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【第128話】海を前にして

 一週間。


 モーモー太郎とマツリは歩き続けた。

 森を抜け、丘を越え、夜は焚き火を囲んで眠り、また歩いた。


 最初は「子どもを連れて旅など無謀だ」と心のどこかで思っていた。

 だが――


「この木の実、食べられるわ。ほら、ちゃんと渋みを取ってからね」

「獣道はこっち。こっちの方が崖を避けられるの」

「夜は風が強いから、ここで焚き火をすると煙が流れてバレやすいわよ」


 小さな体で次々と知識を披露し、行動に移すマツリ。

 むしろ足手まといになるどころか、頼もしすぎるほどの仲間だった。


 モーモー太郎はその姿を見ながら、何度も心の中で呟いた。


(……この子は、本当にすごい)


 恐怖や過去の傷を抱えていながら、前に進む力を持っている。

 それは「強さ」という言葉だけでは語りきれなかった。



 ________



 昼時。


 ふいに視界が開けた。


「――あっ!」


 マツリが駆け出す。


「海だ……」


 蒼い光が広がっていた。

 波の音。

 潮風。

 どこまでも続く大海原が目の前にあった。


「これが……海……」


 マツリは瞳を輝かせて立ち尽くした。

 村から一歩も出たことのない少女にとって、それはまさに「世界の扉」だった。


 両腕を広げ、風を受ける。

 胸いっぱいに潮の匂いを吸い込み、瞳には涙が滲んでいた。


「すごい……広い……こんな世界が、本当にあったんだ……!」


 モーモー太郎はその横顔を見つめた。

(……そうか。マツリにとっては初めての海なんだ)

 胸の奥に温かなものが広がった。


「世界を見る」――

 その言葉は、ただの憧れではなく、こうして一歩ずつ現実になっていく。



 _______



 モーモー太郎は荷物から一枚の手紙を取り出した。

 ピーチジョンからのものだ。

 地図には落ち合う場所が記されている。


(……海が見えた。もうすぐ目的地だな)


 だが地図を見つめた瞬間、眉が寄った。


(ん……? この場所……)


 視線を上げる。


「ねぇ! モーモー太郎!」

 マツリが指差す。

「見て! 街よ!」


 丘の向こう。

 海沿いに広がる街並み。

 石造りの家々、煙突から立ちのぼる湯気、遠くから響く汽笛。


「……港町ルーモニア……」


 モーモー太郎の胸が強く締めつけられた。



 ________



「モーモー太郎! 早く行きましょう!」


 マツリが駆け出そうとする。

 だが、その腕を慌てて掴んだ。


「待ってくれ!」


「? どうしたの?」


「僕は……あの街に行けないかもしれない」


「行けない……?」


 モーモー太郎は唇を噛む。


 ――十ヶ月前。

 ホレスに裏切られ、この港町で「鬼を復活させた悪魔」として仕立て上げられた。

 石を投げられ、恐れられ、憎まれた。


 もちろん今ではホレスの悪名も広がっているはずだ。

 だが――その影が消えることはない。


 人々の目に映る「牛の化け物」という印象は、簡単に拭えるものではなかった。


 街へ足を踏み入れる勇気が、どうしても湧いてこなかった。


「……ごめん。理由は言えない」


「……言って」


「君を巻き込むわけにはいかないんだ」


 マツリの瞳が鋭く光った。



 ――シャキン。



 木刀の鞘が外され、刃が露わになる。

 鋭い光がモーモー太郎に突きつけられた。


「なっ……!? マ、マツリ!?」


「言いなさい!」

 眉間にシワを寄せるマツリ。

「私たちはもう仲間でしょ! 隠し事なんて許さない! 言わないと――切るわよ!」


「えぇぇぇ!? マ、マツリ……!?」


 緊迫した沈黙。

 海風が二人の間を吹き抜けた。


 結局――モーモー太郎は折れた。


「……分かったよ」



 __________



 モーモー太郎は語った。

 自分の生い立ち。

 鬼退治に挑んだこと。

 ホレスの裏切り。

 そして光の力と、これから向かう運命。


 語りながら、自分でも驚いた。

 これまで誰にも話せなかったことを、言葉にすることで――

 少しずつ心が軽くなっていく。


「……軽く聞いて悪かったわ」

 マツリが目を伏せた。


「いや……僕も、誰かに話したかったのかもしれない。スッキリしたよ」


 沈黙の後、マツリが顔を上げる。


「モーモー太郎……あなた、すごいものを背負ってるのね」


 その声は、子どもとは思えぬほど大人びていた。


「私、世界を甘く見てた。外の世界は、きれいなものばかりだと思ってた。でも……残酷で、複雑で……怖い」


「……あぁ。そうだ」


 モーモー太郎は静かに頷いた。


「でも――だからこそ、行かなきゃならないんだ」


 マツリの声が強くなる。


「港町に行こうよ」


「……え?」


「あなたの汚名を晴らすのよ。ホレスのことを話せば、信じてもらえるわ!」


「……でも、僕は牛だ。悪魔の印象は……」


「牛だから何よ!」


 マツリの声が鋭く響いた。

「あなたは牛で、そして――救世主!救世主モーモー太郎よ! この世界を救う者なんでしょ!」


 言葉が胸に突き刺さる。


「マツリ……」


 心が救われるとは、こういうことなのかもしれなかった。

 ずっと孤独だった。

 ずっと背負い続けてきた重荷。


 けれど今、隣に立つ小さな少女が、そのすべてを「あなたはあなたよ」と言ってくれた。


 ――涙が出そうになるのを堪えた。


「ありがとう……マツリ」


 深く息を吸い、潮の匂いを胸に刻む。


「よし! 港町へ行こう!」


 二人は並んで歩き出した。


 丘を下り、波音の方へ。

 港町ルーモニアへ。


 過去と向き合うために。

 未来を切り開くために。


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