【第104話】贖罪〜禁書編〜
夜
式典の喧騒が嘘のように、夜の王宮は静けさに包まれていた。
星空が穏やかに広がり、ひんやりとした夜風がバルコニーのカーテンを揺らす。
そこには、オウエンとミコト――そして、ミコトの腕の中で穏やかに眠る小さな赤ん坊、桃二郎の姿があった。
「……ミコト君。どうして、あんな嘘をついたんだ」
オウエンが、夜空を見上げながら静かに問いかけた。
ミコトは、少しだけ視線を落とし、穏やかに微笑んだ。
「――償いです」
「償い……?」
「はい。僕は、果たせませんでした。
桃一郎を救うことも……あの木を、自分の手で斬ることも」
ミコトの声には、もう迷いがなかった。
それは深い傷を抱えながらも、前へ進むと決めた者の声だった。
「僕が今すべきことは、二度と鬼を生まないことです。
封印された桃一郎も……そして、この子も」
ミコトは眠る桃二郎の頬に、そっと手を添えた。
「……もし世界が、この“桃の真実”を知ったら、
きっと桃から生まれた者たちは迫害されてしまうでしょう」
「……」
「でも僕は知っています。
桃一郎は、悪人なんかじゃなかった。
環境が、過去が、彼を壊してしまっただけなんです」
ミコトの瞳は、まっすぐだった。
「だから……この子は、僕が守ります。
僕が育てて、証明してみせるんです。
“生まれながらにして悪に染まる人間などいない”ということを」
オウエンは小さく息を呑んだ。
「……証明、か。
だが、どうやって? 君は――何をするつもりなんだ」
「“桃の集い”を作ります」
「桃の集い……?」
「ええ。この子の様に、桃から生まれた者たちの居場所。
彼らが悪意に飲まれぬよう、導くための集いです。
特別な力で世界を守る“象徴”にする」
そして、言葉を区切るようにミコトは目を伏せた。
「そのために、僕は“桃一郎”を名乗りました。
――救世主は、“桃から生まれていなければ”ならないんです」
「自分を……捨てるのか」
オウエンの声が震えた。
「それが……木を切れなかった僕への罰です。
僕にできる唯一の“償い”なんです」
夜風がそっと吹き抜けた。
ミコトの髪を揺らし、星々が彼の横顔を優しく照らした。
しばらくの沈黙の後、オウエンは口を開いた。
「……分かった」
その声は、かすかに震えながらも、力強さを帯びていた。
「ミコト君。私にも――その秘密を、守らせてくれないか」
「えっ……?」
驚いたミコトを見つめ、オウエンは静かに頷いた。
「世界を救った、君という人間を、世界から消すことなど、私にはできない。
だが同時に、この壊れかけた、"今の世界"には“真実”ではなく、“希望”が必要だ。
……その嘘は、きっとこの国を救う。ならば、私も共犯になろう」
「オウエンさん……でも、それじゃあ……あなたまで――」
「いいんだ。私もこの物語の“語り手”として、責任を果たさねばならない」
そう言って、オウエンは星空に向かって手を伸ばした。
「私はこの出来事を、すべて書き記す。
君の葛藤も、桃一郎の悲劇も、私たちの選んだ嘘も。
“未来”というまだ見ぬ誰かへ託すために」
ミコトは目を見開き、やがて静かに頷いた。
「信じよう。
いつかまた、“光”に選ばれた者が現れる日を――そして、その者の選択を――」
二人の背後では、桃二郎が小さな寝息を立てていた。
柔らかな光が、まるで彼の未来を照らすように降り注いでいた。
世界を巻き込んだ、大いなる嘘――
それがどれほど身勝手で、独りよがりな選択だったか。
そんなことは、誰よりも自分が分かっていた。
だけど、どうしてもできなかった。
あの時、剣を振るうことも、過去を断ち切ることも。
それが――
弱い自分にできる、たったひとつの“贖罪”。
せめてその時が来るまで。
この世界の平穏を守り抜く。
願いと覚悟を込めて――
すべてを、“未来”に託したのだった。