【第15話】裏切り
「本当に……仲間になったのか……これが、伝説のきびだんごの力……」
モーモー太郎は荒い息を整えながら、未だ信じられない思いで鬼を見つめた。
自分を殺そうとしていた鬼が、今は静かに膝をつき、忠誠を誓っている。
間違いない。鬼は仲間になったのだ。
彼は拳を握りしめ、深く頷いた。
「さあ、ネクターとの決戦だ。」
その声には決意が宿っていた。
「そうだな、モーモー太郎君。しかし、まずは港町へ戻ろう。傷の手当をしなくては。」
ホレスは傷だらけのモーモー太郎を見て、心配そうに言った。
「……それはそうですが、こんな大きな鬼をどうやって運ぶんです?それに、街の人たちは驚くでしょう……。」
「問題ない。すでに船を呼んである。民衆にも配慮し、港の裏手から上陸させる。大騒ぎにはならないはずだ。」
ホレスはそう言うと、モーモー太郎を促し、鬼とともに洞窟を後にした。
海へと出ると、そこには少し傷んだ船が停泊していた。
「この船だ。少し古いが、十分だろう。」
見た目は悪いが、大型の船だった。鬼の巨体でも乗ることができる。
ホレスたちは船に乗り込んだ。
「モーモー太郎君、本当によくやった。鬼を仲間にするとは……まさに奇跡だ。君こそ、この世界の救世主かもしれんな。」
ホレスが感慨深く言うと、モーモー太郎は苦笑しながら首を振った。
「いいえ、ホレスさんのおかげです。あの時、叫んでくれなければ……。」
「ふふ、いいんだよ。くくく……。」
__________
しかし
港町に戻ったモーモー太郎たちを待っていたのは、歓迎ではなかった。
「悪魔が帰ってきたぞ!!」
その一言が、混乱の引き金となった。
「皆さん!急いで逃げてください!!危険です!!」
「きゃああああ!!」
人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い、町中に悲鳴が響き渡る。
モーモー太郎は愕然とした。
「ど、どういうことだ……?」
自分は何もしていない。むしろ、鬼を仲間にし、この国を救うために戻ってきたはずだ。
しかし――
ゴツンッ!!
突然、鋭い痛みが額を襲った。
「いたっ……」
額から赤い雫が滴り落ちる。
視線を上げると、そこには怯えた親子がいた。
石を投げたのは、小さな子供だった。
「出ていけ!!この悪者!!鬼を仲間にして、僕らを襲う気なんだろ!!」
震える声で叫ぶ少年。
「な、何を言ってるんだ……?僕は……!」
「やめなさい!早く逃げるのよ!!」
母親は子供の手を引き、急ぎ足でその場を去っていく。
モーモー太郎は、ただ立ち尽くしていた。
(なぜだ……?まだ鬼を仲間にしたことは誰にも話していないはずなのに……。)
その時――
「逃げろ!!鬼を連れた悪魔が、俺たちを殺しに来たぞ!!」
次々と響く叫び声。
モーモー太郎は必死に手を伸ばす。
「やっぱり僕の事を言っているのか!?ち、違う!!誤解だ!!説明させてくれ!!」
(まずい……どこからかデマを流された……一体誰が……)
しかし、誰も聞こうとはしなかった。
彼の声は、もう届いていなかった。
⸻
そして――
突如として、空が眩い光に包まれた。
一瞬にして町が静まり返る。
空を見上げる人々。
モーモー太郎は、目を細めながら光の中心を見つめる。
そして――
そこに現れたのは、神々しき三体の獣だった。
――大空を覆う、黄金に輝く翼を持つ 【大鳥】
――大地を揺るがす、剛腕を誇る 【大猿】
――全てを切り裂く牙を持つ 【大狼】
三神獣が、降臨した。
モーモー太郎は言葉を失う。
「あれが……三神獣……。」
そして――
その神々しき獣の背から、一人の男が降り立つ。
ネクター。
「まずい……この状況で、こんなに早く出くわすとは……。」
モーモー太郎は、悔しそうに唇を噛んだ。
三神獣を従え、黄金の光を纏うネクターは、まるで救世主そのものだった。
その威厳に、人々の視線が彼に釘付けとなる。
そして、ネクターは静かに口を開いた。
「皆さん!!どうか落ち着いてください!!」
響き渡る、堂々たる声。
「我が名はネクター!!俺たちが来たからには、もう安心です!!」
彼の背後で三神獣がゆっくりと翼を広げる。
その姿は、まさに神の使い――絶対的な正義の象徴のように見えた。
「そこにいるのは、人の言葉を巧みに操る、牛の魔物です!!」
ネクターがモーモー太郎を指さす。
「こいつは、皆の言う通り、世に鬼を解き放とうとする、悪魔なのです!!!」
驚愕するモーモー太郎。
(違う……違うんだ!!こいつ……まさかこれが企てか!?)
