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【第23話】桃九郎の過去3〜回想篇〜

 桃暦150年_____

 レジスタンス結成から――五年。



 薄曇りの朝。山の拠点。


 鍛冶場からはカン、カンと鉄の音。

 訓練場では木剣がバシン、バシンと交わる。


「もうすぐだ。もうすぐ、この腐った王政を終わらせられる」


 ボス――桃九郎(45)が拳を握る。

 地面を睨む、短い息。額の皺は深いが、迷いはない。


「長かったですね」

 副長――ジロウ(25)は静かに微笑んだ。

 黒髪短髪。ほどよい筋肉。立つだけで“剣の人”と分かるバランス。

 五年前の青年の影は消え、瞳には芯が通っている。


「鬼の復活が作り話だと、ようやく世間も気づき始めています。あと一歩です」


 九郎は頷き、それからふと尋ねた。

「そうだな……ジロウ。息子は、サブロウはいくつになった」


「三つです」

 頬がゆるむ。父の表情。

「最近は『剣士になる』なんて言い出して……困ったものです」


「ふっ、立派だ」

 短い笑い。

 平和は、手を伸ばせば届きそう――誰もがそう信じていた。


 しかし…


 _____


 夜。

 拠点の灯がゆら、ゆらと揺れる頃――


 ドン、ドン、ドン!

 急打の太鼓。

 見張り台から松明が素早く振られる。緊急合図。


 駆け込んできた伝令は、額に汗、肩は大きく上下していた。



「報告! 鬼――本当に、復活!」



 空気が、ピンと張る。

 九郎の瞼が跳ね、ジロウの足が半歩、自然に開く。


「なんだと……鬼が復活だと……!?」

 九郎の声は低く響いた。


「本当なのか? また王政の策略か」

 吐き捨てるように重ねると、


「いえ! 違います!」

 伝令は首を強く振る。

「本当に、奴が現れました! 町が……町が地獄です! 炎と悲鳴! 逃げ惑う人――!」


 その震え方が、何よりの証。

 作り物の嘘ではない。



 今度こそ――本物。



 九郎の眼差しが硬くなる。

「……封印は、初代と三神獣の祠……知るのは“桃”だけのはず。誰が解いた」


 応える声はない。

 部屋の隅で火がぱちと弾け、緊張をさらに煽った。


「踊らされはしない」

 九郎は立ち上がる。

「この目で見るまでは真実とは言えん。――馬を出せ」


 ジロウがうなずく。

「行くんですね」


「もし本当なら、この手で終わらせる。それが、俺の宿命だ」


 言葉は短く、重い。

 五年前、閉ざしていた背中は、もうない。


_____


 夜の山道。



 松明が流星の列のように駆ける。

 ザッ、ザッ、ザッ! 馬蹄が土を叩き、鈴のような金属音が続く。


 率いるは桃九郎。

 続くはジロウ。

 その後ろに三十騎――選抜の手練れ。


「鬼はどこだ!?」

「港町! すでに襲撃中とのこと!」

「最悪だ……人が多い……!」


 焦燥は風と共に馬上を駆け抜ける。

 だが列は乱れない。

 それが五年間の積み重ねだった。


 やがて、潮の匂い。

 波の音。

 空の向こうが、うっすら赤い。



 ――港町が、燃えている。


 _____



 見下ろす丘の上。

 息をのむ音が、同時にもれた。


 建物は炎に包まれ、ゴウゴウと唸る。

 瓦礫の下から助けを呼ぶ声。

 どこからか、赤子の泣き声。

 黒煙が空を裂き、風は熱と血の匂いを運ぶ。



 そして――いた。



 “鬼”。

 伝説で聞き、歴史で見て、誰もがもう存在を疑っていたはずのもの。


 背丈は五メートル。

 赤黒い皮膚。

 目は燃えるように光る――


 破壊。


「…あれが…鬼…太刀打ちできるわけがない……」

 誰かが呟き、誰もそれを否定できない。


 ジロウの足が、一瞬止まった。

 喉が乾く。

 手の皮膚が、柄を握る前に汗ばむ。

 ――それでも、彼は一歩、前に出た。


 その横を、九郎が静かに抜ける。


「皆、見ていてくれ」


 九郎の手には刀。

 鞘がコトと鳴った。

 目には、宿命と覚悟。


「私は、もう逃げない。ここでこの鬼を斬り、過去の自分に決着をつける!」



 ヒュッ!

 九郎が跳ぶ。瓦の上、柱、崩れるうちばりを連続で踏み――


 ギャリッ!!

 刃が閃き、鬼の肩口に深く走る。


「グアアアアアアッ!!」


 轟く咆哮。炎が揺れ、窓がビリビリ震える。


 ――開戦。



 _____



 九郎は影力を解き放つ。

 踏み込みは短く深く。

 一太刀ごとに足裏がギュッと石を掴み、刃筋がまっすぐ骨を狙う。


 だが、相手は世界を絶望に落とした存在。

 斬っても、焼いても、止まらない。

 皮膚は鉄よりも硬い。


「ガハハハ!!!やるな……だが、所詮は一人では勝てぬッ!」


 鬼の拳が横殴りに振り抜かれる。

 空気がブンと裂け、九郎の脇腹をかすめ――


 ドガァッ!!


