【第100話】光の、その先へ〜禁書編〜
風すら止まったような静寂が、焼け落ちた町に沈んでいた。
地面には焦げた瓦礫、ひしゃげた武器、そして、一本だけ残った桃の木。
鬼は封じられた。
戦いは終わった。
けれど、誰の胸にも「勝利」の実感はなかった。
ミコトは、崩れるように地へ膝をついたまま、動けずにいた。
肩は震え、握り締めた拳からは血がにじんでいる。
そして――
「くそぉ……!!」
張りつめていた何かが、ついに弾けた。
喉の奥を引き裂くような叫びが、瓦礫の町に響きわたる。
「何が“救世主”だよ……っ!!
僕は……僕は何も変われてなんかいない!!」
拳が、地面を叩く。
ガンッ! ガンッ!
「弱虫のままなんだ!!
世界を救う? 人々を守る?
――そんなの、僕にできるわけ……ないだろ……!!」
声は震え、涙は止まらず、嗚咽が混ざり、言葉がうまく出てこない。
胸に刺さったのは、ただひとつ。
桃の木を、切れなかった。
「なんで……
なんで桃一郎なんだよ……っ!
僕が斬らなきゃいけない相手が……なんで……!」
その叫びは、痛みにも怒りにも似ていたが、それ以上に――悲しかった。
オウエンは、ただ静かにその姿を見ていた。
膝を抱えて崩れる少年を見ながら、かける言葉を探していた。
だが――軽い慰めなど意味がないことも分かっていた。
そして、ゆっくりと言った。
「……ミコト君」
その声は、深い疲労と、それ以上の優しさに満ちていた。
「君が背負ったものは、重すぎる。
子どもひとりが抱えきれる類の運命じゃない。
王族の私ですら……到底、受け止めきれないほどに」
ミコトの嗚咽が、ほんの少し弱まる。
オウエンは近づき、そっと膝をついた。
「けれどな……
鬼をここまで追い詰め、封印できるだけの“状況”を作ったのは、紛れもなく君なんだ」
ミコトは顔を上げる。
涙に濡れたその目は、まだ揺れていた。
オウエンは続ける。
「私たちは……ただ戦い続けただけだ。
だけど“決定的な光”をもたらしたのは、君だ。
あの力も、あの覚悟も……全部、君の『想い』が呼び起こしたものだ」
ミコトの唇が震え、か細い声が漏れた。
「……分かってたんです」
「分かっていた?」
「この三年ずっと……心のどこかで……
桃一郎を……倒せないって……」
オウエンは息を呑んだ。
ミコトは声を震わせながら、続ける。
「いざ目の前にしたら、やっぱり……やっぱりできなかった。
だって……桃一郎は僕の……家族で……
だから……そんなこと……できるわけ……ない……
分かってたのに……分かってたはずなのに……
僕……最低だ……!!」
涙がぽたぽたと落ちる。
オウエンは、ゆっくりと首を振った。
「……そんなことは、ない」
夜の静寂が、二人の間にやわらかく落ちた。
「……僕は……物心ついた時から、ずっと臆病で……何もできない人間でした。あの家で、毎日が怖くて……息をするだけで精一杯で……」
ミコトの声は震え、地面に落ちる涙がじわりと広がる。
「そんな世界で……唯一、僕を照らしてくれたのが……桃一郎だったんです」
かすかな笑みが、ほんの一瞬だけ浮かぶ。
「どんなに苦しくても、あいつは……僕の前に立って……笑って……守ってくれた。あの小さな身体で……震えながら……」
思い出が胸を刺し、ミコトの肩が震える。
「――あいつがいたから、僕は……生きてこられたんです……」
言葉がそこから続かなくなり、数秒の沈黙。
そして――
「……なのに……僕は……!!」
ミコトは拳を握り締め、地を叩いた。
「桃一郎が一番苦しんでた時、僕は……何もしてあげられなかった……!!」
「……ミコト君……」
「人を殺して……化け物になって……泣いていたあいつを……僕は!止められなかった!!」
喉が潰れそうな叫びが響く。
「……あいつがあんなふうになったのは……僕のせいなんだ……! 僕が家族じゃなければ……桃一郎は……もっと…ちゃんと幸せに……!」
「ミコト君……!」
オウエンは駆け寄り、その肩を強く掴んだ。
そして、まっすぐに言った。
「それは違う。」
ミコトの涙に濡れた目が、ゆっくりとオウエンを見上げる。
「桃一郎君は……君を“光”だと思っていたはずだ。誰よりも。暗闇で震えていたのは、彼も同じだった。だから……君を守ろうとしたんだ」
ミコトの唇が震える。
「……僕は……何も……」
「君はまだ終わっていない」
オウエンはそっと手を差し伸べた。
「桃一郎君の後悔も……君自身の後悔も……未来へ繋げられるのは、君だけだ」
その手は温かく、強く、揺らぎがなかった。
ミコトは数度まばたきをし、涙に濡れた手を伸ばす。
「……僕でも……まだ……できることが……?」
「できるとも。君は光に選ばれた者だ。――この国の“救世主”だ」
ミコトの手が、オウエンの手を握る。
震えてはいたが、確かに前へ進む力が宿っていた。
――戦いは終わった。
そう思った、その時。
ザ……ザザァ……ザザ……
風がないはずの空気が揺れる。
地面が、わずかに震える。
オロチの“成れの果て”、その桃の木が――
まるで呼吸をするように、ゆらり……ゆらり……と揺れ始めた。
花弁が落ちる。
黒い影が、幹の奥から滲み出す。
オウエンが息を呑む。
――何かが、まだ終わっていない。




