【第25話】ホレスの過去〜回想篇〜
注※ここからホレスの過去です
時は変わり__
桃暦134年――
ここは、王宮。
黄金の柱が立ち並び、静けさの奥に力の気配が潜む場所。
国を統治する王族たちが集い、時に冷酷に、時に華やかに歴史を動かす中心地。
その奥深く、まだ幼さの残る14歳の少年・ホレスがいた。
知識、剣技、統治術。すべてにおいて優れ、将来を嘱望される若き王族。
王族の誰もが、彼こそ未来の柱だと疑わなかった。
だが――
運命を変える日は、突然に訪れた。
「ホレス。こちらへ来なさい」
玉座の間で、王が静かに言った。
堂々としたその声には、どこか重たく、厳粛な響きがあった。
「はい、お父様」
ホレスは深く頭を垂れ、玉座の前に跪いた。
「もうすぐ十五……お前に話さねばならぬ、大切なことがある。心して聞きなさい」
「……承知しました」
凛とした面持ちの中に、どこか不安を覚えるホレス。
だが、その次の言葉は、少年の心に深く冷たい爪痕を残すこととなる。
「ホレス――実は、お前は……ワシの子ではない」
時が止まったかのようだった。
脳が理解を拒む。耳に届いた音が、何度も頭の中で反響する。
「え……今、なんと……?」
「十五年前、ワシはお前を……養子として迎え入れたのだ」
ホレスの背筋に、冷たいものが走る。
「嘘……そんな……どうして……」
「驚くのも無理はない。」
王の声は静かだった。しかしその静けさの奥に、どこか異様な確信と重みがあった。
ホレスは言葉を失い、ただ王の顔を見つめる。
「だがな、ホレス。もっと信じがたい事実がある。いいか、理解しろ」
王はゆっくりと背もたれに身を預け、重たげに口を開いた。
「ある書には、こう記されている…“人が桃から生まれる”とな」
「……えっ!?」
ホレスは思わず声を上げた。
あまりにも突飛な言葉に、冗談かと思った――が。
目の前の王は、微塵も笑っていなかった。
むしろその顔には、どこか底知れぬ“恐怖”すら漂っている。
重く静かな空気が、部屋を満たしていく。
「その書は、王にしか許されぬ“禁書”だ。地下の封印庫にひっそりと保管され、歴代の王だけが目にすることを許されてきた。誰にも語られることなく、存在すら知られずに…だ」
「……禁書…?」
「そうだ。常識を逸した内容ゆえに、誰にも見せてはならぬとされた。“人が桃から生まれる”…信じがたかろう。だが、それは記録されている真実だ」
王の目は細く鋭く、どこか狂気を孕んでいた。
「そんなある日、川で村人が大きな桃を見つけたと報告を受けた。割ると、そこには赤子のお前がいたと。知らせを受けたワシはすぐに駆けつけた。そして確信した。これは伝説の“桃”だと」
「伝説の……桃?」
ホレスは息をのんだ。言葉の意味がまるで理解できない。
「――そうだ。お前はその桃から、生まれてきたんだよ」
王はゆっくりと、まるで面白がるように口角を吊り上げた。その笑みには、父親の温もりも愛情も、微塵もなかった。
ホレスは言葉を失っていた。
生まれを、存在を、今まで信じていたすべてを覆す事実。
理解できない。桃から生まれる?その言葉の意味も分からないまま――王家ではないとしたら……
その衝撃が、少年の心に深く突き刺さっていく。
「伝説の桃……?分かりません。お父上、なにを言っておられるのですか?」
ホレスの声には、かすかな震えが混じっていた。
目の前の現実を否定したくて仕方がなかった。だが、王の瞳はどこまでも冷たく、冗談ではないと告げていた。
「ワシも、かつてその桃の話を笑った。だが、ある日現れたその“桃”を見て、全てを悟った。お前はその証明だったのだ。だから拾い、育てた。どんな奇跡を見せてくれるのかと……ずっとな」
