【第3話】犬、猿、キジ
朝の光が森の小道を金色に染め、まだ肌寒い風が、草の葉先を優しく撫でていた。
モーモー太郎はその中を、一歩一歩、静かに進んでいた。
蹄が地面を叩く音は、決して重くはない。けれど、その背中に滲む緊張は、確かなものだった。
「……港町に着いたら、鬼ヶ島はすぐ近くだ。大丈夫……僕なら、きっとできる……」
自分に言い聞かせるように、小さく呟く。
だが胸の奥では、二つの声がせめぎ合っていた。
「きっとできる」という声と、「本当にできるのか?」という声。
鬼――
それは、人々の語り継ぐ“恐怖”そのものだった。
誰もその姿を見た者はいない。十五年前、無人島へと封じられたという話はある。だが、真偽は定かではない。ましてや、戦うということが、どういうことか――
彼は、足を止めた。
少しだけ空を仰ぐ。
不安の影が胸に差すその瞬間――
森が動いた。
ガサッ!
茂みが大きく揺れた。
葉が舞い、空気がざわつく。
モーモー太郎は即座に身構え、視線を走らせる。
すると、視界の端を、三つの影が走り抜けた。
風を切る音。
土埃。
獣の気配。
モーモー太郎の鼓動が、ひときわ大きく鳴った。
やがて、姿を現したのは――
犬。
猿。
キジ。
三匹の動物たちだった。
どこか獣らしからぬ気配を纏ったその三体は、一定の距離を保ったまま、彼をまっすぐに見つめていた。
その眼差しは、まるで彼の内面を覗き込むかのようで、モーモー太郎は息を飲む。
「な、なんだ……お前たち……?」
彼らは動かない。
ただ、じっと彼を見つめ続けている。
その瞳に宿る光は、ただの獣が持つものではなかった。
見つめ返したその瞬間――
モーモー太郎の意識に、何かが広がった。
ふいに、頭の奥が熱を帯びる。
言葉にならぬ何かが、胸の奥で弾けた。
これは――既視感?
いや、違う。だが、間違いなく“知っている”感覚がある。
まるで、彼らとの出会いが生まれる前から決まっていたような……そう、運命の継ぎ目に触れたような――そんな不思議な感覚。
心の深いところで、長く眠っていた何かが、目を覚ましたような気がした。
そして、気がつけば口が動いていた。
「……おい。お前たち」
呼びかける声は、自分でも驚くほど自然だった。
「一緒に来ないか? 俺と、鬼退治に行かないか……?」
言葉が、風に乗って三匹へと届いた。
だが――
返事は、なかった。
犬は静かに首を傾げ、
猿は木の枝を掴んだままじっと動かず、
キジは風に羽を鳴らすだけだった。
「……そ、そっか。そうだよな。動物が言葉を返すわけない……」
はっと我に返る。
急に恥ずかしくなって、頭を振った。
「……やっぱり無理か」
だが、モーモー太郎の足は止まらなかった。
代わりに腰から縄を引き抜き、口にくわえると、一気に走った。
「……なら、強引にでも連れていくしかないっ!」
犬、猿、キジ。三匹の動きを見切ると、巧みに縄を投げる。
するりと輪が空を走り、三匹を見事に絡め取った。
「よし、捕まえた!」
ぐるぐると縛りつけた三匹は、それぞれ不満を態度に表した。
犬は鼻を鳴らし、猿は歯をむき、キジはばたばたと暴れた。
だが、縄の端をしっかりと握るモーモー太郎の眼差しには、確かな決意が宿っていた。
「いいか。……お前たちは、僕の仲間だ。そう、僕が、そう決めたんだ」
声は低く、まっすぐだった。
三匹はもう暴れなかった。
それぞれが、彼の目を一度だけ見つめると、不思議と落ち着きを取り戻していた。
そしてモーモー太郎は、その縄を握ったまま、ふたたび歩き出した。
港町へ向かう道。
その先には、鬼ヶ島――封じられた“恐怖”が待っている。
だが今、彼の背には、三つの影があった。
言葉を交わすことはできなくとも、彼らは共にあった。
その絆は、名もなき誓いのように、確かにそこにあった。
こうして、モーモー太郎の旅は、新たな仲間とともに続いていく。
運命に導かれるようにして――。