【第112話】芽吹く悪意〜半年後〜
静かに、しかし確実に――
打倒王政への“計画”は動き出していた。
ヘンリーとアンは、ホレスに悟られぬよう、日々慎重に兵の引き抜きを進め、理不尽な政策への水面下での対抗策を練り続けていた。
この計画の最大の鍵はただ一つ――
ヘンリーが未だ“洗脳された王”であると、ホレスに信じさせ続けること。
たった一度の綻びが、命取りとなる。
彼らのすべては、刃の上に積み上げられていた。
ある夜、ヘンリーがふと疑問を口にした。
「アン……私が公にホレスの悪事を暴いたらどうだ? 国民に真実を告げれば――」
アンはすぐに首を振った。
その瞳には、迷いはない。
「それは……“悪手”です。今、民の目に映る“悪”は――あなたです」
「……私が」
「民衆にとって、ホレスは“王を支える忠臣”に映っています。
対して貴方は、“亡霊王”――沈黙し続け、国を衰退させた責任者。
そんな貴方が放つ告発など、誰が信じるでしょうか」
「……返り討ち、か」
「それに、今の王政では正義の声などすぐに封殺されます。
――私たちに今できることは、静かに、しかし確実に“力”を蓄えること」
「……くっ、私の不甲斐なさが、国をここまで堕としたのだな。半年……長い戦いになる」
「いいえ――希望の芽を育てるには、時間が必要です。
必ずやり遂げましょう。私たちが、未来を変えるのです」
「……ああ」
そして――
半年は、あまりにも早く過ぎ去った。
季節は冬。
国土に白い静寂が広がる中、その裏で、国を覆う“怒り”は確実に熱を帯びていた。
「また反乱です!民がレジスタンスと共に、王政軍と交戦中!」
「くっ……応援を!なんとしても抑え込め!」
「不可能です!王政軍は既に各地に散っており、戦力が足りません!」
「まずい……このままでは、国の体制そのものが崩壊するぞ!」
王宮の会議室に怒号が飛び交う。
焦り、混乱、そして恐怖――
王族たちの顔には、もはや威厳など残っていなかった。
ここ数年、この国は音を立てて崩れていた。
各地で勃発する内紛。崩れゆく秩序。
民は飢え、街には盗賊が現れ、正義も信仰も、誰かの都合でねじ曲がっていった。
最大の火種となったのは――“税”。
「もう、払えない……」
「我々に、飢えて死ねというのか……」
苦悶と絶望に満ちた民の声が、国中で上がっていた。
しかし、彼らには拒む力も権利もなかった。
“王命”の名のもと、弱者はただ沈黙することを強いられていたのだ。
だが、そんな絶望の只中に――
ひと筋の風が吹いた。
突如として現れた“レジスタンス”と名乗る組織。
桃九郎とジロウを中心とするその軍勢は、各地でゲリラ的に活動を始め、やがて世界に向けて、ある声明を発表する。
「“鬼の復活”は虚構である。
あれは、増税のために作られた嘘だ」
衝撃が走った。
最初は荒唐無稽な陰謀論と笑い飛ばされたその言葉。
だが――時が経つにつれ、民の中に一つの疑問が芽生え始める。
「……おかしい。鬼なんて、一向に現れないじゃないか」
かつては誰も疑えなかった“王の言葉”。
それが、徐々に崩れ始めていた。
レジスタンスはその流れに乗るように、真実を暴き続けた。
高すぎる税、増える軍備、しかし鬼の気配は一切無い――
その訴えは、やがて“国民の声”へと変貌していく。
抑えられぬ波となって、怒りと疑念が王宮を包囲し始めていた。
そして桃歴149年――
アンが立てた“半年”という期限は、現実のものとなった。
レジスタンスの兵力は、もはや王政軍に並ぶ規模へと膨れ上がり、
各地で反乱の炎が日増しに強まっていた。
アンの計画は、すべてが順調に進んでいた。
希望の光が、手の届くところまで来ている――
彼女はそう確信していた。
だが、一つだけ――
拭いきれぬ“不安”があった。
――この期に及んでも、ホレスが動かない。
黒幕は沈黙を守り続けていた。
まるで、全てを見透かしているかのように。
しかし、だからこそ“今”が好機。
この機を逃せば、再び未来は閉ざされてしまう。
レジスタンスは静かに、だが確実にその“時”に向けて進み出していた。
全軍が、王宮総攻撃へと向かう――
“クーデター決行の日”は、目前に迫っていた。
だがその裏で、もうひとつの戦いが進んでいた。
この半年――
ヘンリーは密かに、独自の行動を続けていたのだ。
「ホレスは、いったい何を企んでいるのか」
ただの独裁ではない。
ただの支配ではない。
――何かもっと、根の深い“目的”があるはずだ。
その真実を探るため、ヘンリーは王宮内でさりげなく聞き込みを始めていた。
誰にも悟られぬよう、亡霊王としての仮面を被りながら、
使用人たちに、ごく自然な会話の中で情報を引き出していく。
最初、誰もが驚いた。
“亡霊”とまで呼ばれた王が――言葉を発したのだ。
けれど日を追うごとに、人々は徐々に思い出し始めていた。
“この人は王なのだ”と。
やがて、少しずつ心を開き始めた者たちから、断片的な情報が集まり始めた。
◆ ホレスの研究に使われているのは、王領地の中でも最も広大な区画。
◆ 使用人の出入りが異常に多い。
◆ 大量の食料、そして武器が絶え間なく運び込まれている。
「……一体、あの場所で何が行われているんだ……」
ヘンリーは深く眉をひそめた。
食料と武器――戦の準備か?
いや、人の出入りは限られている。給仕は入っても、軍の動きは見えない。
その矛盾に頭を悩ませていたある日、一人の従者が低い声で報告を持ってきた。
「……ヘンリー王。あの施設に出入りした者から、ある奇妙な話がありました」
「何だ、話してくれ」
「中庭一面に……桃の木が植えられていたと。しかも――信じられないほどの数の」
「……なに……?」
その言葉に、ヘンリーの顔色が一変する。
桃の木――
それは、自分が生まれた“起点”。
そして、ホレスもまた……桃の木から生まれた存在だった。
大量の桃の木。大量の食料。そして――武器。
(まさか……)
まるで暗闇の中で輪郭を浮かび上がらせるように、ひとつの“仮説”が、心に浮かび上がる。
もし――
あれらの桃の木が、“新たな命”を育てているのだとしたら?
もし――
あの研究が、“桃から生まれる者”を“量産”するためのものだとしたら――
「……嘘だよな……」
恐怖と絶望が背筋を冷たく撫でた。
――ホレスは、ただの支配者ではない。
“悪意そのものを操る神”になろうとしている……!
ヘンリーの胸を、鈍い痛みが貫いた。
これが事実なら――この国どころか、世界そのものが飲み込まれる。
(これはもう、“反乱”なんて生易しいものじゃない……!)
思考よりも先に、体が動いていた。
ヘンリーは一心に駆け出す。
向かう先は、ただひとつ――アンのもとだった。