四幕・ココロの語り部
十月下旬の火曜日。彩深愛は、独り公園のベンチで昼食を食べていた。元彼の荒木慎也に捨てられて早一週間。愛は孤独に生きていた。
「別に、慎也を恨もうだなんて思わないけど……」
一週間前、突然慎也に助けを求めた浅海日向を放っておけず、ついに抑えていた感情を表に出してしまった慎也は、愛の元から離れていった。
「慎也が悪いわけじゃないしね」
「それは、彼の気持ちに気づいておきながら離れる道を選ばなかった自分が悪いってことかい?」
いつの間にか、隣に少年が座っていた。高校二年生くらいだろうか。その少年は、何処か不思議な雰囲気を漂わせていた。
「どういうこと?」
「そのままの意味だよ。君が彼を攻めようとしない理由が聞きたくてね」
何故、この少年はこのことを知っているのだろうか。と、愛は一瞬思ったが、深く考えることでもないと割り切った。
「アナタの言うとおりだよ。気づいてたのに止めなかった私が悪いの」
「ふぅん、優しいんだね」
「どうもありがとう」
少年はとても楽しそうだ。まるで飼い犬の成長を喜ぶ飼い主のよう。
孤独だった愛は、少年が自分の内面を知っていることにはあまり疑問を持たず、受け入れていた。もしかすると、ファンタジーのような展開になるのかもしれないと、物語好きな愛は少し思った。
「物語が好きなんだ」
「うん。昔からずっと物語だけは私の傍にいてくれるの。孤独な今も、ね」
心の内を言い当てられても、今更愛は不思議に思わなかった。
「奇遇だね。俺も好きなんだ。書くのも読むのも、ね」
「そうなんだ。私達、気が合うかもね」
「かもね」
愛は立ち上がった。そろそろ戻らなければいけない。
「アナタと話をしてると楽しい。また話せるかな?」
「それは、穴を埋めるため?」
「ううん、純粋な気持ちよ」
少年はにっこりと笑い、言った。
「俺はいつでもここにいる。好きなときに会いに来るといい」
「そっか、わかった。ええと、何て呼べばいいかな?」
少年は少し考えると、ふと思いついたように言った。
「ココロ。そう呼んでくれ」
「わかった。じゃあまたね、ココロ」
「ああ、また」
そうして、愛は公園を後にした。
次の週の火曜日。愛はまた公園に来ていた。ベンチには、もうすでにココロが座っていた。
「やあ」
「こんにちは、ココロ」
愛が隣に座ると、ココロは問いかけた。
「何故彼を恨まないんだい? 自分のせいと思っているとはいえ、それなりにひどい仕打ちだったろう?」
改めて考えれば、年上になんと言う口の利き方だろう。しかし愛は気にしない。
「それもそうだね。でも、なんか恨む気にはなれないの。無理強いしたのは私だし」
「やっぱり優しいんだね」
「そんなことないよ。きっと、慎也のことが好きなだけ」
「今も?」
「それはわかんない」
愛は空を見上げると、今度は質問を返した。
「ねえ、神様っていると思う?」
「どうだろう。神様じゃなくとも、それに近い存在はいるんじゃないかな」
「例えば?」
「物語でいう作者とか」
愛はなるほど、と頷いた。
「そんな奴がもしもいたら、一発ぶん殴ってやりたい」
「いいね。ついでに腹も蹴ってやろう」
二人は同時に吹き出した。歪なコンビだが、気が合うのは間違いない。
「あ、そうだ! 次さ、私の作った物語聞いてよ」
「いいよ。ついでに批評もしてやる」
「ふふ、ありがと」
その後、愛は立ち上がった。まだ来てあまり経っていないので、ココロは首をかしげた。
「もう行くのかい?」
「うん、午後からまだ講義が残ってるから」
「そっか、大変だね」
「うん、じゃあまたね、ココロ」
「ああ」
前回から一週間空いた二週間後の火曜日。愛は現れた。
「やあ、遅かったね」
「少し用事が立て込んじゃってね。遅れてごめん」
「大丈夫だよ」
愛はこれまでと同じようにココロの隣に座ると、ひとつ大きく伸びをした。
「さてさて、聞いてもらおうかな」
「聞かせてもらおうかな」
愛は、ポツリポツリと話し始めた。
内容は、独りの少女が少年と出会い、恋に落ち、そして振られてしまい、最後には飛び降り自殺をしてしまうというものだった。よくあるような内容だったが、やけにリアリティのある主人公の心象描写がとても印象的だった。
「どうかな?」
「いいんじゃないかな? 心象描写が鮮明で引き込まれたよ」
「悪かった点とかは?」
「そうだね。もう少し相手の男の子の心情を掘り下げてもいいかもね」
「そっか、ありがと。次に生かすよ」
