【第32話】人の上の存在
ホレスは、王宮のバルコニーに悠然と立ち、眼下の広場に整然と並ぶ五百の戦士たちを見下ろしていた。
その姿はまるで、神話の神を気取るかのようだ。
「見よ、この軍勢を!」
声が空に響く。
「私はついに、桃の木の“複製”に成功したのだ。その数、すでに五百――いや、これからまだいくらでも増える!」
その言葉に、モーモー太郎の目が見開かれる。
「人を……作っただと……まるで……神にでもなったつもりか……!」
「フフ……その通りだよ、モーモー太郎君」
ホレスは顔を輝かせ、愉悦を噛み締めるように笑った。
まるで自分が、天地創造の果てに立つ者であるかのように。
「30年かかった。だがな……この日を夢見て私は歩んできた。
これこそが、私の――真世界だ!」
モーモー太郎は呆然と見つめていた。
花びらが宙に舞い、祝福のように広場を彩る。
「まずはこの五百の“桃の民”を、いくつかの都市へ送り込む。
民衆を、弱き者どもを従わせるのだ。
人の上に立つ者――それこそが我ら“特別な存在”の役目だ」
「そんなことをして……お前は何がしたいんだ!」
「淘汰だよ、淘汰!」
ホレスの声が怒りに似た熱を帯びる。
「無力な者を排除し、力ある者だけが生き残る新たな国家。
私はその“王”であり、“救世主”であり――そして、“神”となるのだ!」
「やめろ……そんな世界、誰も望んじゃいない!!くそっ……ここから出せ!!この狂人めっ……!!」
だが、分厚い鉄格子はびくともしない。
ホレスはゆっくりと振り返り、冷たく言い放った。
「だがな、モーモー太郎。君はこの新たな世界を見ることはない」
「……!?」
「ここで、私の“実験台”となってもらう。
君のその得体の知れない力――私が解析し、掌握し、そして“再現”するのだ」
「ふざけるな!!」
「まあ、それまでの間、せいぜい“思い出”にでも浸っておくことだ。
生まれてきた意味を、檻の中でゆっくり考えるがいい……ふふふっ……」
そう告げて、ホレスは踵を返し、ゆっくりと部屋を後にする。
残されたのは、硬く閉ざされた鉄檻と、怒りと無力感に震えるモーモー太郎だけだった。
ホレスの“計画”――
それは、神をも恐れぬ所業だった。
伝説の桃の木を複製し、その“実”を人の手で量産する。
やがて、その桃から生まれ出る者たちが、民を支配する存在となる。
才なき者は従わされ、声を奪われ、ただひれ伏すだけの存在に落とされる。
血も涙もない、完璧に設計された“桃の民”。
感情すら制御されたその兵士たちは、ホレスに従い、世界を塗り替えていく。
その歪んだ理想――“真世界”。
いままさに、狂気の幕が上がろうとしていた。
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――その日の深夜。静寂に包まれた王宮。
モーモー太郎は、薄暗い檻の中でうずくまっていた。
体はまだ重く、自由に動ける状態ではない。
それでも、心は諦めていなかった。
――ギィ……
重厚な扉が、きしむ音を立ててゆっくりと開いた。
闇の中から、足音がひとつ。確かに近づいてくる。
「君がモーモー太郎君か。……本当に、牛なんだな」
低く抑えた声が、室内に響く。
「……誰だ、お前は」
モーモー太郎はかすれた声で問い返す。警戒心を隠さない。
「私は――ヘンリー。だが詳しい話は後だ。まずは、ここから出よう」
男は短く言い放ち、檻の前にしゃがみ込むと、手早く鍵を操作し始めた。
――カチャリ。
錠が外れる乾いた音。
モーモー太郎の目がわずかに見開かれる。
「ヘンリー…?……なぜ、助ける?」
「理由は後だ。今は――逃げることだけを考えろ」
男の顔はまだ見えない。だがその声に、確かな意志と焦燥が宿っていた。
(…ヘンリー…どこかで聞いた名…何者なんだ、こいつは……)
モーモー太郎の中で、疑念と希望が交錯する。
だがその手は確かに檻を開き、光のない牢獄の出口を作っていた。
迷っている時間はなかった。
「……わかった」
モーモー太郎はゆっくりと立ち上がった。
鎖の残響を引きずりながら、男のあとに続く。
こうして二つの影は、闇に紛れて王宮を後にする――




