命ののしつけ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふーん、こうしてみると今って、子供にとっていい時代かどうか、分からないなあ。
いや、人口の調査で、年代ごとに日本の乳児死亡率を調べていたんだけどね。今の時代だとそれが1パーセントにも満たないらしいんだよ。それがほんの100年前はおよそ10パーセントから15パーセント。流行り病が猛威を振るえば更に数値は上乗せされて、津々浦々で子供の最期を看取ることは、珍しいことじゃなかったと想像がつく。
よく「子は宝」って表現されるけど、これ生きて育つ子供が少ない時代だったからこそ、重みのある発言になったと思うんだよねえ。100年前よりもっと古くとなれば、死こそが生よりも高いウエイトを占めていただろう。
ややもすると、僕たちは生と死を切り離して考えがちだ。だが、その間に横たわる領域は思いのほか狭く、いまだ理解しきれないつながりを持っているらしい。
その生死の領域で起こった不思議な話を、最近また聞いたのだけど、君は興味ないかい?
今をさかのぼること、はるか昔。
山と海に挟まれた小さな漁村では、ここのところ乳幼児と老人の逝去が、立て続けに起こっていた。乳幼児が先に亡くなり、老人が後を追うように息を引き取るという形がよく見られていた。
亡くなる者同士は、血縁の有無に関係ない無差別なもの。そのうえ、亡くなる者に兆候らしい兆候は現れない。朝になかなか起きてこないのを家族がいぶかしみ、様子を見に行くと、寝入った時の姿のままで顔を青くしており、すでに息をしていなかったのだとか。そのうち、「死んだ子供に引かれているのだろう」と推察する者がちらほらと現れるようになる。
年老いた者は亡くなっていくのが道理。当初は摂理に則ったものあるとして、様子を見ることになったこの現象は、三月が経つ間に、若者をも対象にし始める。やはり同じように、晩に眠るまで特に異状が見られず、そのまま永遠の眠りについてしまうんだ。
このままでは子供を、おちおち産むことができない。ただでさえ命がけの営みだというのに、それが関係ない他者すら巻き込み得るとなれば、早急な解決を望むのは当然のことだった。
村の者たちはほうぼうで手分けをし、名の知れた呪い師たちをこの村へ呼び寄せる。彼らが祈祷の末に出した答えは、アワビを用いた策だったという。
アワビは当時より、長寿をもたらしうる食材と見られており、祝いの席や戦の前後の食膳に並べられることもある、高級なもの。かの漁村が中央におさめる税としても、重宝されていた品だったらしい。その採れたてを、疾く村人の分集めることが第一だと告げられたんだ。
ただちに、熟練の海女たちが海の中へと潜っていく。すでに時期は秋口。潮の冷たさに加えて、この時期のアワビは産卵を終え、身がやせていることがほとんど。味も、春や夏ごろに比べれば一段落ちることが多く、例年であれば好んで採りたいと思うものじゃなかった。
それでも、彼女らの仕事は確かだった。朝から始めたアワビ採りも、昼が過ぎる頃になるとすでに目標とした数を大きく超える量を確保し、戻ってきたんだ。アワビたちを確認し、呪いは次の段階へ移る。
「アワビを『のし』に仕立てる。ただしこちらの手順で」と。
ご存知とは思うが、祝儀の際に用いられる「のし」は、もともとが「のしアワビ」。長寿を願う飾りとして、干したアワビを用いるんだ。確かに殻を取って身を洗うところまでは通常通りだったが、そこからが違う。
アワビの近くに大きなたき火が焚かれたかと思うと、その中へ鉄製の小刀の刃が入れられる。しばしあぶったそれを用いて、村人たちひとりひとりの指先を傷つけて血を出させたんだ。血はひとりにつき、ひとつのアワビの上へ垂らされていき、それもろともにアワビの肉が竹棒で打ちつけられていく。
誰にでも分かった。アワビの中へ血をなじませようとしているのだと。そうしてある程度身が伸びたアワビは、本来ならばかつらむきにして陰干しにするところ。それがここに来て、またも血を追加し、叩き、伸ばす。この工程が数度繰り返された。
アワビたちは心なしか全体的に黒ずんだ色を帯び、丸一日あまりが過ぎて「のしアワビ」の姿となっても、色が抜けることはなかったという。
「自分の血を練り込んだアワビを持ち、食すがよい。それが各々の命の、つなぎ手となろう」
ごまかす者が現れないよう、皆が一堂に集められて、一斉にアワビが食される。その味はかすかに、鉄の臭いを漂わせるもの。しかも、腹の中へ落ち込んでいくら時間が経っても、思い出したように「グルグル……」と、獣のうなりのような音がする。腹の虫じゃないと、多くの人がうすうす感じていたらしい。
