【第41話】特秀の実力
レジスタンス一行は、ついに“北の町”へと辿り着いた。
だが、彼らを出迎えたのは、想像を超えた――“沈黙”だった。
風が吹き抜けるたび、割れた窓からカーテンが揺れる音だけが響く。
ひび割れた石畳、瓦礫に埋もれた通り、掲げられたまま褪せた布告書。
その全てが、この町にかつて“暮らし”というものが存在していた痕跡だった。
しかし今、その面影すら残っていない。
「……ひどいな」
サブロウが、かすれた声で呟いた。
その表情には、怒りとも、悲しみともつかない感情が滲んでいる。
「まるで……魂まで奪われたみたいだ」
町人の姿はある。
だが皆、家々の奥に籠もり、目を合わせようとしない。
扉の隙間から覗くその瞳には、怯えと諦めしか浮かんでいなかった。
「なんて空気だ……まるで“死んだ町”だな」
桃十郎が肩をすくめ、背に結んだ刀の柄に手を添える。
彼の目は鋭く、だがその瞳の奥には、燃え立つ闘志が確かにあった。
「……いいぜ、サブロウ。早くそいつを見つけよう。“ペーシュ”とかいう特秀をな」
「焦るな。敵の情報が何もないまま突っ込むのは自殺行為だ」
サブロウは冷静だった。
彼の視線は町の奥へと向かっている。
――“ペーシュ”。
ホレスが生み出した五体の“特秀”のうちの一人。
その名が、今この町に根を張っている。
他の桃人と違い、特秀には“名前”がある。
ホレスが直接名を与えた、それは即ち――“絶対の信頼”と“力の証明”だった。
名を持つ者。それは、この国において“神に選ばれし存在”を意味する。
「戦闘力は……かなりのものだと報告されてる。油断するなよ」
サブロウの声に、周囲のレジスタンスの面々が緊張を強める。
(ペーシュ……どんな奴なんだ。どれだけの恐怖を、この町に刻みつけた?)
無人の通りを踏みしめながら、サブロウは心の中で問いかけた。
答えを知っている者など、もはや町には残されていないのかもしれなかった。
ふたりが町の中を進むも、通りには誰ひとりとして姿を見せない。
町は生きているはずなのに、息づかいさえ聞こえない。
「……情報も何も、これじゃ掴みようがないな」
「いや、違う。皆、出てこないんだ」
サブロウの声が低く響く。
「恐れているんだよ。桃人を……この町を支配している、“圧倒的な何か”をな」
かつては活気に満ち、多くの商人と旅人で賑わっていた北の町。
今、その華やかさは跡形もなく、ただ沈黙と恐怖が支配していた。
沈黙に包まれた町の片隅で――
一筋の風が、旗のように揺れた。
そこには、禍々しい“桃の印章”が掲げられていた。
それは、この地が“桃人によって統治されている”という、何よりも強烈な証だった。
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町の奥を進んでいくと、突如として現れたのは、黒い塀に囲まれた異様な洋館だった。
古びているはずなのに、どこか禍々しい気配を放っている――まるでその建物自体が生きていて、訪れる者を喰らおうとしているかのようだった。
「……サブロウ、感じるか? この気配……間違いない、奴はここにいる」
桃十郎が、鋭く目を細めた。
「あぁ。空気が違う。あの特秀が、この中にいる」
サブロウは静かに応えた。
レジスタンスの隊士たちも、重苦しい空気を感じ取っていた。誰もが自然と腰の武器に手を添え、気を引き締める。
そのときだった――
ギィィ……。
洋館の重い扉が軋むように開き、異形の影がぞろぞろと現れた。
「おいおい、信じらんねぇな……」
「まさか正面から来るバカがいるとはよ……!」
出てきたのは、10体の桃人。ひとりひとりがまるで獣のような風貌で、明らかに今まで戦ってきた量産型とは違う。
その肩幅、目つき、纏う気配――すべてが、異質だった。
「全員、構えろ……こいつら、強いぞ」
サブロウが低く警告を発した。
「こいつらやる気だぞ! ギャハハッ! 上等じゃねぇか!」
「ちょうど退屈してたとこだ。まとめて血祭りにしてやらぁ!」
桃人たちは狂喜乱舞しながら、一斉に剣を抜いた。
すぐさま、レジスタンスの前列の隊士たちがサブロウと桃十郎の前に立ちふさがった。
「サブロウ様、桃十郎様――ここは我々が引き受けます。どうか中へ!」
「お、お前たち……」
「ご心配なく。我らでは特秀には届かぬと、百も承知。ですが、こやつら程度なら……まだ、やれます!」
言葉を終えると同時に、敵の剣が振り下ろされた。
ガンッ!! ギンッ!! ガキン!!!
