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【第24話】桃九郎の過去4〜回想篇〜

 しん……。


 障子の向こうで風が鳴っていた。

 薄い光が畳に影を落とし、ほこりがきらりと漂う。


 桃九郎は深く頭を垂れた。

「……本当に……すまなかった……」


 声は低く細い。

 肩がわずかに震えている。


 向かいには若い女性。

 黒髪をきっちり結い、背筋は折れず、眼差しは真っ直ぐ。

 その手を握るのは、ちいさな男の子――サブロウ。

 丸い目。ぎゅっと結んだ口。まだ幼い。


 女性が口を開く。

 凛として、震えを隠すように。

「桃九郎さん。どうか頭をお上げください」


 九郎は、すぐには顔を上げられない。

 唇がかすかに噛みしめられる。


「あなたのせいではありません。

 ジロウは望んで戦いました。誇りを持って――」


 その言葉で、九郎の肩がピクリと動いた。

 喉の奥が熱い。

 あの瞬間――炎の港、唸る鬼、押し込む腕、笑って見せた横顔。

 九郎は、妻へすべてを話した。

 順に、丁寧に。言葉を落とさないように。

 途中、何度も息が詰まり、何度も沈黙があった。


 女性は、ただ聞いた。

 涙が溜まり、縁からこぼれそうになっても、拭わない。

 その姿は、ジロウと並んで歩いた者の強さだった。


 語り終えると、部屋に静けさが戻る。

 九郎は膝の上で拳を固くし、呟く。


「……申し訳ない……私の力が……足りなかった……」


 コト。

 茶椀の小さな音。


 そのとき。


「おじさん、泣かないで!」


 小さな手が、九郎の袖をくいっと引いた。

 顔を上げる。

 サブロウが、まっすぐに見ている。

 濁りのない目。迷いのない距離。


「え……?」


「泣き虫のおじさんはね、ぼくが代わりに守ってあげるから!」


 一瞬、空気が変わった。

 凍っていた部屋に、ちいさな火がぽっと灯る。


 九郎は目を見開き、

 ――そして、ふっと笑った。

 目尻の涙を袖で拭い、膝をつく。

 子の目線に降りて、真っ直ぐ返す。


「強い子だ。……その時は頼むぞ、サブロウ!」


「うん!」


 九郎はちいさな体を優しく抱き上げた。

 サブロウはくすぐったそうに笑い、首にしがみつく。

 女性の頬にも、遅れて小さな笑みが浮かんだ。


 窓から差す光が、三人を照らす。

 どこか遠くで風鈴がちりんと鳴った。


 九郎は胸の奥で、そっと言葉にした。

(ジロウ。受け取った。俺はもう、うつむかない)


 _____



 ――数日後。



 王都。白い塔に旗が揺れ、鼓笛が高らかに鳴る。

 広場には人、人、人。

 役人が巻物を広げ、喉を鳴らして叫んだ。


「布告!

 突如現れた鬼は、"王家直属の精鋭"により討伐・封印!

 鬼ヶ島に幽閉した!!」


 ざわ……ざわ……。

 驚き、歓声、安堵――いろんな声が混じる。

 けれど、それは間違った情報だ。


(違う――)

 遠くでそれを聞いたレジスタンスの一人が、拳を震わせた。

(違う。封じたのは、ジロウたちだ)


 役人はさらに続ける。

「封印と監視には莫大な費用が必要!

 ゆえに、新たな税制を施行する!」


 どよめき。

 うなだれる母。奥歯を噛む父。

 誰かが小声で「またか」と言い、誰かが「仕方ない」と肩を落とす。


 王政の言葉は、真実の顔をしていた。

 港で鬼を見た者がいる。炎を見た者がいる。

 ――だから信じられてしまう。

「王の軍がやったのだ」と。



 レジスタンスの拠点に戻る報せは、どれも同じだった。

「王家の手柄になっている」

「増税だ。前よりひどい」

「もう…これ以上は無理だ…」


 カラ……ン。


 瓶が空になって転がる音。

 誰かが拳で机を叩き、誰かが無言で外へ出る。

 五年かけて積み上げた信頼の灯が、消えかけていた。


「くそっ」「嘘ばかりだ」「どうして」

 弱音というより、疲れ。

 心を削る。


 ――ひとり、またひとり。

 姿を消す者が出た。

 家族のもとへ戻る者。

 怪我で剣を置く者。

 絶望に負ける者。


 火がしぼむ。

 しん……。

 鍛冶場の槌音が止まり、夜の拠点に、虫の音だけが流れた。


_____


 そんな中で、桃九郎は地図の前に立ち続けていた。


(盗られた手柄は、返せばいい。

 奪われた声は、作り直せばいい。

 ――時間がかかっても)


 背後から足音。

 ジロウの妻が、静かに頭を下げた。

「無理は、しないでください」


「大丈夫だ」

 九郎は短く答える。

「志に無理はない」


 彼女は少し笑った。

「ジロウと同じことを言うんですね」


 九郎も笑う。

「……そうか」


 そのとき、廊下の影からサブロウが顔を出した。

 ちいさな手が、ひょいと上がる。


「ぼくね、剣士になる。お父さんみたいに。

 それで……泣き虫のおじさんを守る!」


 女性が慌てる。

「こら、サブロウ」


 九郎は膝をつき、目線を合わせる。

「約束は、鍛錬とセットだ。強い心は、毎日でできている」


「まいにち?」


「毎日」

 九郎は指を一本、二本と折って見せる。

「胸を張る。嘘をつかない。弱い人を助ける。

 そして、逃げない」


 サブロウは真剣に頷いた。

「うん! にげない!」


 九郎は頭を撫でる。

 手のひらに、熱が移る。

(受け継がれる。ちゃんと)


_____


 レジスタンスの拠点では、荷車に袋が積まれていく。

 干し肉、米、小麦、水瓶。

 子どもが持てるように軽い包みも用意された。


 九郎は最後尾を歩く。

 ふと空を見上げる。

 曇り、のち晴れ。

 そんな空。


 背後で声。

「ボス!」

 サブロウが両手を振っている。

 母に手を引かれ、跳ねるように。


 九郎は片手を上げる。


 心の中で、もう一度、誓う。


 レジスタンスは、必ず復活する。

 王政を、必ず倒す。

 志を託した仲間のために。


 カチリ。

 胸のどこかで、またひとつ、噛み合う音がした。

 灯は、消えない。


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