だが、この中でアワビを口に入れられない者がいた。まだ歯が生えそろっていない、村一番の幼子で、親がどんなに砕いて柔らかくしたのしアワビを食べようとしてくれない。口を固く閉ざしたままで首を振り、「いらない、いらない」といわんばかり。
食べなければ命の保証はない、と脅したところで、まだまともに口をきくことのできない童。いくら大人たちから警告を聞かされたところで、どれほど理解ができることか。
子の親たちは呪い師と相談。ギリギリまで家で食べさせるよう試みること。もしもの時には最悪の事態を覚悟することなどを話す。
引き上げていく時も、もはや粉と呼んでも差し支えなくなったのしアワビを、必死に口へ運ぼうとする母親の姿がある。それを見た一同は、一抹の不安を覚えずにはいられなかったとか。
その晩のこと。一人暮らしのある青年が、横になりながら、家の床がきしむ音を聞いた。
目を開こうとしたが、全然動かない。代わりに、見えない筆がまぶたの裏へ書き記して行くかのように、暗い視界の中へ住み慣れた家の様子が、おのずと浮かび上がってくる。
玄関のすだれ。土間の隅に置かれた、かまどとわらやま。一段高くなって、今、自分が寝そべっているすぐ脇には、囲炉裏がある。
だが問題は、それらの光景のいずれよりも大きい、目の前に這っている赤子の輪郭だ。手足をつたなく動かしながら、じわじわとこちらへ近づいてくる。その動きを受けて、床が声をあげているんだ。
赤子の顔は見えない。近づいてくると判断できるのは、変化する輪郭の大きさだけだ。
声を出そうにも口が動かない。追い払おうにも手足がいうことをきかない。さしたる抵抗を受けず、青年の前までやってきた赤子は、更にぐっと首を伸ばして彼の顔をのぞきこんでくる。もはや青年の視界は、赤子が成す黒い顔の円にほとんど塞がれてしまった。
その赤子の顔の闇から、飛び出してきたものがある。管だ。
幾本もうねりながら迫ってくる姿は、ミミズが束ねられたかのよう。そしてこちらを向いたそれぞれの口の中には、針先を思わせる細長い牙が、たくさん並んでいて……。
その時。なおも身体を動かせず、ただ迫ってくる管たちをにらむばかりの青年の腹の中で、うごめく気配があった。瞬く間に腹から胸、のど、鼻の中へと駆け上ったそれは、若干の吐き気を伴ないつつ、管たちの前へ躍り出る。
日中に食べた、のしアワビだ。確かに細かくかみ砕いて腹におさめたそれが、今は細い枝のように伸び、管たちの前にしてその身体を大きく左右へ揺らす。それに怖じたのか、それまで前進を止めなかった管たちは、一瞬、動きを止めたのち後退を始めたんだ。
このまま引っ込むのか、と青年はちらりと思ったが、違う。くっと後ろに身を退いた管たちは、勢いよくのしアワビへ噛みついてきたんだ。
足りない、とばかりに噛んだはしから自分たちの方へ引き寄せていく力。再びの吐き気、鼻の毛がちぎり取られる、ブチブチという音と痛み、むずがゆさ。もしも口が開けられていたならば、歯の裏側にまで迫っていた温かいものを、耐え切れずに吐き出していただろう。
最後にブチッと音を残し、青年の鼻からのしアワビが引きはがされる。ぷらん、とだらしなく垂れ下がる、先ほどまで鼻の中にあったアワビの先が、家の床をなでている。
管たちは、なおもアワビに群がると、分け合うようにところどころをちぎり出した。ややあって完全にアワビを食べ尽くしてしまうと、管たちは一斉にすっと元あったように顔の中へと引っ込んでいく。
管が暴れている間、身じろぎ一つしなかった赤子の影が動いた。その場でずりずりと緩やかに回り、青年へ向けて尻を向けると、家の出口へとゆったり這って行ったんだ。
今度こそ、青年ははっきりと目を覚ました。すでにすだれを通して、朝日が入り込んできている。昨日、頑としてアワビを受け入れなかった赤子のいる家へ向かったところ、すでに子の母親は起きていて、我が子を抱えていた。ゆっくり静かに息をしている。
結局、眠るまで子供はアワビを口にしなかったらしい。母親はずっと起きているつもりだったが、知らぬ間に意識が途切れてしまって、今しがた気がついたばかり。気を失う直前まで、赤子の口にあてがっていたアワビの姿は、きれいさっぱりなくなっていたそうなんだ。
一連の話を聞き、呪い師たちは胸をなでおろす。アワビを通じて、命をつなげることができたと。
「だが、心せよ。今ひとたび長らえても、いずれ命は切れるもの。いつどこで尽きても悔いなきように過ごすのが、何より肝要なのだ」
それから十数年の時が流れる。漁師として働き盛りの歳を迎えていたかつての青年は、嵐の際に乗っていた船が沈没。奇跡的に一命をとりとめて村に戻ったものの、身体に負った傷のために、ほどなく世を去ることになる。
かつての幼子も、初めて漁に出る時を楽しみにする育ち盛りの少年となっていた。だが青年が息を引き取ったのとほぼ同時に。その場でばたりと倒れて、二度と意識を取り戻さなかったとのことだよ。