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【第11話】謎の影と揺れる心

 夜が明けた。

 森の木々の間から、朝日が差し込む。

 霧の立ち込める小道を、やわらかな光がゆっくりと満たしていった。


 チュン、チュチュン――

 鳥たちのさえずり。


 濡れた土の匂い。朝露が草を滑り、歩くたびに靴に冷たいしずくが染みていく。

 ホレスとモーモー太郎は、鬼ヶ島へと続く道を、無言でひたすら歩いていた。


 その背には、夜を越えた者だけが纏う、静かな決意があった。


 _____


「……ホレスさん」

 沈黙を破るように、モーモー太郎が口を開いた。


「もうひとつ……気がかりなことがあります」


「ん? どうしたね、モーモー太郎君」

 ホレスは足を緩め、ちらりと彼を見やる。


「ピーチジョンのことです。……彼は、一体何者なんでしょうか?」


 その名を聞いた瞬間――

 ホレスはピタリと足を止めた。

 朝露の音が途切れ、森のざわめきだけが耳に残る。


「……ピーチ……? 一体何の話だ?」


 モーモー太郎はゆっくりと息を吐き、歩みを止めたホレスに向き直った。


「ああ、そうでしたね……ホレスさんは気を失っていましたから」


「……?」


「実は……ホレスさんが倒れている間に、なぜか彼が僕を助けてくれたんです」


「……誰かが、君を助けた?」

 ホレスの眉が僅かに動く。

「まったく気づかなかった……その者とは、面識がないのか?」


「はい。ありません。……でも――」

 モーモー太郎は一歩踏み出し、真剣な顔で言葉を続けた。


「ピーチジョンは、僕と同じ“牛”なんです」


「……は?」

 ホレスの目が、信じられないというように見開かれた。


「桃色の毛並みを持つ……人の言葉を話す牛。ネクターを退けるほどの力を持っていて……“影”という、謎の力を操っていました」


「影……!?」

 ホレスの喉がひくりと動いた。

 その声には、驚きだけでなく、ほんの僅かな緊張が混ざっていた。


「まさか……君のような存在が、もう一人いるとは……」


 ホレスは口元に手を当て、しばらく思案に沈んだ。

 王族として数多の伝承や記録を読んできた彼の頭の中を、いくつもの断片が駆け巡る。

 だが――一致するものは、何一つなかった。


 _____


 モーモー太郎は、不安と期待をないまぜにした眼差しでホレスを見つめる。


「ホレスさん……ピーチジョンについて、何かご存知ないんですか?」


 ホレスは静かに首を横に振った。


「いや……初耳だ。正直、君自身の存在だって、驚きの連続なんだよ」


 その言葉に、モーモー太郎の表情にはほんの僅かに失望の影が落ちた。

 だがホレスは、歩き出しながら続けた。


「……だが、君と同じような“牛”がいるなら、無関係という方が不自然だ」


「……確かに」


「君の出生や幼少期に……何か手がかりはないのか?」


 モーモー太郎はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと答えた。


「……はい。おじいさんとおばあさんにも聞いた事がなかったので…」


「君は……自分の出自が気にならなかったのか?」


 ホレスの問いに、モーモー太郎は俯いて、小さく頷いた。


「……正直、気にはなっていました」

「僕はなぜ“牛”なのか。どこで生まれたのか。なぜ人の言葉を話せるのか。

 ――全部、考えたことがあります…

 でも……おじいさんとおばあさんは、いつもこう言うんです。

 “牛が喋るからといって、特別なことは何もない。それはお前の個性なんだ”って」


 その言葉を思い出した瞬間、胸に温かい痛みが走った。

 あの穏やかな時間――二人と過ごした日々が蘇る。

 しかし、同時に複雑な想いもあった。


「僕……その言葉で、自分を納得させていたんだと思います」

「本当は……真実を知るのが怖かったんです。知ってしまったら、この幸せが壊れてしまうんじゃないかって……」


 朝の光が差し込む森の中、彼の声は淡く震えていた。


