三幕・花の行方
一つ目に覚えているのは、大切な人との記憶。忘れちゃいけない人との記憶。
二つ目に覚えているのは、ここに来る前の、不思議な記憶。
「やあ、もう行くのかい?」
「体は生まれ変わったのに、未練を断ち切るまで魂を切り離すなんて、すごい荒業だ」
「彼を探しに行くんだろう? 途方もない時間がかかるかも知れないよ」
もういないはずの私に、その人は声をかけた。
「それでも、そのためにもう一度生を享けたんだから」
その人は納得したように私に言った。
「そっか。じゃあ急ぐといい。彼は今、孤独の淵に立っている」
「あと一歩踏み出せば、真っ逆さまだ」
「それを救えるのは君一人だけ。彼に残された唯一の希望だ」
「サービスだ。記憶の殆どを残しておいてあげよう」
今、何て?
「約束の花よ、もう一度咲くといい」
最後に、私は問いかけた。
「あなたは?」
その人は、にっこりと笑って答えた。
「俺はこの世界の〝心〟。ストーリーテラーさ」
「歪みを生むために歪みを正す。急がば回れ。ってね」
晴天の下、虚ろな目をしたまま歩く。日向との訣別を経てから、いつもこんな風だ。特に希望も見出せず、淡々と日々を生きている。
「もうあれから三年も経ったのか……」
そんなことを思いながら呆然と町を歩く。一人暮らしをしているアパートまであと十数分ほどだ。
ふと、あの少女のことを思い出した。四年ほど前に夢を通じて思い出した幼き日の友人、鈴蘭。今は居なくなってしまったが、もし今も彼女が生きていれば、俺は幸せだったかもしれない。
「日向に失礼か……」
突然、ポケットの仲の携帯が震えた。今の俺に電話を掛けてくる奴など一人しかいない。
「もしもし、どうしたんだ桜斗」
「もしもし悠真―、今夜お前んち行くから酒買いだめといてー。俺はつまみ買ってくから」
「全く……」
「まーだ引きずってんのかー?全く、俺という友人がいながら~」
「うっせえそんなんじゃねえよ。なんと言うか、無気力なだけだ」
「知ってるよ。だからこうして定期的に遊びに行ってやってんだろ?」
「その点については感謝してるよ。ただまあ、二十歳になってから酒飲んでるだけだけどな」
「気にすんな! んじゃ、また夜な」
「おう」
全く、こういう時だけ気の利く友人だ。桜斗とは高校からの友人だが、俺に何かしらあるとこうやって遊びに誘ったりしてくれている。面と向かっては言わないが、やさしい奴だ。
「きゃっ」
「うおっ」
ぼうっとしていると、小さな女の子とぶつかってしまった。相手はこけてしまった。慌てて手を差し伸べる。中学一年生くらいだろうか。
「だ、大丈夫?」
「は、はい。すみません、前見て無くて……」
「こちらこそごめんね、ぼうっとしてたから」
女の子は俺の手を使わずに立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。つられて俺も頭を下げる。互いに同時に頭を上げると、女お子は俺の顔を見て硬直した。
「え、あ……」
「ど、どうかした?」
「ゆうま兄……?」
「へ?」
三年ぶりに聞いた呼び名。その言葉の意味を理解するのは難しかった。
「ゆうま兄! 会いたかったよ! 私のこと、覚えてる?」
「え、君とは初対面じゃ……」
微笑みながら首をかしげて俺を見つめる少女。俺の記憶が正しければ、こ子とは初対面のはずだ。しかし、この子は俺の名前を知っていた。それに、何処と無く漂う懐かしい雰囲気。まさか。
ありえないはずだ。彼女はずっと前に死んでいる。でも、俺のことを「ゆうま兄」と呼ぶのは、彼女しかいない。
「まさか……鈴蘭?」
「うんっ!」
にっこりと笑って答えるその笑顔は、鈴蘭そのものだった。
夜。悠真の家に行くと、開口一番悠真はこう言った。
「鈴蘭に会った」
「は?」
「正確には、鈴蘭の生まれ変わりに、だけど」
「おい、その話詳しく聞かせろ」
俺は買ってきたつまみを机の上に放り出して座った。おもしろそうだ。
「ふむふむ、つまり相手の雪ちゃんは鈴蘭ちゃんの生まれ変わりで、ずっとお前を探していた。と」
「そういうことらしい。半信半疑だけど」
当たり前だそんなの。普通に信じる馬鹿がいるか。
「んで、信じるつもりか?」
「正直微妙なところだ。信じたい気持ちの方が大きいけど、何せ相手は中学生だし」
「まあ、もっともな意見だな」
話によれば、相手の女の子、白花雪は中学一年生。まず大学二回生が付き合う年齢じゃない。そもそも、生まれ変わりというのも怪しいところだ。
「半分信じようと思った理由は?」
「彼女が言ったんだ。「不思議な男の人に会った」って。その人が前世の記憶を引き継がせてくれたらしい」
「ふぅん、ますます意味わかんねえな。そいつは何者なんだろうな」
「ストーリーテラー。そう名乗ったらしい」
ストーリーテラー。厨二くさい名前だが、よく本気で信じたものだ。テラーという単語が頭で変換できない。ダメだ。昔っから英語はからっきしだ。
「俺も一度だけ、そいつに会ったことがある」
「ほう?」
「確か、日向に別れを告げられた日。そいつと会った。あいまいな記憶だけど」
「へえ、どんな奴だった?」
「不思議な奴だった。何故か、俺の素性を多く知っているようだった」
面白い。もしかすると、この世界には俺たちの知らないもっとすごい何かがあるのかも知れない。それこそ、科学なんかじゃ解明できないような何かが。
第一、悠真が幽霊に会うという体験をしている以上、人知を越えた何かがあってもおかしくは無い。それこそ、生まれ変わりだってありえるかも。
「俺は信じてみるぜ、その生まれ変わりとやら」
こういう物語好きのような性格と思考が、理系らしくないと言われる所以なんだろう。
「お前が言うなら俺も信じてみるか……」
俺は三本目のビールを開けながら言う。こりゃあ今日はお泊りルートだな。
「どっちにしろ、今のお前には信じられないほどの心の余裕はないだろ?」
「うっせえ」
真偽は関係ない。こいつが満足ならそれで十分さ。
それが親友って奴だろう?