人々の視線が、次第に冷たくなる。
「ネクター様!!」
「お願いします!!あの牛を討ってください!!」
歓声が沸き起こる。
モーモー太郎の言葉は、完全にかき消された。
彼の叫びも、声も、誰にも届かない。
世界は、完全に彼を悪と見なしていた。
(どうすれば……この誤解を……!!)
しかし、もう誤解を解く時間はなかった。
「さあ――悪を裁こうか。」
ネクターが静かに言い放つ。
そして、次の瞬間――
三神獣が、咆哮を上げた。
ゴオオオオオオッ!!!!
大地が揺れる。
風が吹き荒れる。
「待て……違うんだ!!」
モーモー太郎が必死に声を上げるが、三神獣は止まらない。
黄金の光が放たれ、天地を裂くような轟音が響く。
人々は、その光に歓声を上げた。
モーモー太郎は拳を握りしめる。
しかし、今ここで戦えば、さらに自分が悪者であるという印象を強めてしまう。
鬼との戦闘で傷も深い。
逃げるか――戦うか。
モーモー太郎は、決断を迫られていた。
「最悪だ……なんでこうなった……!」
モーモー太郎の頭の中は、混乱と焦燥でいっぱいだった。
ネクターと三神獣を前に、町の人々は完全に彼を悪と決めつけている。
「ホレスさん!一旦引きましょう!」
彼は隣に立つホレスを見上げ、逃げる道を模索した。
しかし――
「……ふふ。」
ホレスが、微かに笑った。
「ど、どうしたんです?笑っている?」
「ふはははははは!!!!!」
突然、ホレスは声を張り上げ、大笑いを始めた。
「は……?」
モーモー太郎は目を見開き、理解が追いつかなかった。
(な、何が……?)
笑い続けるホレス。
そして、彼は静かに言った。
「私の役目も、これでおしまいだな。」
その声には、もはや先ほどまでの仲間意識など微塵も感じられなかった。
「本当に貴様はバカで、やり易かったよ。得体の知れぬ牛の化け物め。」
モーモー太郎の胸に、冷たい刃が突き刺さるような言葉だった。
「な……なにを……」
言葉を失い、思考が追いつかない。
ホレスは静かに一歩踏み出し、ゆっくりとネクターの元へ歩き出す。
⸻
ネクターの前に立ったホレスを、モーモー太郎は信じられない思いで見つめていた。
そして――
ネクターが深々と頭を下げた。
「ご苦労様です、ホレス様。」
「全くだ。もうこんな役回りは二度とごめんだな。」
モーモー太郎の鼓動が、異様な速さで跳ね上がる。
「え……?」
視界が揺れた。
「どういうことだ……?説明しろぉぉぉ!!!」
モーモー太郎は声を荒げた。
しかし、ホレスはそれを鼻で笑うように流す。
「貴様は最初から騙されていたんだよ。この時のためにな。」
ネクターの冷たい声が、鋭く響く。
「だ、騙す……?」
モーモー太郎の目に、ほんのわずかだが涙が滲んだ。
一体、どこから……?
いつから……?