「嘘だ…信じられるはずがありません…」
「人が桃から生まれるのだ……まったく、化け物だよ」
王は嘲るように吐き捨てる。その声には、父が子に語る愛情など一片もなかった。ただ、興味を失った玩具を放り投げるような、冷酷な響きだけが残った。
ホレスは言葉を失った。
馬鹿げている。作り話だ。だが、王の口から紡がれる言葉は止まらなかった。
「桃から生まれた子……それが何を意味するのか、知りたかったのだ。だから“ホレス”と名をつけ、我が子として育てた。……どうじゃ、驚いたか?」
「……じゃあなぜ、今まで何も言わなかったんですか!? なぜ突然、そんな――」
「それはな……お前が、“つまらなかった”からだ」
「……え?」
王の声は、静かに、だが確かに突き放していた。
「書に記してある知識に従い、ワシはお前を観察してきた。確かに優秀であることは認めよう。だが……お前からは、期待していた事は何も起きなかった。桃から生まれたのなら、もっと特別な何かを見せてくれると思っていた。だが、期待外れだったのだ」
ホレスの鼓動が、嫌な音を立てて高鳴る。
「だからだ。今日限りでお前は――王族を、辞めろ」
「は……?」
「ワシはお前を捨てる。だが安心しろ。興味が完全に失せたわけではない。いつか力に目覚めたら、また迎え入れてやってもいい。だがそれまでは――ワシの前から消え失せろ」
その瞬間――
ホレスの中で、何かが音を立てて崩れた。
理解はできていなかった。
だが、心の奥から込み上げてくる“黒い衝動”だけは、確かに感じていた。
怒り。憤り。裏切られたという感情。
そのどれとも違う、もっと深く、暗く、冷たいものが――静かに彼を侵食していく。
ホレスの瞳が、ゆっくりと影を帯びていった。
その瞬間だった。
ホレスの体の奥底から、何かが爆ぜたような感覚が広がった。
次の瞬間、彼の周囲に闇のような影が渦を巻きながら解き放たれる。
ゴゴゴゴゴ……!
空気が震え、部屋全体が異様な圧に包まれた。
王の目が、信じられぬものを見たように大きく見開かれる。
「な、何じゃこれは……! ぐっ、息が……!」
王の身体に、黒い影が絡みつく。蛇のように蠢くその影は、容赦なく全身を締め上げた。
王の顔が苦悶に歪み、椅子ごと軋む音が響く。
ホレスは立ったまま、ただ冷たく言い放つ。
「……お父上。いや――父ではないのか。あなたは……僕を怒らせた」
「くっ……こ、これが……桃の力……! す、素晴らしい……やはりお前は……我が息子……!」
「フン。今さら息子扱いか? もう遅い。驚いたか? “つまらなかった”子供の、これが“答え”だ」
ゴゴゴゴ……
ホレスの目は、燃えるように光り、憎悪に染まっていた。
影はさらに濃くなり、王の身体を締め上げていく。
肉がきしみ、骨が軋む不気味な音が室内に響いた。
「それにしても……なんだ、この心地よい感覚は」
ホレスは静かに、しかし確かな確信をもって呟いた。
まるで長い間眠っていた本能が目を覚まし、支配の快楽に酔いしれているかのようだった。
王の呻き声が、次第に掠れていく。
「ぐっ、うっ……や、やめ……」
「お別れだ、“父上”」
ズアアアアアッ!!
鋭く裂けるような音と共に、影が王の身体を裂いた。
血が舞い、王の断末魔が王宮の奥深くまで響いた。
バタリ……
王の身体が崩れ落ちる。
ホレスは一歩、また一歩と歩を進め、王の亡骸を見下ろした。
そして――静かに呟いた。
「……これが、“桃の力”? 本当……なのか」
皮肉げに、だが確かな実感を込めてそう言った。
こうして、王の玉座は血に染まり、
この国の“最悪”が――ここから始まった。