そう言って愛は立ち上がり、歩き出した。ココロは理由は問わず、その背に声をかける。
「飛び降りに行くのかい? さっきの主人公みたいに」
「……」
愛は立ちすくんだ。目に浮かべた涙は、背中越しには見えない。
「さっきの物語は君の紀行文のつもりだろう? 何故今になって死のうと思ったんだい?」
「……もう、生きる意味も希望も無いから」
それを聞いたココロはベンチから立ち上がり、愛の方へ歩み寄る。
「じゃあ、君生きる意味をあげよう。少しの間、ね」
「え?」
「次から、俺の作った物語を聞かせてあげる。一日一編、全十編だ。計十日間、君の好きなときに来るといい」
「……」
愛は黙ったまま頷いた。ココロはその横を通り過ぎ、ちらりと愛を振り向いた。
「その後で、もう一度答えを聞かせておくれ」
「……わかった」
「じゃあね。また次の日に」
そういって、ココロは雑踏の中に消えていった。
十一月三週目の火曜日。約束どおり愛は公園にやってきた。
「やあ」
「こんにちは。これから毎週火曜に来るわ」
「そっか。そりゃあこっちも助かるよ」
愛はいつものようにココロの隣に座った。ココロはそれを確認すると、語り始めた。
前世の記憶を断片的に持つ少女が、ひょんなことから記憶の地に赴き、記憶の仲の人と再会するという物語。舞台は現実の世界だが、ストーリーは少しファンタジーチックだった。しかしそれでいて、違和感の感じない自然な物語だった。
「どうかな?」
「すごい。よく出来てる。これじゃあ来週も来なきゃね」
「そう言ってくれて嬉しいよ」
「最後のいい暇つぶしになりそう」
「最後まで聞いたら、最後なんて言わせないさ」
「すごい自信ね。楽しみにしてる」
「じゃあ、また来週」
そうしてこの日は二人は別れた。
それから、宣言どおり愛は毎週火曜日に来て、ココロは一日一編づつ語っていった。
真夏に降る不思議な雪。都市伝説のメリーさんの電話。悲しい恋を乗り越えた少年。病によって分かたれた少年少女の淡い恋。未来から来た息子。十一年ぶりに再会した子猫。
どれも色とりどりで、一つなぎの大きな物語だった。
「全ての始まりだったということを……」
「すごい……。私にはこんなの書けやしないよ」
「ふふっ、ありがとう」
「まさかあのフレーズが何度も伏線になるなんて思いもしなかったよ」
「だろう? これらは自信作だからね」
「でも、本当にすごかったわ」
ココロは満足げな顔をすると、にっこりと笑って愛に問いかけた。
「それで、結局どうするんだい?」
愛は少し俯いた。しばしの沈黙の後、口を開いた。
「まだわからない。でも、もしもココロの物語のような世界があれば、とても幸せだろうなと思った」
ココロはその言葉を待っていたとでも言わんばかりの笑顔を浮かべ、勢いよくベンチから立ち上がった。
「じゃあ、来るかい?」
「へ?」
ココロは振り向き、愛と向き合う。
「実はね、まだ出来上がってない作品があってね。未完成の第十一話。丁度キャストが一人足りなかったんだ」
「どういうこと?」
「君にその役を任せたいんだ。大丈夫、君にとっても、他の皆にとってもハッピーエンドだ」
ココロは依然笑っている。その雰囲気は、どこか、人とは違う何かのようだった。
「もし、OKと言ったら?」
「ここにはもう帰れない。いなかった存在となるか、いなくなった存在となるかのどっちかだ」
「そう……」
不安そうな表情をした愛の方をココロは叩く。
「大丈夫、君の物語は俺が記している。「彩深愛」の物語がなくなるわけじゃない」
その言葉で、愛は全てを察したようだった。そして力強く答える。
「わかった。行くよ。でも、最後に教えて。今まで教えてくれなかった、あなたが誰なのかを」
「聞かれなかっただけだけどね」
ココロの顔から一瞬笑みが消え、またすぐに微笑んだ。
「俺はこの世界の〝心″。ストーリーテラーさ」
「ストーリーテラー、そう、そういうことだったんだね」
ストーリーテラーは小さく頷く。
「どうして私だったの?」
「愛着が湧いたのさ。それに、バッドエンドは嫌いだろう?」
「うん、大嫌い」
愛はストーリーテラーの目を見つめる。次第に、意識が遠のいていく。
「君には、俺の名前を貸してあげる。ハッピーエンドを願うその意、忘れるなよ」
「うん。あ、最後にもう一つ」
「なんだい?」
「あの時一発ぶん殴りたいって言ったけど、取り消す」
「そりゃどうも」
視界が真っ白な光に包まれ、愛は意識を手放した。その瞬間に、耳元で声が響く。
「良いトゥルーエンドを」