日曜。早番のバイトを終えた俺は一人公園でコンビニ弁当を食べていた。そこへ。
「ゆうま兄」
「ん、雪か」
「こないだぶりだね。元気にしてた?」
「まあね」
雪は俺の隣に座ると、何をするでもなくただただ脚をぶらぶらさせていた。
「友達と遊んだりしないのか?」
「友達は皆日曜日はお出かけなの」
「雪んちは?」
「今日はしないよ。お父さんが出張中だから」
「そうなのか」
ふと、雪の親は前世のことを知っているのだろうかと考えた。知っていたとして、信じているのだろうか。
「鈴蘭のこと、信じてくれた?」
「まあ、うん」
「そっか、良かった」
「その、雪はさ」
「うん?」
「なんで俺のことを?」
雪は少し考えるような仕草をした後、こういった。
「ゆうま兄のことが好きだからだよ。今も昔も」
きっと、こういったと気に見せる年に似合わない大人びた雰囲気は、鈴蘭のものなのだろう。
「でもさ、雪はまだ中学生だし、俺なんて大学生だぜ?」
「私は気にしないもん。きっとお父さんもお母さんも気にしないよ?」
「噓だろ?」
「ほんとだよ、生まれ変わりも信じてくれてる」
「まじかよ」
最近の親の適応力やばいな。詐欺とかに引っかかったりしないんだろうか。
「だからさ、悩まないで大丈夫だよ、ゆうま兄」
「……ありがと」
こんな小さな少女を心の拠り所にしてしまうのは流石に気が引けた。だけど、頼らずに生きられる自信など、俺には無かった。
雪と出会って一ヶ月ほどが経った。それなりに仲良くはやっているが、まだ日向とのことは言っていない。まだ年端も行かぬ少女にするような話じゃないと思ったからだ。
だけど、ある日冷静になった。本当にこのままでいいのだろうか。雪はまだ若い。それこそ未来にはいろんな出会いがあるだろう。それを、前世という呪縛によってつぶしてしまうのはいけないのではないか。そう、思った。
いつもどおりの日曜日。今日も雪は隣に座っていて、俺はコンビニ弁当を食べている。俺は一つ深呼吸をして、切り出した。
「なあ雪、そろそろ止めにしたほうが、いいんじゃないか?」
「なんで?」
「俺たちには七つという年の差がある。大人になればあまりたいしたことは無いかも知れないけど、子供じゃ話は別だ」
「でも、お父さんやお母さんは許してくれたよ?」
「それだけじゃない、雪はまだ若い。これから先もっと多くの出会いがある。それを、「前世の記憶」で潰してしまうのは、勿体無いと思うんだ」
言い終えてちらりと横を見ると、雪の肩が震えていた。少しきつく言い過ぎただろうか。そう思っていると、雪が口を開いた。
「違う。違うもん!」
「え?」
「年の差や未来なんか関係ない! 私はゆうま兄のことが好きなの!」
「でも、それは……」
「前世の記憶のせいなんかじゃない! これは鈴蘭の意思じゃなくて、雪の意思なの!」
「雪……」
「それに、あの時の人が言ってた。「彼は子は今、孤独の淵に立っている」って。「それを救えるのは君一人だけ」って」
「あいつって……」
きっとストーリーテラーのことだろう。まさか、アイツが俺のことを案じていたというのか?