 _____


 ホレスは、モーモー太郎の心の奥にある“恐れ”を感じ取った。

 そして、そっと彼の肩に手を置いた。


「……知らないほうが、幸せなこともある」

「だが、そんな君が――鬼退治に向かったのは、なぜだ?」


 モーモー太郎は足を止め、朝日に照らされた小道を見つめた。

 沈黙のあと、静かに語り始めた。


「……僕は、今こうして幸せに生きていました。

 でも、それは“本当の幸せ”じゃないんじゃないかって……そう思ったんです」


「……」


「この国では、誰もが鬼の影に怯えて生きている。

 笑いながらも、心のどこかでいつも不安を抱えている。……僕も含めて、みんなが“本当の平和”を知らない」


「だから……鬼に立ち向かおうと決意したのか」


 モーモー太郎は、力強く頷いた。


「偽りの安息には……耐えられなかったんです」

「僕が何者なのか分からない。でも、だからこそ――自分の存在を証明したくて……」


 その声には、若さゆえの真っ直ぐな情熱と、根底にある孤独が滲んでいた。


 ホレスはしばし彼を見つめ、やがて静かに微笑んだ。


「モーモー太郎君……君は、自分が何者か分からないと言った。

 だが私は、こうして話していて確信したよ」

「君は……誰よりも“強い正義の心”を持った青年だ」


「正義の……心?」

 モーモー太郎は目を見開いた。


「ああ。現に今、こうして世界の危機に立ち向かおうとしている。それが何よりの証拠だ」


 モーモー太郎は、少し俯いて曖昧な笑みを浮かべた。


「でも……それは本当に平和のためなのか……それとも、おじいさんとおばあさんの敵討ちなのか……。

 もしかしたら……ただ“真実を知りたい”だけなのかもしれません」


 その呟きには、自分自身への問いが滲んでいた。


 ホレスは静かに笑い、朝日を背に言った。


「正義とは、人それぞれの心の中にあるものだ。

 見る角度によっては、正義は悪にもなる」

「だが今は……あまり深く考えすぎないことだ」


 その声は、迷いに囚われそうな彼の心を、柔らかく包み込むようだった。


「どんな理由であれ――ネクターの計画を阻止することは、人々を救うことになる。それだけは確かだ」


 モーモー太郎は、ふと空を見上げた。

 薄曇りの空の向こうに、朝日が静かに昇っていく。


 彼は深く息を吸い込み、握った拳を見つめた。


「……そうですね。僕は、進むしかない」


 迷いは完全には消えていない。

 だが、進むべき道がひとつしか残されていないことは、彼自身が一番分かっていた。


 二人は再び歩き出した。

 小道に差し込む朝日の光が、彼らの背中を静かに照らしていた。



 _____



 場所は変わり――霧深き山奥。


 太陽の光さえ届かぬ、森の奥底。

 空気は冷たく湿り、地面を這う白い霧がまるで生き物のように絡みついてくる。


 その静寂を切り裂くように、重厚な笑い声が響いた。


「ハァーーーハッハッハッ!!!」

「手こずらせやがって……! さすがは伝説の“きびだんご”だ……やはり、本物だったか!!」


 笑っているのは、漆黒のマントをはためかせた男



 ――ネクター。



 彼は苔むした石段を踏みしめながら、古びた祠の前に立っていた。


 祠は巨大な石造りの鳥居に囲まれ、何百年もの風雨に晒されてきたせいで、表面はひび割れ、苔とツタに覆われている。


 その場所は――まさに禁断の聖域だった。


「フフ……いいぞ……想像以上だ」


 低く呟いたネクターの目の前には、信じ難い光景が広がっていた。

 霧の向こうから立ち現れたのは、黄金に輝く三つの巨影――




 三神獣、現る




 地を踏みしめるたびに大地が震えた。

 現れたのは、伝説の“三神獣”――鬼と並ぶほどの力を持つ、神話上の怪物たちだった。



 ■ 大猿― 大地を砕く剛腕


 身の丈は三メートルを超え、隆々とした前腕は鎖のように硬く引き締まっている。

 その一撃は山をも砕くと伝えられ、金色の体毛が霧の中で淡く光っていた。

 巨腕を地面に叩きつけると、ズゥゥゥン……と大地が鳴動し、祠の石がガタガタと揺れた。


「ウホォォォオオオオオ!!!」

