぇよ。ただ……」

 タオズは焚き火を見つめながら言葉を探す。

「ホレスの言ってた“人間は下等だ”って言葉、今思うと……違ぇ気がすんだよ。」


 しばしの沈黙。

 焚き火が、パチパチと音を立てる。


 やがて、ポクスンが肩をすくめて笑った。


「……完全にやられてんな。

 でも……まぁ、悪くねぇ。」


「けっ、結局お前も同じかよ。」

「うるせぇ。俺だって考えてんだよ。」


 二人は小さく笑い合った。

 戦場では決して見せなかった、穏やかな笑みだった。


 _____


 次の日。

 朝焼けの中、タオズが突然立ち上がった。


「なぁ、ポクスン。

 俺は……もうホレスの命令なんざ、聞かねぇ。」


「……は?」


「俺は、俺の目で人間を見極める。

 誰かに言われてじゃねぇ。

 自分で、決める。」


 その言葉に、ポクスンが目を見開く。


 しばしの沈黙の後、笑った。


「はっ、兄者がそこまで言うなら……

 俺も付き合ってやるよ。」


「お前…」

「当たり前だ。俺たちは双子だろ。」


 二人は拳を軽くぶつけ合った。


「入るぞ、解放軍に」

「……ああ。俺のためにな。」


 それは、彼らが生まれて初めて、自分の意思で選んだ道だった。


 ホレスの兵でも、誰かの道具でもなく。

 ただの――“タオズとポクスン”として。



「……人間の事は、まだ好きにはなれねぇけどな。」


「でも、嫌いでもねぇだろ?」


「……まぁな。」


 二人は空を見上げる。

 夜風が頬を撫で、遠くで人間たちの笑い声が響いた。


 その音が、もう“敵の声”には聞こえなかった。


 ――それだけで、十分だった。


 _____



 ――ある日。


 同盟軍の中枢に位置する幹部会議が、静かに幕を開けた。


 広間には、灯火の揺れる影の中、そうそうたる顔ぶれが並んでいた。


 サブロウ。

 桃十郎。

 ヨサク。

 キタジマ。

 そして――かつての“敵”だったタオズとポクスン。


 いまや、全員が“同じ席”に座っていた。


 重たい空気の中、サブロウが口を開く。


「――敵の情報をまとめるぞ。」


 低く響く声に、場の空気がぴんと張り詰めた。


 最初に立ち上がったのは、タオズだった。


「まず、王宮には桃人が約300。

 その中に特秀が残り2体――

 新しい個体の噂もねぇ。」


 キタジマが書面をめくり、すぐさま言葉を重ねた。


「こちらの総戦力は500。

 そのうち桃人が220。

 ヨサク様を筆頭に、桃十郎さん、サブロウさん、そして双子の特秀。

 ――現状、戦力は互角以上です。」


 広間がざわめく。

 数字が、現実の“決戦”を突きつける。


 サブロウがゆっくりと立ち上がった。

 拳を握り、まっすぐ前を見据える。


「……なら、決める時だ。」


 その声には、一切の迷いがなかった。


「この力で、ホレスを討つ。

 世界を、民を、俺たちの手で取り戻すんだ。」


 その瞬間、誰もが息を呑んだ。


 桃十郎が、静かにうなずく。

「……行くんだな。」


 ヨサクが穏やかに微笑む。

「ここまで来たんです。もう迷う理由はありません。」



 そして――決断は下された。


 総勢500名。


 人間と桃人。

 異なる種が、同じ旗のもとに立つ。

 同じ敵を見据え、同じ未来を信じた戦士たち。


 全軍を結集し、王都へ進軍する――全面総攻撃。


 標的はただひとつ。

 ――“王ホレス”。


 地を震わせる足音が、遠くまで響き渡る。

 夜明け前の風が、兵たちの頬を撫でた。


 誰もが知っていた。

 この戦いが、“終わり”ではなく、“始まり”であることを。


 希望と覚悟を乗せた軍勢が、

 いま、最大の戦いへと歩み出す。


 ――500名全軍による、総攻撃が始まる。



 _____



 場所は変わり、厳かにして冷ややかな空間――王宮。

 その玉座の間に佇むのは、王ホレス。そしてその傍らには忠臣ネクターの姿があった。


「……何が起きている……?」


 ネクターの声が震える。

 その瞳には、かつてない動揺が浮かんでいた。


 彼の視線の先――そこには、整然と並ぶ人工桃の木。

 総数は実に500本。


 だが今、その静寂な光景に異変が起きていた。


 桃の木々が、異常な速度で成長していたのだ。


 数年かけて実をつけるはずの桃が、わずか数日で枝を広げ、幹を太らせ、蕾を膨らませている。


 生命の理を無視するような、異様な育ち方。


「ホレス様……なぜでしょう。

 例年なら数年はかかる成熟が……ここ数日は異常な速度で……。まるで、何かが促しているかのように……」


 ネクターの額には、じっとりと汗がにじむ。


 それでも、王ホレスは動じなかった。

 いや――むしろその顔には、不気味な笑みが浮かんでいた。


「……養分が満ちているんだよ……」


 低く呟かれたその言葉は、空気をひやりと凍らせた。


 まるでこの異常な成長も、すべて“計算通り”だと言わんばかりに。


 ネクターは言葉を飲み込む。

 王の思考の深淵に踏み込むことを、本能が恐れた。


 だが、確かに何かが始まりつつあった。


 この異常な成長の裏に隠された真実――


 それを知る者は、まだいない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