「ねえ、私じゃいけないの? ゆうま兄は嫌? こんな小さな少女じゃ頼りないの?」
「それは……」
「私は心からゆうま兄が好き。それは白花雪としての意思。それでも、ダメ?」
俺は言葉が出なかった。きっと、彼女の言葉は本心だ。鈴蘭の生まれ変わりとはいえ、彼女は白花雪なのだということを、俺は忘れていたらしい。
「ごめん、雪。俺が間違ってたよ」
「ゆうま兄……」
雪の目に浮かんだ涙を拭ってやる。女の子を泣かせたままじゃおしまいだ。
「でも、今は友達。な?」
「うん……!」
にっこりと笑う雪。その笑顔は鈴蘭のものであって、雪のものだった。
「そっかそっか、もう大丈夫だよ。私がいるからね」
「うん、ありがとうな雪」
「えへへ」
雪を家へと送る道中、俺は日向のことを話していた。意外と気分はスッキリしていて、さらっと話すことが出来た。
「あ、ついた」
「お、じゃあここまでだな」
「あ、ちょっと待って。お母さん呼んでくる」
「別にいいのに……」
「ビックリするよきっと!」
「?」
どういうことかわからずに雪の家の前で待っていると、ドアが開いた。
「ゆうまくん、いつも雪がお世話になってます」
「あ、いえこちらこそ。いつもお世話に……って」
お辞儀をして顔を上げ、俺は目を疑った。
「矢木先生!?」
「あら、覚えててくれたのね。嬉しい」
「そんな、え、雪のお母さんって、矢木先生!?」
「そうだよ! ビックリしたでしょ」
矢木弘子先生。俺の幼稚園時代の担任の先生だ。とても優しい人で、よく俺と鈴蘭が遊んでいたのを見守ってくれていた。鈴蘭との記憶を思い出したときに、一緒に思い出したのだ。
「ってことは、苗字の白花って」
「そう。一樹先生」
「お二人、ご結婚なさってたんですね」
白花一樹先生は、俺が幼稚園年長の頃に来た新任の先生で、よく矢木先生に教わっていた人だった。その二人の雰囲気から、よく園児からからかわれていたのを思い出す。
「そっか、だから二人は雪のこと……」
「ええ、ゆうまくんのことも覚えているし、疑う余地はないでしょ?」
後ろで雪がしてやったりという顔をしている。これは一本取られた。今夜は桜斗を呼んで飲むか。
「ゆうまくん」
「はい?」
「雪のこと、よろしくね」
「……はい!」
そして、俺は雪の家を後にした。今度また、同窓会みたいなノリで遊びに行ってもいいかもしれない。
そう考えていた俺は、背後から走ってきた男に気づいていなかった。
だから、腹に突如走った鋭い痛みの正体が、その男に刺されたということに、意識を手放すその瞬間までわからなかったのだ。
病院のエントランス。そわそわしている様子の親子を見つけた俺は、もしやと思い声をかけることにした。
「もしかして、浅上悠真の病室をお探しですか?」
「あ、はい。でもどうして?」
母親は驚いた様子で尋ねた。つれている女の子は今にも泣きそうだ。
「悠真から聞いていた特長とお嬢さんが似ていたので。君が雪ちゃんかな?」
「は、はい……」
「よかった、ビンゴだ。自分は悠真の友人の桜斗です。悠真の病室は二〇六号室ですよ」
「そうですか、ご丁寧にありがとうございます」
神妙な面持ちで歩いていく親子を見て、俺は雪ちゃんを呼び止めた。
「雪ちゃん」
「な、なんですか?」
「悠真のやつ、怒ってないから大丈夫だよ。それよりか会いたがってたから、自信持って行ってきな」
「は、はい……!」
元気いっぱいの返事をした少女を見て、俺はにっこり微笑むとその場を後にした。
ただ、町を歩いていた。独り、あてもなく歩いていた。大学生になっても、この心の穴は埋まらない。
ふと、ビルのモニターに映る街頭ニュースが目に入った。そのキャスターは、淡々と告げた。
『次に、十月九日日曜日に○○県××市で、大学生の浅上悠真さんが道端で男に刺された事件で、犯人と見られる男が逮捕されました。男は、被害者の友人である白花雪ちゃんのストーカーで、
「仲良くしているアイツが許せなかった。だから刺した」と供述しており、容疑を認めています。』
「え……」
思考が一瞬停止して、加速し始めた。悠真が刺された。それは、私の知らないところで起きた私は全く関係ない事件。でもなぜか、私の中に謎の罪悪感と不安感を募らせた。
「なんっ……でっ……」
辛い。苦しい。息が出来ない。気が付けば私は、震える手で携帯に手を伸ばしていた。
いつからか使わなくなった番号に電話を掛ける。繋がると、向こうから懐かしい声が聞こえてきた。
「もしもし浅海? どうしたんだ?」
「荒木くん……」
ダメだ。いけない。荒木君の全てを壊してしまう。でも。
「お願い……助けて」
何かが、壊れる音がした。