 その咆哮は、森の獣たちを一瞬で沈黙させるほどの威力を持っていた。



 ■ 大狼― 全てを切り裂く牙


 しなやかな四肢で地を蹴り、黄金の毛皮を翻しながらネクターを睨みつける。

 喉奥から漏れる低い唸り声――グルルルル……

 牙は鋼鉄をも噛み砕くと伝えられ、瞳は冷たく鋭い刃のようだった。


 ただその場にいるだけで、空気がピリピリと張り詰める。



 ■ 大鳥― 黄金に輝く翼


 巨大な翼を一振りすると、霧が一瞬で吹き飛び、木々が根こそぎ揺さぶられた。

 翼は光を反射し、虹色に輝く。

 その羽ばたきは嵐を呼び、翼が空を切るたびにヒュゥゥゥゥ……という不気味な風音が響き渡った。


 _____


 その雄叫びと存在感に、周囲の空気が一気に重くなる。

 まるで空間そのものが支配されてしまったかのようだった。


「グビャァァァァアアア!!!」


 樹々の枝が折れ、岩肌がひび割れる。霧が押しのけられ、空気が爆発するように震える。


 ――まさに“神”


 _____


 しかし――

 そんな神々ですら、ネクターの前では“獣”に過ぎなかった。



 絶対服従の力。



 ネクターは口元に薄い笑みを浮かべ、掌に乗せた“きびだんご”の袋を見下ろした。

 戦いはすでに終わっていた。

 彼は数時間に及ぶ死闘を経て、三神獣を屈服させたのだ。


「さあ……三神獣よ。俺のもとに――跪け」


 低く、しかし命令の響きを持った声。

 その瞬間、あれほど荒ぶっていた三神獣の瞳が一斉に霞んだ。

 巨体が地鳴りとともに膝を折り、ネクターの足元に頭を垂れる。


 ――まるで王の前に忠誠を誓う臣下のように。


「ククク……見ろ、この姿を」

「伝説の“神獣”が……俺にひれ伏している!」


 ネクターの顔には、勝利の確信と狂気が入り混じった笑みが浮かんでいた。


 きびだんご――それはただの和菓子などではない。

 食した者を絶対服従させる、禁断の“兵器”だ。


 伝説は現実となり、神話は今ここで塗り替えられた。


 _____


 そのとき――

 祠の奥の静寂を破るように、規律正しい足音が響き始めた。


 タッ、タッ、タッ――


 霧の向こうから姿を現したのは、腰に剣を帯び、赤い腕章を巻いた男だった。

 軽装の甲冑に身を包み、跪きながら報告する。


「ネクター様。次の目的地へ向かう準備が整いました」


 その声を合図に、周囲の茂みから兵士たちが一斉に姿を現した。

 ざっと数は――百を超える。


 皆が同じ装備、同じ赤い腕章、同じ無表情。

 ネクター直属の精鋭部隊。

 彼の命令には一片の疑いも抱かない“操り人形”たちだった。


「ああ、分かっている。それで……被害は?」


「……ざっと、五十ほどかと」


 男の報告に、ネクターはゆっくりと口角を上げた。


「五十……? ふふ……三神獣相手なら、上出来だ」


 この戦いで、ネクターの軍勢は五十人もの犠牲を出した。

 だが――それは彼にとって、想定の範囲内だった。


 彼は最初から、三神獣を“無傷で”従えるつもりなどなかった。

 むしろ、その圧倒的な力を身をもって確かめ、己の計画を確信するための“代償”だったのだ。


「……五十の命か。感謝してやるさ。お前たちの血が、この世界を変える礎となる」



 ネクターは、血で染まった剣を高々と掲げた。



「今ここに、三神獣を手中に収めた! 貴様ら――準備はいいか!!」


「ウオォォォォォォ!!!!!」

 兵士たちは一斉に雄叫びを上げ、山々にこだました。


 その声は、森を、空を、霧を突き抜け――やがて遠くの地へと響き渡っていった。



「……これで、準備は整った」

「後は――“あの方”を待つだけだ……ククク……」


 その瞳には、これから訪れる“絶望”を楽しむような、冷たい光が宿っていた。


 彼の言う「あの方」とは、誰なのか。

 その名が明かされるとき――世界の歯車は音を立てて狂い始める。


 霧深い山奥に再び静寂が戻る。

 ただ、風だけがネクターの笑い声を遠くへと運んでいった――


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