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【桃太郎新解釈】モーモー太郎伝説  作者: おいし
外伝〜ヘンリー王の苦悩〜
110/128

【第110話】秘密

「……ずっと、隠していてすみません」


 


 アンの声は、夜の静寂に溶けるように穏やかだった。けれどその芯には、揺るぎない覚悟が宿っていた。


 


「私の人生は、あの日――“真実”を知った瞬間から変わったんです。人々の苦しみは偶然ではなかった。意図的に、仕組まれたものでした」


 


 ヘンリーの指先が、わずかに震えた。


 


「私は、知ってしまった以上……見過ごすことができなかったのです」


 


「……危険すぎるよ、それは……」


 かすれた声が、ヘンリーの喉からこぼれた。



 


「数年前、私はローズブレイド家の後ろ盾を得て、“レジスタンス”を結成しました。中心となったのは……桃から生まれた者、桃九郎です」


 


「……なに……?」


 ヘンリーの目が大きく見開かれる。


 


「桃から……? ホレスのような……?」


 


「ええ。でも、彼は違います。桃九郎は、心に“善”を持つ者。あの男とは……根本から、違う」


 


 その言葉は、ヘンリーの常識を根底から揺さぶった。


 善の心。本当なのか?


 ずっと遠ざけていた“禁書”の記憶が、脳裏をよぎる。


 


「……ずっと……君たちは、動いていたのか……?」


 


「はい。ですが、この話を今まで伝えられなかったのは……あなたが、“ホレスの呪縛”の中にいたからです」


 


 ヘンリーの瞳に、影が落ちる。


 彼の胸を、得体の知れない黒い感情が満たしていった。


 


「……アン……」


 


 彼の声が震える。


 


「君は、この計画のために、僕に近づいたのか……? 僕を……また、“利用”したのか……?」


 


 疑念の種が、音もなく心に芽吹く。


 長く信じていた存在への“裏切りの可能性”は、どんな刃よりも鋭く、深く、彼の心をえぐった。


 


「――君にとって、僕はただの“王”だったのか。立場だけが……君にとって必要だったんだな……」


 


 ヘンリーは、その場に崩れ落ちた。


 痛みにも似た苦しみに、胸が締め付けられる。


 自分はまた“人”ではなく、“道具”として扱われていたのかと――


 


 だが、アンはその場で、ゆっくりと膝を折った。


 


「それは、決してありません」


 


 彼女の声は、ただ静かだった。


 揺れも、迷いもない。凛とした、まっすぐな声だった。


 


「……もういい。嘘は聞きたくない……」


 


「ヘンリー、私の言葉を最後まで聞いてください」


 


「……もう、何も……信じられない……」


 


 重苦しい沈黙が落ちる。


 その中で、アンは静かに言った。


 


「私があなたと過ごしてきた日々……それすらも“嘘”に思えますか?」


 


 ヘンリーは、思わず顔を上げた。


 


「私は、あなたという人を、心から信じています。――話し、笑い、時には喧嘩もし、私は確信したんです」


 


 アンの瞳は、優しさと誠実さで満ちていた。


 


「あなたは、誰よりも人の痛みに寄り添える人。臆病でも、逃げ続けてきた人でもない。……あなたは、本当の“王”になれる人なんです」


 


 その言葉は、氷のように冷たく閉ざされた心を、そっと溶かす炎だった。


 涙が、ヘンリーの目尻から静かに落ちる。


 


「だから私は、あなたを“利用”したいのではありません。――“共に、戦ってほしい”のです」


 


「共に……戦う……」


 


「ええ。あなたは“王”です。その血が、名が、責任が――逃げられない宿命だとしても」


 


 アンは、ふわりと微笑んだ。


 


「もう逃げなくていい。私は、あなたを支えます。あなたが立ち上がれば、この国は……必ず変わります」


 


 ヘンリーの胸の奥で、かすかに残っていた炎が、ふっと灯った。


 


「……僕は、変われるのかな……」


 


「もう、変わり始めていますよ」


 


「……でも、怖い。……怖くて仕方がないんだ」


 


「大丈夫。私たちが、あなたのそばにいます」


 


 アンの言葉は、凍てついた大地に降る、春の雪解けのようだった。


 


 その優しさに、ヘンリーの中の亡霊が、静かに泣いた。


 


 ――この人は、どれほどの時間、ひとりで闘ってきたのだろう。


 ――どれほど、誰かの痛みを背負いながら、ここまで来たのだろう。


 


 その覚悟と強さに、自分は何を疑っていたのか。


 何を怖れていたのか。


 


 ヘンリーは、静かに手を胸に当てた。


 


「……私は、変わりたい」


 


 その言葉は、小さな決意。


 けれど確かに――亡霊と呼ばれた王が、初めて自らの意思で踏み出した、夜明けの一歩だった。



 このとき、ヘンリーは静かに心を決めた。


 たとえ自信などなくても――戦う。


 震える足でも、迷いを抱えたままでも構わない。


 守りたい人がいる。


 取り戻したい国がある。


 その想いだけは、もう誰にも奪わせない。


 アンを守る。そして、この国の未来を、自らの手で取り戻すのだ。

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