彼は、ずっと味方だと信じていたのに――
町の人々には、この会話は届いていなかった。
彼らはただ、ネクターの姿に歓声を上げ続けている。
その中で、ホレスは静かに語り始めた。
「モーモー太郎君……私はね、夢があるのだよ。」
モーモー太郎は、歯を食いしばりながら問い返す。
「夢……?」
ホレスは微笑んだ。
「それはな、“真世界の創造”だ。」
その言葉に、モーモー太郎の背筋が凍る。
「さっきから……な、なにを言ってるんだ……嘘だ……?」
ホレスの顔には、もはや以前の温和な表情はなかった。
目の奥には狂気の光が宿り、口元には嘲笑の色が滲んでいる。
「私は、この世界を変える。歴史に名を残し、新しい世界の神になるのだよ。」
モーモー太郎の呼吸が浅くなる。
「な、なにを……ホレス…さん…?」
その名前を呼ぶのが、ひどく虚しく感じられた。
「驚くのも無理はないか……ふふ、少し説明してやろう、牛の怪物君。」
歪んだ笑み、鋭い眼光、全身から滲み出る冷酷なオーラ。
まるで悪魔。
まるで怪物。
モーモー太郎の胸が、怒りと恐怖で締めつけられる。
「……まず、君の存在を知ったのは王宮に届いた“ある知らせ”からだ。」
「知らせ……?」
「そう。“鬼と対峙する牛の化け物がいる”という報告が、私のもとへ届いたのだ。」
モーモー太郎は息を飲む。
「私はすぐに飛んできたよ。君の存在が、あまりにも興味深かったからな。」
ホレスは楽しげに言った。
「会って驚いたよ。本当に居たのだから‥牛でありながら言葉を操り、己の正義を貫く。そんな存在が現れたとなれば、当然、利用しない手はないだろう?」
「……」
モーモー太郎は拳を握りしめる。
「しかも、驚くべきは……なんと伝説の“きびだんご”を持っていたことだ。」
その言葉に、モーモー太郎の心が激しく揺れる。
「そうだ、貴様はまさに“理想的な駒”だった。」
「……駒……?」
「いや、駒というよりも、理想的な悪魔と言った方がいいかもしれないな。」
ホレスは不敵な笑みを浮かべた。
「ククク……この計画を考えている時、私は楽しくて仕方がなかったよ。おかげで“真世界の創造”は、大きく前進した。」
「それが……神になることか?」
モーモー太郎の声には、怒りが滲んでいた。
ホレスは静かに頷いた。
「ご名答。」
モーモー太郎の頭の中で、さまざまな出来事が繋がっていく。
ホレスが自分を導き、鬼ヶ島へ向かわせた。
鬼を仲間にし、ネクターとの戦いへと駆り立てた。
全てが、ホレスの計画通りだった。
「それで……二人を殺したのか?」
その問いに、ホレスは何のためらいもなく答えた。
「そうだ。」
その瞬間、モーモー太郎の頭が真っ白になった。
「……最初から、全部……騙していたのか……?」
「そうだ。」
――この男は、最初から自分を利用するためだけに、そばにいたのだ。
おじいさんとおばあさんを……自分の家族を……殺したのもこの男だった。
怒りと憎しみ、そして悲しみが胸を焦がす。
「許さない……絶対に、許さない!!!」
怒声とともに、モーモー太郎の体から雷が迸った。
バチバチバチバチ!!!!
雷光が周囲に弾け、地面を焦がす。
港町の人々が悲鳴を上げ、驚愕の表情で後ずさる。
だが、ホレスは笑ったまま動じなかった。
「モーモー太郎君――君がいなければ、この計画は成功しなかったよ。」
「本当に、ありがとう。」
その言葉が、決定的だった。
「貴様ぁぁぁぁ!!!!」
モーモー太郎の咆哮が、港町の喧騒を裂く。
ホレスはゆっくりと腕を広げる。
「君は今こうして、“悪”として裁かれようとしている。この国の人々は、目に映るものしか信じない。彼らの前に立つのは、三神獣を従える俺たちと、鬼を従える牛の魔物。」
ホレスの口元が、愉快そうに歪む。
「どちらが“悪”で、どちらが“正義”なのか……それはもう、明白だろう?」
モーモー太郎の拳が震える。
悔しかった。
しかし、今この場で何を言ったところで、彼の声は届かない。
ネクターが、静かに一歩前へ出た。
「さあ……救世主による、正義の裁きを始めようか。」
次の瞬間――
三神獣が、咆哮を上げた。
ゴオオオオオオオッ!!!!
大猿が拳を振り上げ、大地が揺れる。
大鳥が天に舞い、翼を広げる。
大狼が牙を剥き、咆哮する。
轟く雷鳴、閃く光、爆発する風圧。
モーモー太郎は、ただの一人。
しかし――
(僕は……負けない!!)
雷が再び彼の体を包み込む。
バチバチバチバチ!!!!
その目は、絶望の中でも決して揺らぐことはなかった。
ホレスが不敵に笑う。
「さて……ここからが、本番だ。」
ネクターが鋭く叫ぶ。
「三神獣――討て!!!」