【第103話】嘘〜禁書編〜
「――我が名は、桃一郎である!!」
その瞬間、世界の空気が変わった。
声が天へ突き抜けたと同時に、王宮の石畳すら震えたように感じた。
オウエンは思わず目を見開き、喉の奥で息が止まった。
「なっ……!? ミ、ミコト君……今、何を……!」
驚愕の声。
しかし、それすら広場に渦巻く民衆の歓声にかき消された。
「うおおおおおおおお!!」
「桃一郎様!!」
「救世主ばんざーーい!!」
もはや誰も、オウエンの言葉など聞いていなかった。
民衆は熱に浮かれたように、桃一郎という名を叫び続けた。
ミコトはそっと手を挙げる。
「皆さん、少しだけ……私の話を聞いてください。」
その仕草だけで、数万の民衆が静寂に包まれた。
嘘のように、音が止む。
今この国でもっとも強いのは、剣でも軍でもなく――彼の“言葉”だった。
ミコトは、ゆっくりと、口を開いた。
「……私は、桃から生まれました。」
広場がざわめく。
驚愕、混乱、信じられないという空気が一気に広がった。
だが彼は、微笑むように言葉を続けた。
「けれど……特別なんかじゃありません。
皆さんと同じ、泣いて、笑って、傷つく……ただの人間です。」
その瞳は、まっすぐに民衆を見つめていた。
「生まれた場所も、姿も、誰の元に生まれたかも……
人の価値とは関係ありません。
大事なのは、――“どう生きるか”です。」
その言葉は、まるで一筋の光のように、大広場の人々の胸に染み込んでいく。
そして、ミコトはほんの少しだけ目を伏せ――静かに告げた。
「……私には、兄がいました。」
空気が変わった。
「兄は、優しくて……どんな時も私を守ってくれた。
暗闇の中でも、ずっと前を歩いて……
いつも言ってくれたんです。」
――必ず報われる日が来る。
思い出すだけで胸が締めつけられるようで、ミコトは拳を握りしめる。
「……でも、彼は光を見失いました。
重すぎる運命に、飲み込まれてしまった。」
広場の人々が、息を呑む。
「私は、救えなかった。
手を伸ばせなかった。
だから……今でも悔しい。」
声が震える。
肩が震える。
だが、その瞳には“覚悟”が宿っていた。
「だけど……兄の言葉は、まだ私の中で生きています。
だから今度は、私が“光”になります。」
ミコトは一歩、前へ。
風が、彼の白い装束を揺らした。
「どうか皆さんの心に刻んでください!」
ミコトの声が空を貫く。
「生まれながらに悪に染まっている人間なんていない!」
「もし、その道を踏み外しそうになったら――周りを頼ってください!必ず誰かがいます!」
「そして、それでも迷ったら……この私が!」
右手を胸に当て、空へ向けて掲げる。
「――この私が、世界の指針になります!!」
広場が震える。
民衆が一斉に涙をぬぐい、拳を握りしめる。
「共に生きましょう。共に歩みましょう。
苦難を乗り越えるのは、一人ではありません。
私たちは、支え合うためにここにいます。
誰かの光になれるなら、私は何度だって暗闇を照らします。
さあ、共に前へ。
この世界を、もう一度信じましょう。
そして、どんな運命も超えていきましょう。」
そして、最後に――
「名を刻め!!
私は桃から生まれし者!
その名は――桃一郎だ!!」
その刹那、王宮の壁が崩れるかのような歓声が上がった。
「うおおおおおおお!!!!」
「桃一郎さまーー!!」
「救世主ーー!!」
「ありがとう!!桃一郎!!」
涙を流す者、ひれ伏す者、天に向かって叫ぶ者。
民衆のその叫びが、まるで国の傷跡を癒す祈りのように広場を包み込む。
バルコニーの端でその姿を見ていたオウエンは――
もう前が見えないほどに涙を流していた。
「君は……なんてことを……」