 壁が砕け、石灰が霧のように舞う。


「くっ……!」

 九郎は受け身もそこそこに立つ。

 肩で息。指先が震える。

(強い……!)


 鬼はにやりと笑い、踏み出すたびに地面がミシミシと割れる。

「どうした、桃の戦士よ……終わりか?」


「まだ……終わっちゃいない……!」


 短い掛け声。

 九郎はさらに速度を上げ――


 だが、鬼はさらに理不尽だ。

 拳がドンとめり込み、九郎は弾丸のように吹き飛ぶ。


 ゴシャアッ!


 石壁に叩きつけられ、視界がぐにゃりと歪む。

 口の中が鉄臭い。足が、言うことを聞かない。


(ダメか……俺一人じゃ――)


 鬼が拳を振り上げる。


「終いじゃッ!!」

 ズドン!――と落ちるはずの拳が、


 ――ガンッ!!


 止まった。



 静寂。



 鬼の拳を、両腕で受け止めた影。

 足が石を割り、地面にヒビが広がる。


「ワシの拳を……受け止めるとは……!」

 鬼が初めて目を見開いた。


 鬼を止めたのは、

 ジロウ…_____


 九郎の目が見開かれる。

「ジロウ……! お前、まさか――桃水を……!」


 ジロウは肩で息をする。

 血管が浮き、筋肉が常識の輪郭を踏み越えて膨張している。


 ――命を削る水。桃水。

 飲めば、神にも届く力。

 代償は、その先の命。


「今……使わないで、いつ使うんですか……」


「バカな……死ぬんだぞ……!」

 九郎の声が掠れる。


「“今”を逃せば、誰かが死ぬ。なら、俺が!!」


 ジロウは鬼の腕をぎりぎりと捻り、背中へ回す。

「うおおおおおお!!」


 ズシン!!!


 巨体が傾き、ドォン!と甲板に叩きつけられた。

 たまたま係留されていた"大型船"。その甲板がミシと悲鳴を上げる。



「レジスタンス! 船の準備を!!

 この船で、鬼を無人島に送り込む!!例え鬼でもあそこからは帰って来れない!」


「舐めるなアアアアア!!」


 鬼が暴れ、船体がギシギシと揺れる。

 ジロウは歯を食いしばり、さらに圧をかける。



 そこへ――



「うおおおおおおっ!!」

 仲間たちが次々に飛び乗った。

 肩、腕、脚――全身で鬼を押さえ込む。


「やめろ、来るな! 俺が送り届ける! 命を無駄にするな!」

 ジロウの叫びは悲痛だ。


「分かってます! でも――もたない!

 島まで“交代”で押さえる!」

 若い兵の瞳に、恐れより強い決意。


 コク、コク、コク……

 数名の喉が、一斉に桃水を飲み下す音。


 次の瞬間――


「うおおおおお!!」

 筋肉が唸り、甲板を揺らす。

 鬼の巨体が、押し潰される。


「やめろ……頼む……お前らまで…!」

 ジロウの声が震える。怒り、悲しみ。両方。


「船、出せ!! 今すぐにッ!」


 縄が断たれ、係船柱がバチンと音を立てて弾ける。

 船がゴゴゴゴ……と重く動き出す。

 港が少しずつ遠ざかる。



 九郎は、立てなかった。

 膝が抜け、刀がカランと転がる。

(また……守れなかった……仲間を…失う…)


「桃九郎さん!!」

 ジロウがこちらを見た。

 鬼を押さえつける両腕は震え、歯は食いしばられ、それでも――笑っていた。


「後は、頼みました……!」


「ジロウ……っ。俺は、また……!」


「顔を上げてください……!」

 短く、強い声。

「あなたは――本物の桃の集いでした。俺たちの誇りです」


 九郎の喉が、きゅっと締まる。

 言葉にならない声があぁと洩れ、拳だけが硬く握られた。


 船は海へ。

 炎の港を離れ、夜の海に吸い込まれていく。

 甲板の上で、レジスタンスの影が折り重なり、鬼のうめきが低く続いた。


 やがて、灯が小さくなり、音も遠のく。



 静寂。



 九郎の胸の中に、ひとつ、巨大な穴が開いた。

 過去最大の穴。


 不甲斐ない…不甲斐ない…何の為の力だ…


_____



 翌朝。



 港町の瓦礫から、まだ熱い灰が舞う。

 助け出された子が、小さな声で「ありがとう」と言った。

 九郎はその言葉に、頷くことしかできなかった。


 やがて報せが届く。

 ――鬼、無人島に封ず。



 そして誰も寄りつかなくなったその島を、人はこう呼び始める。


 鬼ヶ島。


 九郎はひとり、海を見ていた。

 波の白が寄せては返し、靴の先を濡らす。


「……すまない」


 潮騒に紛れて落ちた声は、彼自身に向けられていた。


 九郎は振り返らない。

 拳を握り、ほどき、また握る。

 答えは、波がさらっていった。



 ゆっくりと刀を抜く。

 スッ。



「ここに誓う。

 同志達よ。

 お前たちの分まで、俺がやる」


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