金属の衝突音が響き渡る。激しい剣戟が巻き起こり、火花が空気を裂く。
「ここはお任せ下さい――どうか、お急ぎを!!」
「……わかった。任せた!」
「誰も、死ぬなよ!!」
サブロウは一度だけ振り返って叫んだ。
それに答えるように、戦士たちは歯を食いしばり、剣を振るう。
そしてサブロウと桃十郎は、その死闘の中をすり抜けるようにして、洋館の扉の奥へと駆けていった。
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激戦の渦を抜け、サブロウと桃十郎はついに洋館の中へと踏み込んだ。
――そこは、まるで異界だった。
広がる大広間。
天井は高く、空気は不自然なほど冷たい。
吐く息が、かすかに白く煙った。
「……広いな。それにこの空気……吐き気がする」
サブロウがつぶやき、天井を見上げる。
ひび割れた装飾、床には砕けた石材、折れた柱の破片、割れたシャンデリア。
“破壊”そのものが、建物の中に棲みついている。
「建物全体が重い……奴の“影力”が、染みついてる」
桃十郎が低くつぶやき、剣の柄に自然と指がかかる。
二人は慎重に、奥へと足を進める。
やがて――異様な気配が渦巻く“扉”の前に辿り着いた。
ドクン……ドクン……
まるで扉自体が“呼吸”しているようだった。隙間から、禍々しい黒い影がじわじわと漏れ出している。
「……桃十郎。ここだ」
サブロウが囁く。
二人は息を合わせ、扉に手をかけた。
ギィィィ……ッ
重たい音とともに、扉がゆっくりと開かれていく。
――その先は、まるで地獄の中心。
天井はさらに高く、壁一面が黒い染みで覆われていた。
家具は粉々に砕かれ、床には爪で引き裂かれたような無数の裂け目。
ただの暴力ではない。“圧倒的な何か”が、ここで暴れた痕跡だった。
そして――
部屋の中央。
三メートルを超える"異形"が、ゆっくりとこちらを振り返った。
桃色の長髪が背を流れ、全身には絡み合うような入れ墨。
猛獣のような眼光が、二人を射抜く。
――ペーシュ。特秀の一体。
「……お前が、ペーシュだな」
サブロウが睨み据える。
「あぁ? そうだが……お前らは何者だ?」
声が、床を這うように響いた。
喋っただけで、空気が震える。影力の圧が肌を刺す。
(……ただの声でこれか。今までの桃人とは“格”が違う)
苛立ちを隠さず、ペーシュは隣の桃人を睨みつける。
「……なんでこんな奴らが中にいる? 見張りはどうした?」
「す、すみませんペーシュ様! こいつら、レジスタンスで――」
――ズシャァッ!!
ペーシュの腕が振り下ろされた。
一瞬で、桃人の頭が潰れ、壁に叩きつけられる。血が、黒い壁に鮮烈に飛び散った。
沈黙。
「俺は“見張りは何をしてる”って聞いたんだ。こいつらが誰かなんて関係ねぇ」
滴る血が、ぴちゃん……と床を染める。
「仲間じゃ……ないのか……」
サブロウが呟く。
「仲間?」
ペーシュがあざ笑う。
「こいつらは“道具”だよ。俺が支配するこの町じゃ、強い者が上に立つ。弱ぇ奴は黙って従うだけだ」
「非道が…」
その視線が――ピクリ、と桃十郎に移る。
「……ん?」
「そこの細いの。まさか……“オリジナル”か?」
“オリジナル”――本物の桃から生まれた存在。
「……あぁ。俺は桃の戦士、桃十郎だ」
桃十郎がまっすぐに睨み返す。
ペーシュの口元が、愉悦に歪んだ。
「はははっ! おもしれぇ……本物が来たか!!オリジナルとコピー……どっちが上か、今ここで決めようぜ!!」
「サブロウ……こいつ、倒さなきゃならねぇ」
「あぁ。行くぞ――桃十郎!!」
二人が、抜刀した。
――シン……。
空気が、音を失った。
ダンッ!!
一瞬で間合いを詰めたサブロウの一閃が、ペーシュの首筋を狙う!
「一撃でいかせてもらう!」
キィィィンッ!!
だが、左腕一本で受け止められた。刃は、皮膚に傷ひとつつけられない。
(な……なんて硬さだ……刃が、通らねぇ!?)
「ふんっ!!」
ブンッ!!
ドゴォン!!!
ペーシュの一撃で、サブロウの身体が宙を舞い、壁に叩きつけられる。
「ぐはぁっ!!」
肺が潰れる衝撃。だが――
「桃十郎ッ!!」
サブロウの隙を突き、桃十郎が疾駆する!
剣に力を込め、渾身の斬撃がペーシュの脇腹を裂く――
ズドンッ!!
……はずだった。
(嘘だろ…!?)
「あ? なんだそれ。くすぐったいぞ?」
ニヤリ、とペーシュが笑い、右腕を横に薙ぐ。
ドゴォン!!
桃十郎の身体が壁を砕き、石片が舞った。
「うぐっ……!」
二人とも立ち上がりながらも、剣を離さない。
膝が震えても、視線は逸らさない。
「おいレジスタンス。てめぇら、ちょっと桃人潰したくらいでイキってたんだってな?」
ペーシュがゆっくりと、獣のように歩み寄る。
「教えてやるよ。“特秀”ってのはな……格が違ぇんだよ!!!」
ドン……と床を踏みしめた瞬間、部屋全体が震えた。
「……想像以上だな」
「でもやるしかねぇ。ここで倒れたら、何も変わらねぇ!!」
「ここからは――全力で行くぞ、サブロウ!!」
「あぁッ!!」
二人の剣が、再び火を噴く。
金属と影力がぶつかり合い、黒い大広間に閃光が走った――
“特秀”ペーシュとの死闘が、今、幕を開けた。




